本澤二郎の「日本の風景」(5572)
<先祖・家の格式が人をつくる=千葉三郎故郷・東金初訪問>
昨日は陣場台の核汚染ごみ不法投棄事件を暴き、原状回復に向けて暴力に屈しない日本初の覚悟の市民運動をしている元宏池会秘書の御園豊が、無農薬の雑草住宅に害虫と共に暮らす茅野村の仙人をドライブに誘ってくれた。行く先は東金市の図書館。古文書を調べるというのだ。古文書といっても、明治・大正期の房総の村々の様子を伝える多田屋書店編纂部の「房総町村と人物」(大正7年)。
紙が茶色に変色した分厚い名鑑を、拡大鏡で食い入るように見る御園の姿は、晩年の千葉三郎を思い出す。自民党の右派勢力を素心会なる議員連盟に束ねる千葉の、岸信介の野望とは異なる清廉な一面を思い出す。秘書の寺部かつが、事務所の全てをやりくりしていた千葉事務所に、国際勝共連合(統一教会)の若者が、岸経由で運転手が潜り込んできた。寺部は「近づくな」と駆け出しの政治記者にブレーキを踏んだ。千葉に人生をかけた彼女の姿は、理屈抜きに美しく見えた。
東金市図書館は、千葉の後継者の石橋一弥によって実現したという。千葉氏一族の書物がたくさんある。館内は明るい。職員の対応もよい。ここなら拙著「本澤二郎の日本の風景」10巻もいいかもしれない、などとふと思ったものだ。
<後継者・石橋一弥が図書館建設=やくざ暴力団排除>
図書館には、東金市の憲章が壁にかかっていた。「平和を愛し、郷土を愛し」「緑豊かな文化都市へ」という、なんとなく千葉の政治信念がうたわれている。
戦いとか暴力を否定する憲章である。東金市は以前は千葉3区。やくざ代議士の選挙区でもあった。それを許さない東金市と言わぬばかりだ。
現在の小選挙区でやくざ代議士は、千葉12区になった。結果、君津安房郡市が、やくざの巣となり、木更津市や袖ヶ浦市などやくざ系首長が次々と誕生して不気味だ。
ハマコー人脈を継承した倅が12区を牛耳り、全県をハマコーの運転手が抑えて、出自不明の知事・熊谷俊人の首根っこをつかまえている。間違いないようだ。呪われた房総半島である。
古く戦国時代では甲斐武田、鎌倉の北条氏、安房の里見が攻防を繰り広げた半島も、今日では帰化人勢力が乗っ取ってしまった。それは野球にも。君津市には、近くロッテの練習場が、やくざ勢力によって工事が始まろうとしている。そこにぶら下がる衰退著しい公明党創価学会。房総半島のごみ溜め化がくっきりと見える。
<旧平岡村の名士・御園勇治=馬来田銀行の野村家>
日本の教育のでたらめぶりは、少しでも近現代史をかじればわかる。それもひどすぎる。そもそも天皇史はひどい。朝鮮半島から逃亡してきたのであろうが、それ故に神がかりの物語やカルト神道で、後世の人々の目をたぶらかせ、塞いでしまう。
敗戦後でも蓋をして恥じない。明治天皇のいかつい感じの容姿は、皇室の雰囲気にほど遠い。大室寅之助は田布施の人か。明治の秘密もたくさん詰まっている。万世一系などありえない。人間を狂わせる技が、常に権力にはまとわりついているのだ。
それはともかく、大正7年に多田屋書店が編纂し、出版した名鑑は房総の姿を簡潔にとらえて興味深い。余計な形容がない。
茅野村を経て馬来田村に名称変更したのは、万葉集の「宇麻県多」(うまくた)から「馬来田」になったものらしい。そこに馬来田銀行が存在した。頭取は野村秀吉。太閤秀吉からとったものか。偉い人物の名前を拝借するのは、昔からだ。
この馬来田銀行を支えていた人物が、隣村の平岡村の御園勇治だったことを、御園家の継承者は馬来田銀行近くの理髪店主から聞いていた。
御園勇治のことは既に触れた。この界隈の「財閥」に相当した。開墾から養蚕、古くからの望陀つむぎ、さらに牛馬の飼育から売買で巨万の富を手にした。それを野村家の馬来田銀行に預金していた。
