本澤二郎の「日本の風景」(5851)
<ナベツネ御用新聞化に単身抵抗した反骨秘史>69
いま過去を洗い出すと、非力な派閥記者だったことに涙するばかりだ。小選挙区制30年の成果が、先の総選挙結果で突出した。少数の民意で、多数議席の自民党という不公正な議席配分。正当化できない。戦争犯罪人の岸信介の悲願が、小選挙区制の導入による憲法改悪戦略だった。それを筆者は「小選挙区制は腐敗を生む」(エール出版)で反撃を試みたものの、議会の大勢は護憲リベラルの宮澤内閣に対して、ナベツネ読売と小沢一郎による、まやかしの改憲軍拡派の「政治改革論」、すなわち小選挙区制の導入へと言論界・学会・財閥など経済界がなびいた。この流れに野党までも悪乗りして、宮澤内閣不信任案可決。
愚かな右翼言論人と岸・小沢佐重喜の流れをくむ一郎に宮澤は屈した。野党は常に思考停止、与党内も一部が小沢になびいて、小選挙区導入のナベツネ好みの細川内閣が、小選挙区制を導入した。

背景は「政治改革法案の成立を先送りした宮澤内閣に対し、野党が不信任案を提出。自民党内の小沢一郎、羽田孜氏らが造反し賛成に回った。可決後の 宮澤首相は総辞職せず、同日に衆議院を解散。結果は1993年 7月の総選挙で自民党が過半数割れ、非自民・非共産連立の細川護熙政権が誕生し、自民党は短期間の野党転落となった」と記録されている。
宮澤は、イカさまの小選挙区制の正体を理解していたが、憲法改悪派が主導権をにぎる。結果は、ぶざますぎる世襲蓄財議員の氾濫・政治音痴で見識のない女性議員が、国権の最高機関を占拠、大金を懐に入れて優雅な暮らしをしている。

<宮澤内閣誕生に小さな汗かき=PKO自衛隊派兵に衝撃>
政府から「改憲」という恐ろしい音色が消えた宮澤内閣の2年は、人々にとって安心・安全を享受できたが、実際は違った。護憲政府は、自衛隊派兵のPKO法案をおしつけられてしまった。好事魔多し、である。この一件で宮澤内閣に対する期待がうせてしまった。

友人らとカンボジアPKO取材を敢行した。
宮澤内閣誕生を喜んだ反骨言論人は「誰も書かないカンボジアPKO」(エール出版)で宮澤内閣に、強く警鐘をならした。「地雷除去」はうそだった。是々非々が新聞人の使命である。

<小沢一郎と渡辺恒雄の小選挙区制導入=自民復活> 
このころナベツネは、読売社内で実権をほぼ完ぺきに掌握していた。永田町では小沢の暴走が目立って、あたかも「小沢の天下」を印象付けていた。政界を牛耳ろうとする二人の野望が結びつく。
それが「政治改革論」「派閥解消」というオプラートに包んだ小選挙区制が、宮澤を追い詰めていく。護憲リベラル派追放の決め球だ。二人の野望が財閥・軍需産業利権を巻き込んでしまう。読売の部数拡張作戦とも連動していた。

宮澤が恐れていたであろう小選挙区制の悪しき成果が、清和会の小泉・安倍・高市のもとで、具体化する。どうする日本である。

<ナベツネ改憲試案は1994年=改憲常態化狙い>
初めてネットでナベツネ改憲試案を覗いてみた。
1994年だという。これは怪しい。もっと早い時点で改憲をぶち上げていた。
筆者の「アメリカの大警告」本の後に公開している。理由は明白だ。この本で「読売の驚きの改憲案」に仰天するアメリカの知識人や政府関係者、軍拡に突進している防衛庁に対して「日本はまたアメリカと戦争する気か」と怒る国防総省エリートの本音掲載に、あわてて軌道修正したものだろう。護憲リベラルの宮沢喜一首相は「その通り」と拍手してくれたが、驚いたナベツネはそれまでの本物?を隠したかもしれない。天皇現人神など日本会議の野望を消したものか。 
1994年版のナベツネ私案は、改憲常態化ねらいと見たい。

<軍隊・憲法裁判所・天皇の権限強化>
それでも軍隊とか憲法裁判所など聞きなれない用語が飛び出す。一見するに値しない。
筆者は、この時点で正力をはるかに上回る、完ぺきなナベツネ独裁体制確立を意味するものだと理解できるのだが。ナベツネ新聞である。むろん、新聞にあたいしない。

発行部数を武器に、世論操作を容易に実現できると信じた渡辺恒雄は、日本新聞協会・日本記者クラブをも制圧し、まさに国民や内閣・議会を操れる独裁者の地位、それは民主主義の破壊者へと突き進んでいく。
首相の安倍を手名付け、毎日のように「改憲」を合唱させる。NHKを使っての中国批判による国民の民族主義化も。
岸田内閣では、一国の首相を読売本社の自室に呼びつけるなどは、トランプもプーチンもできなかったろう。「日本を動かす独裁者」であろう。
天に唾する行為である。
悠々会で一緒だった読売記者は、とうに姿を消していた。政治部長会の仲間は、東北のテレビ局に左遷させられた。まっとうな新聞記者は姿を消した。
筆者を知る多田実は、日本テレビから二松学舎大学教授に追いやられていた。
2026年4月11日記(茅野村の仙人)