本澤二郎の「日本の風景」(5526)

<茅野村の神童・松本英子は偉大な言論人兼国際的思想家>

YouTubeには、神童といえる音楽家が登場して活躍している。本人はすごいが、両親が音楽家として幼子にピアノやバイオリンを持たせることから始まる。

戦前の神童・松本英子の父親は、農業の傍ら地方の漢学者として寺子屋を開いて、周辺の農家の子供たちに論語など儒学(四書五経)を教えていた。幼子の英子は、その環境が幸いした。

論語をすらすらと読み書きし、見事な書で大人たちを圧倒した。漢詩の名人でもあった。驚いた県令(今の知事に相当)は、英子の神童ぶりに驚愕した。彼女は頭脳で素晴らしい力を発揮した。まさに天才的天才だった。


<幼くして論語、書や詩の名人=津田梅子の実家で英語の達人>

筆者が好んで紹介する「大学」の一文は「修身斉家治国平天下」。いまの永田町や霞が関の界隈には、修身の人はいない。したがって修身斉家の人もいない。家庭が乱れている。安倍や玉木はその典型だろう。

政治家らしい政治家がいない。官僚らしい官僚もいない。いわんや守銭奴の塊のような経済人にもいない。「丁稚小僧」と売りこんで注目された松下幸之助にしても、彼の最後の人生は偏狭な民族主義を松下政経塾で強要した。同塾OBはみんな政治屋で、平和な人材はゼロだ。


幼くして漢文・漢籍になじんだ英子は、書にも漢詩にも通じて世間を驚かせた。時は明治。近代化の波に父親の貞樹は、上京して洋学の津田梅子の実家に預けた。そこでも彼女の語学力は他を圧倒して、間もなく青山学院大学の前身の築地海岸女学校、お茶の水大学の前身の東京女子高等師範学校を卒業。茅野村の娘としては、信じられない華族女学校で教鞭を取る。

1900年(明治33年)には、男の仕事のような新聞記者となって、日本の公害第一号とも呼ばれた足尾鉱毒事件を取材。それこそ何日も現地入りし、被害住民の苦悩をしっかりと活字にして、当時としてはすばらしい連載記事を書いた。女性記者第一号に違いない。東西文化を体得した英子のペンは、いまでも日本言論界の鏡であろう。


カルト神道天皇制国家主義下の戦争経済推進による足尾銅山採掘批判には、官憲の目が鋭く光っていた。その中での取材は、最近では予想もできないほど厳しかったことが想像される。この時の彼女の見事な取材記事は、今も国立国会図書館に所蔵されているという。

被害者の救済活動にも飛び込んでいった英子の勇気ある行動には、後輩の反骨ジャーナリストも頭が上がらない。


<東西思想を基礎に殺し合いのない命を守る社会目指して格闘>

英子は1902年(明治35年)に渡米している。

戦争経済を支える銅の生産は、国家的課題として軍部や商工官僚の監視付きである。官憲ににらまれた英子あやうしだ。このときどんなやり取りがあったのか。

詳しい資料はないが、渡米は政治亡命に違いない。彼女のペン先の鋭さを想起させる。彼女は茅野村から長じて教鞭をとり、ついで人々の危機救済のために言論人として、命を懸ける言論人として大成するが、それは日本での生活をあきらめることでもあった。

彼女の上総の国望陀郡茅野村でののんびりした生活は、許されなかった。彼女の実力・才能は、津田梅子をはるかに凌駕していた。


<非戦の日本国憲法9条誕生の29年前に邦字紙に発表>

思うに1947年5月3日施行(吉田茂内閣)の日本国憲法は、ワシントンとA級戦犯の後継者らによっていたぶられているが、しかし、9条そのものは日本国民の血肉になって久しい。

カルト神道の日本会議や松下政経塾や読売・産経・日経の新聞テレビの野望にもかかわらず、平和憲法は不動である。強行すれば、100歳の老人でも国会デモに押しかける。

戦争ほど悲惨なことはないのだから。武器弾薬で国民の命と幸せを手にすることは出来ない。80年前の教訓は永遠に生きる。子供でも分かっている。「武器弾薬を持つな」という英子の叫びは、アジア・国連に波及する。松下政経塾の罠にハマるわけにはいかない。


英子の闘いは1918年からだ。彼女の非戦運動は、講演・詩や論文となって、第一次世界大戦から始まった。女性の叫びは、世界の婦人の心に届く。詩人・与謝野晶子は「君死に給う勿れ」と歌って話題を呼んだが、英子のそれは人類に向けて、公然と当時、自由の自由の大地から発した。キリスト教会にも。


第一次世界大戦の真っ最中、米国の「在米婦人新報」(同年2月15日付)に発表したのが、第一弾となった。「反戦」ではなく、「戦争NO」なのだ。ロシア・ウクライナ戦争は、双方の指導者に責任がある!


<米国の押しつけ論は右翼・戦前派の大嘘>

この10余年の間、安倍晋三らはことあるごとに9条を批判して、改憲世論を喚起することに徹した。NHKの女記者は英子を見習うべきだ。「米国の押しつけによる9条」は嘘・捏造である。日本国民の「NO戦争」は、昔も今も変わらない。


「台湾有事は日本有事」だと安倍とその仲間たちは、戦争の危機を煽り続けてきた。これは国民の税金を、福祉から武器弾薬に回す巧妙な作戦でもある。ことほど戦争は財閥と為政者の金もうけになる。政治屋の手口だ。


<非戦の9条は日本人による人類救済の英知>

争いは、武器弾薬を手にすると起きる。アメリカのバイデンがウクライナに大量の武器を送り込んだ。そうして戦争は今も継続している。NO戦争こそが人類の意志である。

武器弾薬を捨てよ!

戦後80年、日本人の英子の英知が、人類の英知を呼び起こす原動力にしたい。そうしなければならない!以上は府馬清の「松本英子の生涯」(昭和図書出版)による。府馬の本名は松本英一。彼女の資料は府馬ゆえに収集されたものだ。

2025年5月16日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)