本澤二郎の「日本の風景」(5812)
<ナベツネ御用新聞化に単身抵抗した反骨秘史>29
アメリカ1か月取材旅行は、言葉の壁をW・バレットさんという有能な日本通アメリカ人が筆者の期待に見事こたえてくれた。それゆえの成果である。改めて感謝したい。「民主主義のアメリカ」を紹介してくれた恩人だが、きっかけは派閥記者20年の卒業作品「自民党派閥」が作ってくれた。1年間、米大使館の政治担当外交官に講義をした謝礼だ。
1週間に一度赤坂の大使館を訪問して、食堂の片隅でコーヒーを飲みながらのレクチャーだった。1か月4回に掛ける12だ。最初は面食らった招待が、希望する取材は何でも可能だという。はたとひざを叩いた。正力も、恩師・宇都宮を裏切ったナベツネも、謀略機関のCIAとの関係が深い。
「改憲軍拡原発推進」という彼らの野望を仕掛けた犯人は、ワシントンに違いない。そのための取材なら、政治評論家という第二の人生に役立つと直感した。本を書くという出版計画などなかった。しかし、帰国してみると、これをナベツネへの挑戦状として世に問うべきだ、と判断した。

いまこうして本を開くと、忘れられない庶民との対話が目に浮かんでくる。いいアメリカ人のことだ。むろん、W・バレット氏は別格だが、ほかにもいた。

<日系二世のありがたい遺言>
カルフォルニア州都のサクラメントの農場経営者・トクノシローさんの苦労話は、いまではわが遺言となってわが精神について離れない。
いいアメリカ人は、日系二世のいい日本人だった。彼は人生のすべてを語ってくれた。それは「同じ過ちをするな」という祖国日本への、情愛に満ちたもので、2026年の今では本物の遺言となった。
戦前の「神の国」になるな!いい日本人とアメリカ人に感謝したい。善人に国や民族は関係ない。

朝鮮半島から中国大陸へと侵略したヒロヒトの野望は、中国の皇帝の地位を夢見て、狙ったとしか
思えないが、アメリカは昭和16年の時点で、日本との戦争を予見していたのだろうか。この年にトクノさんは、ロサンゼルスの金門橋下の軍用機の倉庫に向かった。そこで日本軍の中野学校のような施設で、日本の地理もやれば、日本語の草書体文字まで習った。文法も。「朝の6時から夜の11時まで、必死で日本について勉強した。土曜日も日曜日もなかった。昭和16年11月からだった。真珠湾攻撃の一か月前。生徒は60人ぐらい、先生は4、5人。そうして日本語覚えた」
「日本との戦争がはじまると、米軍の情報部員となった。ミネソタ州からフィリピンへと派遣された。日本が降伏すると、東京のマッカーサー総司令部(GHQ)に移った。総司令部は軍政と民政に分かれていて、民政にはいろいろな部門があって、農地改革もその一つだった。林業には手をつけなかったが、小作農はまるで奴隷のようだった。封建的な主従関係といってももよかった。その点、山には小作はいなかった」

今の我が家は50年前に資本金300万円で建てたもので、敷地は戦前から戦後にかけて小作農の両親が耕作していた。春は小麦、秋はさつまいもで、我が家の生きるための食料供給基地となっていた。ナベツネ家と比較できないほどの小さな資金だった。だが、これが筆者の胸を張れる強みなのだ。両親に感謝である。
無事に生還してくれたおかげで、現在の自分がある。渡辺恒雄の財産相続はどうか? 

<「財閥解体は中途でやめた!」との衝撃証言>
世の中のことについて知らないことが多すぎる。
戦争勢力の国家神道「神の国」と軍閥と財閥は、立派に解体したと理解していたが、実際は違った。
軍閥は自衛隊に変身、国家神道は神社本庁、財閥は中途でやめた。
なんということか。日本史はそう教えていない。
トクノさんは「財閥は間違いなく生き残っている」。「昭和25,6年ごろ対日政策が変更した。ソ連と対抗するためだ」ときっぱりと決めつけた。自衛隊を発足させ、武器弾薬めーカーを生き延びさせたのだ。
そうしてみると、GHQは一体なんだったのか。
 
