本澤二郎の「日本の風景」(5644)
<「南京に立つ」24>
日本は非戦の国・武器弾薬ではなく平和外交にかける、いわば永世中立国が本来の姿。戦後80年、そこへと舵を切る責任が為政者にあるのだが、安倍の極右政治の下で軍事費が倍増し、国民生活は物価高と福祉の低下などで疲弊して哀れをかこつ現在である。
極右の軍事勢力は、現在、元自衛官のガキが最高責任者。その前にはやくざ代議士のせがれも。ガキはおもちゃ(軍備)をいたずらする。どこの国でも。最近も台湾沖を米英艦隊が通過し、露骨な緊張を振りまいて、台湾を危機に陥れている。武器弾薬はそれ自体が危機を招来させる。ガキのいたずらで戦争が起きる危険性が強まっている。そうした中での自民党総裁選。有力者はともに靖国・戦争神社の参拝議員。もうこのことだけで戦争の危機を招き寄せている。背後に控えている財閥は、血税を救い上げてツケを子供たちに平然と回している。
この事態をさらに強める二人の候補者は、慎重さも才能も知恵もない永田町の厄介者だ。30年前の賢い日本国民は激減している。無能・無責任なナベツネ残党言論が、彼らを煽り立てている!
マッチ1本で欧州も中東も大火事だ。同じことが東アジアでも起きかねない。そうした自民党の総裁候補選挙に、今の日本がさらされている。
そのことに気づこうとはしない、ゆでガエルばかりの政治屋と官僚だらけの日本を、佐倉市の前田昌徳医師は?
<「歴史を直視し、潔く償うべし」と佐倉市の前田昌徳医師>
人の命をもてあそびながら暴利を懐に入れるやぶ医者が大量に存在する中で、佐倉市の前田昌徳医師は、加害者である日本人としてどう生きるべきか、暗中模索していたのかもしれない。
彼は旅先で中国人記者や中国共産党機関紙の人民日報幹部の生の声を聴いて、日本人として生きる道を探し当てていた。そして回答を手にして成田空港に戻ってきた。
「日中戦争は日本の軍国主義者が起こしたもの。中国人民と日本人民はともに犠牲者との認識」「加害者からの心からのお詫びの言葉がほしい」「日本政府の公式の謝罪を求めるもので、その代償を求める考えはない。代償、補償は求めない」
知識人向けの機関紙「光明日報」の陳志江記者は「日本政府はサンフランシスコ講和の翌年から、戦没者遺族援護法と軍人恩給で、A級戦犯処刑者を含めて、内に厚く外に薄く(1991年まで国内支出33兆円でその後も、対外支払い1兆円で完了)1990年の湾岸戦争では130億米ドルを支出している。私見によれば、人道的配慮があってしかるべき」とコメントしている。前田さんは「当然考慮すべきだ」と応じた。
「韓国や英国、豪州軍人からの個人補償請求から見て、中国でも民間補償請求へと発展する」と医師は予見していた。戦争の副作用は拡大するものだ。二度としてはならない。こうした事情など高市ら皇国史観論者には無縁であろう。昨今、彼女の目つきが狐に似ているとの指摘を聞いた。狐とはだますという意味である。
余談だが、昨日は友人に誘われて「小櫃川の水を守る会」39回総会に顔を出した。新井総合という奇怪な産廃業者が、小櫃川の源流に東洋一を誇る巨大な、危険有毒な産廃場を作った。案の定、漏水で河川や地下水汚染で、裁判沙汰に発展した。千葉地裁の判事は、当たり前のように業者に軍配を上げた。事程左様に判事は財閥など企業側に軍配を上げる癖がついている。
日本はカルト神道によるムラ社会で地方も動いている。そこに住民弾圧組織としてやくざ暴力団も付着して、本来の住民自治を抑え込んでいる。これが復活した国家神道(神社本庁)と連携し、右翼勢力の岩盤となっている。昨今は戦前回帰そのものと言っていい。覚悟の市民運動を組織しないと、善良な命の水運動は勝利することは無理なのだ。
筆者の「やくざ暴力団追放国民会議」立ち上げは、善人の運動体には不可欠なのだ。スキャンダル、特に女性問題を抱えている政治家は無力だ。米西部劇の世界では、やくざギャングの暴走に対抗して住民は自警団を組織したが、今の日本でもやや西部劇の世界が物事を左右している側面が垣間見られる。スキャンダル政治屋や官僚、言論人は無力といっていい。
