本澤二郎の「日本の風景」(5760)
<宇都宮徳馬と廖承志の約束>
年明けの5日、高市早苗首相が三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝した際、安倍晋三元首相の遺影を持参していたことが話題となりSNS上で波紋を広げている、との報道に接し、彼らの狂気を肌で感じた。原始宗教のたわごとに振り回される日本国民もたまったものではない。政教分離に違反する。
この機会に改めて日中の国交回復に政治家として命を懸けた日中友好協会3代会長の宇都宮徳馬と、中国の周恩来総理の下、対日外交責任者の中日友好協会初代会長・廖承志の永遠の契りを振り返ってみたい。筆者の台湾での平和統一工作もまた、廖承志の意向を受けたものだった。

日中友好協会が結成されたのは1950年、宇都宮3代会長時代がいわば黄金期で、1972年の田中・大平の歴史的な国交正常化を後押した。筆者が勤務していた東京タイムズ・徳間書店・大映が制作した「敦煌」は、宇都宮の支援で北京政府の合意を取り付けたものだ。当時の文相・中島源太郎も筆者の期待に応えてくれた。北京での特別試写会には西田敏行・三田佳子ら俳優も参加、一緒に食事したのが、芸能人との最初で最後の出会いとなった、中島の長男・隆太郎君のカメラが今も居間に飾ってある。
日本と中国の友好協会の太いパイプが、日中友好を堅固な城を約束した。「絹のハンケチ」と言われた藤山愛一郎は、経済界の代表として常に宇都宮の傍らに席を占めていた。

<大平正芳と鍵田忠三郎と廖承志の約束=台湾の平和統一工作>
歴史は動く。台湾派の福田赳夫が三木武夫の後継者となると、最大の外交的課題は平和条約の締結だった。福田の背後にはA級戦犯の岸信介が控えていた。北京は「福田後」の大平内閣での決着を想定していたが、どっこい大平は、福田内閣の自民党の大番頭・幹事長として、目白に蟄居していた田中角栄と綿密に協議、外相の福田派参謀の園田直工作に角栄側近の政務次官・愛野興一郎にゆだね、福田内閣での決着を急いだ。
そのために北京の密使に奈良市長の鍵田忠三郎を起用した。
大平の用意周到な作戦に北京の廖承志は動かなかった。「福田では無理だ」と。鍵田はケツをまくった。「あんたは大平を信用しないのか。わしは大平の使いでここにきている」という剣幕に廖承志も納得した。こうしてめでたく平和条約は福田内閣の下で成立した。大平の作戦勝ちだ。

筆者はこの辺の事情を鍵田と愛野から詳しく取材していた。愛野は母校の先輩。学閥も時に有効である。
この場面で鍵田は、廖承志から台湾の平和統一について内緒の重大な任務を要請されていた。鍵田は政界入りすると、当時中曽根内閣の下で飛ぶ鳥落とす幹事長・金丸信を中国寄りにする一方で、筆者に対して台湾国民党工作を依頼してきた。
当時、宇都宮から「中国の困っていることに日本人は協力すべきだ」と言われていた。人生意気に感じて二つ返事で応じたものの、一度も台湾に行ったことがない。台湾に人脈などあろうはずがない。一案を考えた。蒋介石の台湾に対して太い人脈のある政治家探しだ。よく知る岩動道行参院議員に絞った。彼の台湾人脈を平和統一に活用する!

<吉田首相秘書官から政界入りした台湾派・岩動道行説得に成功>
岩動は京都大学OBで池田勇人の後輩。吉田茂の三羽烏の一人の衆院議長・林譲治の娘婿。吉田内閣秘書官から政界入りした、なかなかの人格者。口の堅さは大平並みだ。
彼は時流を読める人だから、現在の北京の変化にも理解する。彼は納得して筆者に岩動親書を託してくれた。台北を全く知らない凡人ジャーナリストに対して、彼は腹心の中田繫秘書をつけてくれた。
当時の台湾は戒厳令が敷かれていた。彼と一計を案じた。「家族旅行」である。

1985年(昭和60年)8月20日決行が決まった。岩動の紹介に東京の台湾事務所は大歓迎である。人脈の太さに感謝感激である。

<本澤真知子の訪台日記=家族総出で台北旅行>
手元に妻の真知子の日記が見つかった。おかげで台湾当局の面会者の名前が判明した。
国民党秘書長の馬樹礼・外交部アジア局長の沈仁標・新聞局長の張京育・国民党青年部幹部との会見がセットされた。一介の東京タイムズ政治部長に対して、台湾国民党の手厚い待遇に改めて感謝したい。

彼ら国民党幹部に北京の平和統一のボールを遠慮なく投げ込んだ。北京政府として台北に人脈が全く存在しない時代の、東京からのボールにそれぞれ紳士的に話し合い出来たことはうれしかった。
今思うと家族6人の経費が45万円である。なけなしの財布を思い切りはたいての訪台に、われながらびっくりだ。一人7万5000円。
当時の年齢は43歳の東京タイムズ政治部長、長男春樹が16歳、次男正文15歳、光男と輝夫が13歳。
おまけが吉田茂や林譲治の配下で大蔵省人脈が豊富な高知県南国市の病院長・高橋正六62歳と秘書の大西ルミ25歳も同行した。

改めて感心する。自費での訪台旅行での和平工作。だれも援助してくれなかった。清廉潔白人間はいまもわずかな年金暮らし。カネの支援ができないのが苦痛の種である。
このくだりを非買本として1000冊印刷した。この秘密の平和工作の概要本はまだ手元にある。希望者は声をかけてくれれば贈呈したい。43歳の秘密工作にはわれながら驚く!宇都宮~廖承志に対する報恩の誠かもしれない。台北の驚きは、500冊を即座に燃やしたことから、その政治的影響の大きさを裏付けているのかもしれない。
2026年1月10日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)