本澤二郎の「日本の風景」(5635)
<「南京に立つ」15>
筆者が南京の土を踏んだのは1989年6月。高知県南国市で、夫妻で病院を経営していた医師の高橋正六さんの中国訪問に同行していたら、そのコースに南京が入っていた。不勉強な政治記者は、南京大虐殺記念館について、格別に興味も関心もなかった。歴史を知らないごく普通の日本人記者でしかなかった。
むしろ、ハルビンの731部隊の生体実験に肝をつぶしていた。日本兵の蛮行のほとんどは、北京郊外の抗日戦争記念館を訪問すれば、ほとんどを理解することができたことも。
確か在京政治部長会として北京を訪問し、中南海での要人会見のあと、盧溝橋を見学したのだが、肝心の抗日戦争記念館に立ち寄ろうとしなかった。今から考えると、日本の言論界は日本の負の遺産から逃げているばかりだったことが理解できる。東京・永田町の権力抗争にうつつを抜かして生きてきた日本人は、自ら日本人の過去についての研究心など持たなかったのかもしれない。
すなわち、戦後のいい加減すぎる日本史教育に呑み込まれていた。悲劇的だが、これが実態だった。「盧溝橋を見学しても、すぐ近くの抗日戦争記念館を覗こうとしなかった」という日本の言論界の姿勢に違和感さえ持たなかったと思う。過去を忘却する日本人の多くが、そうだったといえる。到底、国際人にはなれない情けない民族性は、戦後の教えない教育にあった。
悲劇の栄養士・影山友子さんは「95年7月に広島県教育部が実施した、平和を創る世界市民教育講座を聞いたが、そこで日本とドイツを比較していた。ドイツの戦争の覚え方と日本の戦争の忘れ方のリポートでは、負の歴史をこれからの世代に伝えていくドイツに対して、日本は過去に目を閉ざし、歴史教育に積極的でない日本を指摘していた」と書いていたが、確かにわれわれ日本人は、過去に目を閉ざしてせっせと核開発・原発促進に自民公明など全政党が右寄りの危険ライン上を走っている。しかも、311東電フクシマ核爆発事故も蓋をして再稼働にかじを切っている。
歴史の教訓を学ぼうとしないどころか、核兵器大国を目指してせっせと核の原料であるプルトニウムをため込んでいる。誰もがおかしいと思っていても、現実は原子力マフィアに押し切られ、それを読売産経日経が宣伝している。政界と言論界の腐敗の共闘であろう。
不勉強な凡人ジャーナリストは、高橋訪中団に同行したことで、南京大虐殺記念館に足を踏み入れた。1972年に中国と向き合い、宇都宮徳馬の門をたたいたことで、ようやく一人前の日本人になれた。それでも石原三文作家のような極右の日本人は、特に岸信介の流れをくむ安倍の清和会に存在する。
30年前の戦後50年に腰を上げた当時50歳の女性が、影山さんのほかにまだいた。
<本澤宮子さんは南京大虐殺記念館で涙、涙>
「昭和20年生まれの私は、50歳の思い出にと初めての海外旅行でもある南京研修旅行に参加した」という富津市生まれの宮子さんは、30年前の上海の薄暗い空港に驚く。「ロビーはほの暗く人影もまばら」という発展途上の巨大都市イメージは、翌日の浦東開発地区見学で変わる。
そして列車に揺られて南京へ。プラタナスの街路樹に安堵しながら、翌日の大虐殺記念館では涙で顔がくしゃくしゃに。「強い衝撃に心も体も破裂しそうになった」のである。
歴史を知らない、教えられない日本人女性の抱く第一の衝撃的な印象である。1989年の筆者もほぼ同様だった。「日本の旅行者は記念館に行きたがらない」というガイドの説明には怒りが込み上げてきた。帰国してまっすぐに宇都宮さんに会って、記念館の様子を報臆すると、彼は主宰する月刊誌「軍縮問題資料」にすぐ書きなさい、と指示した。
宮子さんは、記念館に一歩足を踏み入れると無数の人骨に足が震えあがる。「30万人の一部」の中国人の無言の、言い知れぬ怒りのうめき声が聞こえてくるようなのだ。こんな場面は、映画でも目撃したことはないのだから、足元がぐらついてくる。
「まさか、まさかこんなことがあったのか」「すべてが目を覆いたくなる残酷で悲惨なものばかり」だった。
<子供たちに事実を伝え戦争反対を貫く>
「日本人が、どうしてこんなことが。悲しさで涙が止まらない」「このことを中国人は知っていて、日本人は知らない!」「自身の無知を恥じるとともに、戦後の日本の教育にも疑問を抱いた」
中国には、こうした歴史記念館がいくつも建設されている。1972年の日中国交正常化(田中内閣)と続く平和条約の締結(福田内閣)で安定へと突き進むはずだったが、岸の台湾派の暴走発言など日本政治の右傾化を警戒した中国政府は、若者のための「教育基地」として記念館建設を始めたものだ。
他方、歴史を学ばない、教えない日本の教育の欠陥が、日本人の歴史教育に貢献する。筆者は、そうして1989年に初訪問をしたものだ。
<二度と戦争を繰り返さない日本へ=現実は逆行SOS>
1989年の中国訪問では、団長の高橋医師が北京市内のトイレに100万円を置き忘れた。警察(公安)に行くと大金が届けられていた。
1955年の南京で宮子さんは、カメラを紛失した。それが北京市内において無事に戻った。中国教育国際旅行社に感謝感激である。
30年後の中国ではどうか?サギが横行する現在では、到底想定などできない。カネがものをいう経済社会では、無欲の善人しか信頼できる人はいない。何事も発展は人の心をゆがめる。
2025年9月5日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
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