<民間の戦争被害請求は可能=日本の右翼化に比例>
93年3月には銭基深外相、同4月江沢民総書記も民間の損害を容認した。すなわち戦争被害も国家レベル(1200億米ドル)、民間レベル(1800億米ドル)と。前田医師の記録に驚く。
安倍に続く極右政権が誕生すると、中国の人民による損害賠償請求が本格化するかもしれない。それは韓国や北朝鮮にも伝染するかもしれないのだ。
日本の右翼政権の誕生は、新たな賠償問題を本格的に提起することになるだろう。
<日本の国家体制と戦争責任への無自覚の恐怖!>
前田さんが本格的な中国研究家であることに、改めてうなずくほかない。日本の国家体制と、日本人の戦争責任の無自覚についての指摘には同感するほかない。
「天皇を中心とする神権国家。何事も天皇の裁可によって個人の責任を排除する体制」であるという。したがってここからは筆者の見解だが、一切の責任はヒロヒトとなる。この当たり前すぎる事実を、日本人は誰も指摘しないのである。そのヒロヒトは処刑台を回避して生き延びたのだ。奇々怪々とはこのことか。
「占領統治は天皇の存在が不可欠」というだましの屁理屈を宣伝することで。戦争裁判さえも埒外なのだ。「騙された善良な、平和を愛する天皇」論で国民と国際社会をだまし切ってしまうという前田さんの指摘は、まさにその通りだ。
<記念館の目的はすごい!>
「戦争記念館の目的は、戦争の実態、加害と被害を見据えて、その原因から防止へと過去の歴史を学び、平和を考えることだろう」と前田医師は断言する。頷ける。
ただし、加害国と国民が歴史の教訓を学び、実践することが重要であるが、戦前回帰する日本は新たな過ちを繰り返そうとしている戦後80年。自民党総裁選とその前の石破おろしがくっきりと裏付けている。
「被害者問題は怨念」と指摘する前田医師の指摘にも納得したい。南京の記念館の最後の部屋に、師団長陸軍中将谷寿夫の判決書と銃殺後の遺体の写真があるという。知らなかった凡人ジャーナリストだ。思うに谷は「天皇の身代わり」だったのか?
彼はヒロシマの欺瞞にも触れる。「原爆ドームも課題」ありと指摘する。「日本の戦争犯罪をあいまいにした認識と謝罪を放置したままに、ヒロシマから核兵器廃絶を訴えても世界の理解は得られない」と断罪している。
筆者は原発の阻止なくしてヒロシマの叫びは少ないと考えていたが、確かにヒロシマの岸田文雄が、護憲リベラル派の牙城・宏池会を破滅させた罪はあまりにも重い。岸田はゴミくずのような政治屋だ。そんな岸田に自民党総裁選候補者が挨拶?漫画ではないか。
<ヒロヒトと靖国の罪は万死に値=前田医師の痛恨天を衝く>
歴史の教訓をハナから排除する靖国の遊就館にも言及する前田さんは、まさに平和の使徒か。
「この靖国に祀られている戦没者の遺品や史料など保存し、天皇と国(筆者は天皇制国家主義と呼ぶ)を何の疑いもなく同一視している。戦後50年を記念して二階に今次大戦末期に特攻隊員として戦死した若い兵士の遺品らを展示してあるが、戦死を名誉なこととたたえ、悲劇でもみじめではないと思わしめ、さらに後に続く決意を鼓舞する姿勢は、怨念を顕示する隙を与えない」「このように純粋無垢な死、隠された死を思うとき、再び怨念が生じる、これらを統率した大元帥昭和天皇の責任を考えざるを得ない」
今を生きる日本人識者・文化人は、どう応えることが出来るのか。安直に「南京はなかった。幻だ」と石原慎太郎のような極右の言動に惑わされてはなるまい。
2025年9月14日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
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