<次男は財閥「東芝病院」で命を失った!>
財閥の脅威を教えてくれたのは、財閥の東芝経営の東芝病院だった。
次男・正文は、他人を傷つけるような悪いことなど一切しないまじめ人間だった。帝京病院の東大医学部OBの教授助教授のひどすぎる診断ミスで植物人間にさせられた。13年の自宅介護の後に、誤嚥性肺炎で東芝病院に緊急入院したものの、数時間後に痰が喉に詰まっての窒息死。看護師が100分も放置していた、あまりにも初歩的な看護ミス。反省も謝罪もしないため、やむなく警視庁に告訴した。

<告訴したが検事・松本朗は被告の東芝に軍配!>
警察の書類送検に東京地検の、松本朗なるイカさま検事が不起訴にした。財閥に屈した検事の存在に驚かされたが、如何せん無知な凡人ジャーナリストは、その後に経産相秘書官から「役所のなかでの東芝の政治力は絶大。検察を動かすことなど簡単」との説明を受けてがっくり!
正文は、父親に政府と財閥の癒着と腐敗を学ばせてくれた。 
次男の無念はわが無念。
正文の死の翌年に311フクシマ東電が核爆発。3号機がなんと東芝製の問題原発だった。

<反省と謝罪をしない財閥は今も継続>
ヒロヒトに次いで反省も謝罪もしない財閥は、韓国の最高裁判決にさえも抵抗している。韓国人の強制労働や従軍慰安婦問題は、今後も長く尾を引いていく。
この財閥へと血税を投げ込んでいるアベノミクス。サナエの積極財政は、そのためのものだ。亡国の元凶といえるだろう。

<「平和にために尽くしたGHQ時代が人生最高」と二世>
GHQの通訳として働いた時のことが「人生最高」とトクノさんは叫んだ!
このような日系二世の、心からの心情吐露に反骨ジャーナリストは、うれしくて仕方なかった。彼が当時日本にいれば、体を張って東条英機に食らいついたであろう。すばらしい日系アメリカ人の思いを胸にしかと
押し込んだ。いまこうして本ブログで紹介できることが幸せでならない。
改憲軍拡に狂奔するサナエは何と答えるだろうか?

<日本国民は九条憲法に大喜び>
彼は9条憲法を次のように語った。
「憲法9条はすばらしい。戦争を放棄したんだよ。軍事力を持たない。こんな国は当時どこにも存在しなかった。日本国民も本当に喜んでいた。この目で何度もみたんだよ。誰一人として反対しなかった。日本国民はわれわれ進駐軍を歓迎してくれた。マッカーサー元帥を、日本の多くの国民が尊敬していたんだよ」
日本を代表する官僚政治家の宮澤喜一は、日本の敗戦を喜んだ。「今晩から家に電灯がつく」といって。
まともな日本人は「神の国」を信頼していなかった。敗戦こそが幸せの代名詞だった。

<「アメリカも9条が欲しい」松本英子のような弁護士に感動>
バレットさんは、ロサンゼルス郊外のごく普通の家庭に案内してくれた。たまたまそこに近くで暮らしている中年男性弁護士も姿を見せていた。
別れ際に彼は「われわれアメリカ人も9条がほしい。戦争しないアメリカが一番なのだから」と心から声に
出してくれた。戦争国家の若者はいたたまれないだろう。特に差別される黒人は、優先的に命を差し出さねばならないのだから。その点で日本人は幸せだ。
80年前の教訓を忘れまい。
戦争に狩りだされない日本人男性は幸福である。ボロは着てても心は錦でいられるのだから。
アメリカ人人弁護士は、アメリカの地で人生に幕をひいた非戦論者の松本英子のような人だった。敗戦後の日本に生きた自身の幸運に乾杯したい。

<日本人は命がけで9条死守!>
日本は世界最高の憲法を手にした、最高に幸福な国民である。
9条を死守して、世界に輸出しなければならない道義的義務を負っていることを認識すべきだろう。今だけ自分だけの利己主義者では、あまりにも情けない。
いわんや戦争国家に手を貸すような、自民党の神道信者の悪魔人間は、人間の屑である。

「中国の大警告」と「アメリカの大警告」をぜひとも開いてみてほしい。足で稼いだ珠玉のような人がいっぱい出てきて、真の友達になってくれる!
2026年3月2日記(政治評論家)