本澤二郎の「日本の風景」(5843)
<ナベツネ御用新聞化に単身抵抗した反骨秘史>61
ナベツネがぶら下っていた大野伴睦の孫が、カネの問題で法廷で裁かれている。裁判長の対応に注目が集まっている。大野秘書から政界に転じた中川一郎が、自民党総裁選で安倍晋太郎とともに落選し、その後に地元の札幌の講演会で「星影のワルツ」を唄った後、自害する寸前の国会近くの閑散とした十全ビル事務所で、二人の会話を思い出した。
彼は「同志に裏切られた」との思いを筆者にさらけだした。「政界には政友はいるが、親友はいない」と。確かに石原慎太郎やハマコーの姿も一人もみえなかった。むろん、読売のナベツネも?
父の無念を晴らそうと昭一が決起、安倍晋三とコンビを組んで、NHKの報道にイチャモンをつけていた様子も記憶している。会ったことはないが、彼は麻生太郎内閣で財務相になっていた。そして2009年、ローマでのG7財務相会議の場で、呂律も回らない「酩酊会見」で失脚、選挙で落選し、父親同様に命を絶つ。
不思議な悲劇の運命に涙を誘う。
この酩酊会見にナベツネの罠を見て取れる?そんな恐ろしい事態が、人気の動画で浮上したことを知った。本日は元読売り記者が背景を説明する動画も公表された。本ブログのささやかな貢献かもしれない。筆者のもとにも、昭一夫人が酩酊会見の真実を公開した記事が送られてきた。
ナベツネ読売の手段は、法廷に持ち込んで処理するという強引な手口だ。読売は初めて墓穴を掘った!
<酩酊会見はナベツネCIAの策略疑惑浮上か>
この事件について全く知らないが、問題の場所に読売新聞と読売系テレビの二人が同行していた不思議な組み合わせに誰もがおどろく。しかも、二人とも女性記者。財務省の随行官僚が、中川の麻布高の同期生の局長だ。しかも、読売記者との仲も云々されている。
この妙な布陣を用意できる人物は、たった一人しかいない。
思い出す必要もないが、安倍に20年もつき合わせたNHK女性記者!男をたぶらかせるには女。CIAの世界のやる手口だ。読売の正力松太郎とCIAは、ナベツネとCIAへと継承されている。
筋書きがみえてくるではないか。
<中川財務相は米国債購入反対派=愛国政治家>
文春がフランスを代表する思想家と対談している。
その見出しは「中国・ロシア・イランの独裁者の方が合理的」エマニュエル・トッドが警告するトランプとアメリカの非合理性。彼は日本とドイツはアメリカの属国を指摘する。サナエの台湾有事発言に厳しい目を向けている。
(台湾は)日本の空間には属していないという認識のもと、「日本が台湾有事の時に関与すべき国だと捉えるのは危ないし、正しい認識ではない」と断じた。「歴史の推移の中で台湾は中国に支配されているわけではないが、地政学的には中国の空間に属している」日本の空間には属していないという認識のもと、「日本が台湾有事の時に関与すべき国だと捉えるのは危ないし、正しい認識ではない」と断じた。
「反中国的な態度は偽のナショナリズム」と断罪。「私が注目するのは、“想像上のナショナリズム”が日本にはあるのではないか、ということだ」と切り出し、こう続けた。
「実際には日本は従前の主権を回復してなくて、アメリカの下にいる。その枠の中で反中国的な態度を取るのは、偽のナショナリズムにはまり込んでいくことでしかない」真のナショナリズムとは「日本を上から抑えているアメリカから自立独立を勝ち取っていくこと」に他ならないと主張した。
日本の極右・日本会議・ナベツネ言論への警告であろう。中川の米国債購入反対は正論である。本物のナショナリストだった。ゆえにワシントンは中川をつぶそうとした。そうしてナベツネと財務官僚が、中川を罠にはめた。違うだろうか!
彼は緊急事態条項にも反対していた。しからばなぜ安倍との共同歩調だったのか。日本会議・ナベツネの闇を探ろうとしていた?彼の本心は正義の護憲リベラルだったかも?
2026年4月3日記(茅野部落の仙人)
正力・ナベツネの読売は売国奴か!
中川昭一、死の真相 中川 郁子さんの投稿
現時点では削除されておりません。
https://x.com/shimihiro_kitaq/status/2038139209509396917
リンク付きです
https://x.com/shimihiro_kitaq/status/2038141460240056320
中川 郁子
11時間 ·
夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった…
同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。今でも疑問に思います。
2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。
リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。
日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」と聞きました。日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」テレビもネットも大騒ぎだったのです。スマホ、タブレットもSNSもない時代です。
本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。
ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。
成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。
なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか?
わたしは、夫の問いに「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」と答えるのが、やっとでした。翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。
IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に戻ったのだそうです。
しかし、その後、「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、と説明をしました。
後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。
山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。
オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。
そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。
越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。
一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。
夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。
このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。
夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。
この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。
事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。
原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。
その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。
話は戻ります。
ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」と言われました。
わたしからは「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」とお応えしました。
玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。ワシントンで、別の経済公使から紹介されました。夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。
帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。「病室ではテレビを見ないでね」と、高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。
数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、「見た、信じられなかった…」
そのときの夫の顔を忘れることができません。
わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原尚之財務官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。
玉木林太郎さんは、その後、財務官に昇格し、夫の死後は、OECD事務次長へと異例の出世をして行きます。夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。
「自分は、アメリカから殺される」「こどもたちを頼む」夫が繰り返し、わたしにそう話すようになったのは、亡くなる10年ほど前からだったと、思います。
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