野村家の後裔・野村泰は戦闘機乗りから戦後、明大から東京新聞に入り、知事特別秘書を経て千葉日報編集局長、千葉テレビ常務を歴任した。拙著「腐臭列島 房総半島の闇」(データハウス)は、野村の告白証言をもとに書いたものだ。
茅野村の神童・松本英子は、女性初のジャーナリストとして、古河財閥の足尾鉱毒事件で素晴らしい記事を連載し、注目を集めた。天皇制国家主義を排して、自由の地のアメリカに政治亡命し、そこで思考に思考を重ねて、人類に先駆けて戦争をしない、できない非戦思想を打ち立てた。明治大正の英傑である。彼女の非戦論は、敗戦後の憲法9条誕生の20年前のことである。「茅野村の仙人」を名乗る理由だ。
この史実を多くの日本人は知らない。神童・松本英子は父親から東洋の儒学・仏学を体得し、上京して津田梅子の実家に居候して、そこで洋学・民主主義を体得した。そして戦争で暴利を得ている古河財閥と対決した。敬意を表したい。
筆者は次男正文(早稲田OB)を財閥・東芝の病院で命を奪われ、いまだに反省も謝罪もしない黒企業と対決するという運命に追い込まれてしまった。案の定、その後に東芝の大掛かりな不正発覚と311東電フクシマの東芝製3号機の核爆発(水素爆発は嘘)と、さらに核汚染ごみの袖ヶ浦市陣場台不法投棄事件の因果が、反核の憲法違反へと火が付いた。
自民党を操る財閥は死の商人そのものだ。血税を懐に入れ、台湾有事による好戦的外交を突き進める自公体制を、日本の明日に託すわけにはいかない。そのためのペンである。松本英子の古河退治と本澤二郎の東芝退治と、両者の非戦と好戦の対決でもある。歴史の因果は、ほとんどがつながっているのである。
<鶴舞の塚原老人宅で「陣場台核汚染ごみ不法投棄事件」の動画に驚愕する!>
東金から木更津に向かう途中、御園は市原市鶴舞でハンドルを切った。老いてますます元気な地方史研究家の塚原老人の、まるで優雅そのものの邸宅の庭に止まった。
早速YouTube動画の「国民主権に反するは排除」をスマホで開いた。「NO69本澤二郎の放射能汚染土」を開くと、陣場台の全景が出てくる。塚原も御園も仰天した。二人は「これは分かりやすい」と叫んだ。本ブログ読者は、スマホでもパソコンでも見られる。ぜひともこれを見てもらいたい。近くに行楽地のドイツ村、身障者施やくざ系産廃企業・ワコーのフクシマ放射能汚染土不法投棄のすぐそばには、大きな養鶏場が3つも。地震による土砂崩れが起きるとどうなるのか。袖ヶ浦市・千葉県と木更津署の責任はどうなるのか。
(奈良県平群(へぐり)町のメガソーラー造成現場で5月下旬に土砂崩れが発生し、下流域の住民が盛土規制法に基づく対応を奈良県に求めている)
<神社は日中・日米戦争期に大量建設判明(各地区(部落設置)に設置=300万人の若者の死>
新発見!それは各地区(部落)にある神社は、大正期は村に数か所しかなかった。ということは、若者を戦場に送りだす宗教的装置、たとえば武運長久などという偽りのおまじないで戦場に狩り出すために、昭和期に国家神道よろしく大量に建設されたものであった。
若者の命を奪うヒロヒト侵略軍を、神聖なものだとまじないをかける神社として、大量につくられた。その後に地区の公金を流用して再建したものも少なくない。
死んだら靖国というおまじないに現在も引っかかる哀れすぎる人間が存在する。現に半島出身のやくざ代議士は、長男に靖国の靖を命名している。途端に自衛隊員が靖国神社に参拝し、戦争ムードをあおっている。
21世紀に、神話に取りつかれる奴隷人間がいる!日本会議だけではない。自公の終わりの始まりか。
2025年7月2日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
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