本澤二郎の「日本の風景」(5632)
<「南京に立つ」12>
あれから30年の歳月がたった。筆者は次男正文が東芝病院での医療事故死(反省も謝罪もなし)、ついで妻の真知子を311フクシマ核爆発事件の2年後に重い肺がんで失った。東芝に家族を奪われ、財閥の恐怖が肩にのしかかっている、そんな人間にさせられてしまった。所詮、人間の運命は紙のように軽いし、花のようにはかない。
自身も数回命の危険に遭遇しながらも、幸いにも元気に生きている。これも不思議だ。母方の健康遺伝子のせいかもしれない。昨日登場した1945年の日本敗戦時に生まれた日高嘉江さんに、友人を介して30年ぶりに連絡しようとしたら、すでに亡くなっていることがわかった。元気をなくした。猛暑どころではない。
猛暑の原因は海水温の上昇が主な理由であるが、犯人は原発の冷却水が高温になり、それを大量に海に垂れ流している。これが欧米からアジアにおいて365日繰り返されている。原発廃止が不可欠だが、自民党のお先棒を担ぐナベツネ言論による情報操作によって、原発推進の潮流は勢いづいている。読売は犯罪的言論であると断罪したい。
昨今の石破おろしの主犯は、ナベツネの残党の仕業だ。共産党から極右の岸・笹川・児玉・中曽根に食らいついた、米国CIAの代理人の正力・ナベツネに、いまも翻弄されている日本政府と言論界にため息が出る。権力を監視する反骨のジャーナリストの出番だろう。
<影山友子さんは南京の「大屠殺」に驚く>
歴史を直視し、過ちのない道を歩む人間でなければ、再び繰り返すことになる。自民党の極右・神道日本会議の清和会政治路線の下で、日本は舵を極右に切ってしまい、それをナベツネ言論が喧伝、日中関係は1972年以前に逆転してしまった。
こうした誰でも理解できる政治変動を、正確に報道しない中で、無党派層に亀裂が生まれた。排外ナショナリストは要注意。
影山友子さんは戦争遺児である。いわく「中国訪問の目的は、戦後50年と父が昭和1944年7月15日、硫黄島の海で戦死して50回忌、私もことしで50歳、そして戦争を知らない風化世代で遺族でもある第二の出発点と、さらには平和運動の一端となれれば、との思いで参加した」。圧倒される参加理由ではないか。
今年は父の80回忌であるが、彼女もこの世にいない。美人薄命というが本当である。3人の子供にも恵まれたが、誰一人母親の重すぎる心魂を理解できなかった。やくざに屈している。悲劇はこの上ない。
初日、彼女も暗い上海空港の暗さに驚いた。だが、二人の娘を音楽学校にいれるという民間の音楽家は、2日目の和平賓館のジャズに酔いしれた。「予想通り学生時代に戻ったような素晴らしいひと時」と活字に残した。「再び中国に行く機会があれば、ぜひとも覗きたい場所」と音楽家然とした思いを。しかし、その機会はやくざ暴力団浜名によって奪われてしまった。
<第二の人生の夢を打ち砕いたやくざ強姦殺人鬼浜名を極刑>
「ジャズを聴き、ダンスを楽しむ60歳、70歳のアメリカの老婦人たちのいかにも楽しそうな印象が忘れられない。あのような老後の人生ができたら、どんなにか素晴らしいことか」。戦争遺児の第二の幸福人生の夢を奪った3本指の強姦魔犯人、現在は訪問介護の「かけはし」(木更津市)経営の浜名を、強姦殺人罪で逮捕し、極刑にしたい。そうしない2014年以来の木更津署長と刑事二課の刑事に、心の底から怒りを覚える。
彼女の母は産婆さん。木更津市内のおよそ3000人が、筆者を含めこの世に生を受けた。父は同市畑沢の素封家の出身だ。彫刻家を目指していたがヒロヒトの無謀な戦争が、夢を断ち切る。実家では米軍のB29の撃墜機の米兵の死体を、影山家の所有する山林に埋めて供養していたのだが、息子は硫黄島戦線に向かう輸送船が米機の爆撃で沈没し、文字通り海の藻屑となった。父は戦死、娘はやくざ浜名の犠牲となって、幸せな老後を奪われてしまった。
「血も涙もないやくざ暴力団」追放が、人間の使命である。やくざ系市長に屈する人間にだけはなるな。人間らしい人間として生きなければ、人間の価値はゼロである。
4日目が南京に立つ記念日だ。「展示された資料や映画を通し、本当に衝撃を受けた。大学教授の井原先生の説明で私も気付いた。日本では大虐殺と言われているが、中国では大屠殺。これは中国の人々の憤りがいかにひどく、今でも心の底で日本を許していない。帰国して屠殺を辞書で引くと、食肉をするため家畜を殺すこととあった」。
中国人は文明大国である。知恵者が無数にいる。日本人はおそろしいほどいい加減な民族である。それゆえに他国民(帰化人支配)の支配にも自立しない、できない。やくざにも屈する情けない民族である。やくざに屈した千葉県警や木更津署は、税金泥棒と言われても反応しない。警察庁さえも沈黙している。
<核実験反対=元凶の原発反対=公明党の自衛隊参戦法大反対>
影山友子さんの真っ当な心からの文章力も立派だ。平和への思いは一般人をはるかに超えている。戦争遺児の信念は、靖国という戦争神社否定の国際人である。歴史家の井上清の「神社神道は原始宗教レベル。お粗末な原始の闘いの宗教」でしかない。
核廃絶は、核の元凶である原発反対でなければ無意味だ。日本は大量の核燃料であるプルトニウム大国。核兵器大国も可能だ。
彼女が公明党に反対した理由は、自衛隊を戦争に狩りだす戦争法制にあったろう。
<戦争遺児の鋭い感受性・非戦平和は松本英子並み>
彼女はよく茅野七曲り部落を散歩した。母親の実家は七曲りでわが母と同じ地区。東京で医師を目指したが資金不足で断念、その代わり3000人の赤子を木更津市に授けてくれた。
馬来田地区一番の功労者だった。貧しい農民は産婆代も払えなかったが、それも覚悟の上だった。空襲警報の中をたった一人の遺児を抱きかかえて、新しい命を両手に抱きしめた。敗戦後にたくさんの命を取り上げた。
戦前戦後に生まれた馬来田人間は、彼女のお陰で今がある。忘却は犯罪であることを伝えておきたい。茅野村から非戦の松本英子が誕生したが、その実践者は影山友子だった。母の実家はともに松本姓。上総の国望陀郡茅野村は非戦の原点だ。
<漢代の「文姫」の掛け軸は今どこに>
影山友子さんの第二の自由人生は、母親の介護と北京で手に入れた漢代の水墨画の掛け軸「文姫」。とても素晴らしい作品だったと思う。彼女は毎日この絵が「心のオアシス」となったといって筆をおいた。心優しいと本人が言っていた長女(四街道市)が保管しているのかもしれない。ふくよかな美人は、自身を連想していたものか。やくざ強姦魔浜名追及をやめないことを誓う!
2025年9月2日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
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