本澤二郎の「日本の風景」(5730)
<中国侵略やめれば日米戦争は起きなかった!(ハルノート)>
歴史に無知な政治記者は、12月になると宇都宮徳馬が話してくれたことは、初めて聞く「ハルノート」のことだった。日米戦争直前の米国国務長官・ハルの最後通牒のことで、それは「日本が中国侵略をやめれば、アメリカとの戦争は起きなかった」のだ。誰もが米国に敗北すると信じていたが、好戦的な陸軍の東条英機に天皇・ヒロヒトも国家神道の神風を信じ込んだのか開戦に踏み切った。それとも「皇帝の国を天皇の植民地にしたい」という野心のせいだったのか。皇帝中国・王は朝鮮・日本は天皇と古来より皇帝に決められていたことさえ気づかない日本人。結局のところ、ヒロヒト・東条主導による日米開戦の秘策が、真珠湾攻撃であった。戦争と宗教は一体である。

中国侵略の悪しき実績に、軍部のお先棒を担ぐ朝日新聞などの報道が無知な神道氏子信者の脳裏を狂わせてもいた。今戦後80年、同じような好戦的世論が噴きあがっている!「戦場に狩りだされる若者にも」と歴史を知る老人たちは震え上がっている。
歴史に無知な安倍2号は「竹島(韓国名・独島)も日本固有の領土」と国会答弁して、新たに韓国民の反発を買っている。孤立する日本にトランプ支援はまだない。

1941年12月8日の真珠湾攻撃で米国の世論は、アジアの小さな島国を叩き潰せと怒り狂う。その先にヒロシマ・ナガサキの悲劇が起きるのだが、真珠湾の半年後の1942年6月のミッドウェー海戦で日本軍は敗北すると、翌年の2月ガダルカナル撤退。1944年10月フィリピンのレイテ海戦、同7月にはサイパン島陥落、1945年3月から6月にかけて沖縄戦の大悲劇、同3月東京の目と鼻の先の硫黄島陥落、同8月6日と9日に原爆投下。結果は300万人の死。最高責任者のヒロヒトは戦後も生き抜いた。以上は消し去ることが出来ない日本悲劇の史実である。

<沖縄戦・ヒロシマ・ナガサキの原爆投下もなかった!>
米軍の力を緒戦から知っていたヒロヒトと日本軍の屑のような劣将に、本心から怒りがこみ上げる。
資料によると、以下の通りだが、要するに日本軍の中国大陸からの全面撤兵。この当たり前の決断が出来なかった国家神道に埋没したヒロヒトと軍の劣将に起因する。

1941年(昭和16年)、日本は日中戦争の泥沼化と南部仏領インドシナへの武力進駐により、アメリカやイギリスなどから石油をはじめとする戦略物資の全面禁輸措置を受けていました。事態を打開するため日米間で交渉が続けられ、日本は独自の妥協案(乙案)を提示しましたが、アメリカ国務長官コーデル・ハルはこれを拒否。1941年11月26日(日本時間27日)、ハルは野村吉三郎大使と来栖三郎特命全権大使に対し、このハルノートを手交しました。 
ハル四原則は1,すべての国家の領土保全と主権の尊重2,他国の国内問題への不干渉3,通商上の機会均等(平等原則)4,平和的手段による変更を除く太平洋の現状維持。具体的要求は1,日本軍の中国大陸および仏領インドシナからの全面撤兵。2,蔣介石(国民政府)以外の政権(汪兆銘政権など)の否認。3,日独伊三国同盟の破棄を示唆する内容。
また真珠湾の奇襲作戦を「だまし討ち」が欧米の世論だ。
「真珠湾攻撃は1941年12月8日(ハワイ時間7日)に日本が米英に奇襲攻撃を仕掛けたもので、宣戦布告は攻撃後(同日午後)になされたため、宣戦布告なしの奇襲攻撃となり、アメリカは翌日日本に宣戦布告し太平洋戦争が始まりました。日本は平和交渉を続けながら攻撃に踏み切ったため、宣戦布告が遅れたことで「騙し討ち」と非難され、米国民の怒りを買い、日米開戦の大きな要因となりました」
ヒトラーは自殺、ムソリーニは民衆蜂起で殺害されたが、ヒロヒトは生き残った。しかし、どうもがいても天皇制の限界を裏付けた。

<大中国に喧嘩を売った安倍二号の前途>
世論は揺れ動く。最近の新聞テレビの世論調査は危うい。原因は安倍二号に配慮した世論誘導のお陰であって、真実を伏せたイカさまの調査でしかない。
外交も財政も理解していない最初で最後の首相として、いずれ叩き潰されるに違いない。露骨すぎるつくられた台湾有事は、国際社会が容認しない内政干渉の極め付きである。米国と中国の経済危機に悪乗りした、軍国主義の手口そのものとの批判は的を射ている。
カルトの統一教会に徹底的なメスを入れられない日本政府に対して、韓国は徹底排除に動き出している。
岡田克也の追及は正解である。護憲リベラル派の賛同も得ている。武器弾薬で平和も個人の幸福も手にすることはできない。
「日本人の平和主義はいい加減なものではない」と叫んだ宇都宮の一撃は今も、これからも生きている!
2025年12月10日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)