本澤二郎の「日本の風景」(5498)
<見えてきたトランプ流交渉術>
トランプの手口が見えてきた。米国商人のそれである。高い要求を吹っかけて、相手を畏怖させる。ついで柔軟な米国のための内容で決着させる。自身の不動産取引の成功術を、外交交渉にも適用している。したがって決裂し、破局させることはしない。相手の言い分も聞きながら、自身の思いを貫徹させる。それだけのことだ。武器弾薬を行使はしない。
ただ、外国はアメリカの財政悪化の深刻さの元凶であるドルの紙切れ化について、いまだに幻想を抱いている。ここに問題が潜んでいる。物事が起きると、その前にCIAが飛び込んで事態の様子をつかみ、即座に軍事行動を起こして、問題を処理してきたのだが、むろん、それも困難となった。第一、そうした力を失ってしまっているアメリカの衰退をトランプは確信している。
外国に軍事基地を置いて米兵を駐留させるという80年前の手口は、過去のものになっている。戦場から復員した米兵の薬物犯罪や精神の崩壊で、米国社会は崩壊し、戦争をする力を失っている。残された手口が関税戦争によるアメリカ再生なのだ。
<武器弾薬で繫栄することは不可能=時代は軍縮平和>
核兵器をいくら積み上げても使用はできない。核兵器大国が沈んでいる戦後80年に、人類は目を向けなければならない。ロシアの軍事力も「張り子のトラ」に過ぎなかった。それはどこの軍事大国も同様である。
だが、日本は42兆円という超軍事大国を目指している。EUのNATO諸国も大軍拡に踏み出した。これこそが第二のアメリカ化そのもので、亡国への道を歩み始めている。
大不況下の大軍拡は、国民の福祉を破壊する。産軍体制化の国はは、人間を死滅させるだけでなく、地球環境も破壊する。
<高い塀で畏怖=第二弾・米国1でまとめる不動産屋交渉術>
トランプは戦争しないハッタリ大好き人間だ。大風呂敷を広げて相手の度肝を抜く。経済戦争を仕掛けて相手の譲歩を勝ち取る。いうところの武器弾薬の本当の「戦争」はしない。戦争は破壊破滅そのものだから。
「日本は関税障壁である消費税を廃止する」といえば決着するかもしれない。彼はアメリカの経済を支えてきたビッグ3の再生が悲願なのだ。「アベノミクスのような財閥優遇の軍拡車優先の消費税還元方式を廃止して、金持ちは米国車に乗れ」と叫んで怒っているのだ。
「日本のコメに700%関税はどう見ても理解できない」とも叫んで、日本の消費者の怒りを爆発させている。農水利権にメスを入れようとしている。米国の不動産成功者の交渉術であろう。
日本のバブル経済のさいの、日本財閥による米国建造物買いの怒りは、今も消えていない。
<F公民館の「ふるさと講座」でやくざ暴力団史研究を提案?>
話題を変える。昨年から月1回の「ふるさと講座」という公民館活動に参加している。昨日2025年度の開講式に参加したのだが、18人中9人が参加した。新任の国鉄職員から、高給で知られる東京都職員を65歳で定年を迎え、新たに木更津市の職員になって、この講座の担当者になったという。まだ名前が記憶できない。
開講式では「希望の講座」について、参加者の希望を聞いてくれた。筆者は戸惑いながらも「ぜひやくざ暴力団の巣である房総半島のやくざ史に興味がある」と提案した。
幸いなことに隣席の千葉順一君が「この界隈でやくざに殺害された夫人がいた。ネットでも記事になっている。それはとても参考になる好企画」と賛成してくれた。
「千葉県警のマル暴担当刑事のプロを講師に呼んでみてほしい」と提案書に書いた。
<千葉三郎元労相の縁者・順一君に出会う>
犬も歩けば棒にあたるという。千葉君の名刺を確認すると茂原市上永吉。驚いて「千葉三郎の地元か」と聞くと、その通りだった。米国を代表するバイクの王様のようなハーレーダビッドソン愛好者らしく房総半島をくまなく走り回っているという、実に優雅な人生を過ごす60台の若者だ。
これには講座担当者も元国鉄運転手だから「退職したらぜひ自分も」と言い出した。房総半島で米国オートバイが、チンピラやくざを退治する日も近い?
政治記者1年生は、真っ先に千葉事務所の門をたたいた。穏健な千葉さんは、敗戦後の宮城県で官選知事をしたことから、政界に転じた。東京帝大ではA級戦犯の岸信介の先輩だったらしく、筆者の前でよく「岸君」と口走っていた。素心会という反共議員連盟の会長にも担がれていたが、性格は穏健そのもの。彼の見識は、一度労相になって懲りたらしく、二度と大臣にならなかった。
秘書の寺部かつさんが「入閣には大金が必要。それに懲りたんですよ」と教えてくれた。金で大臣は今も。「やくざ代議士の倅はO億円も使った」と元水田三喜男秘書が教えてくれた。岸田文雄も悪すぎる。千葉さんは敗戦時の秘話を語ってくれた。鈴木貫太郎首相は暗殺寸前、隣家の千葉邸に逃れて助かったという。ブラジルのトメアスには生前に墓地が出来ていたくらい、ブラジル日本人会の繁栄に汗をかいていた。
我が埴生の宿は、両親が麦とサツマイモを作って4人の子供の胃袋を支えてきた畑。調整区域だから家を建てられない。千葉派の地元議員が手伝ってくれて無事に完成した。築50年、資金300万円の家である。うち200万円は東京都からの借金。
我が家の一軒家が、今は20戸になった。水害ゼロ地帯だ。住めば都である。千葉さんのお陰だ。
千葉家は代々茂原の眼科医で、近在から患者が押しかけていた名医で知られる。わが「ふるさと講座」が、久しぶりに千葉三郎さんを泉下から呼び出してくれた4月17日となった。
2025年4月18日記(茅野村の仙人・房総半島の自然を死守する会・日本記者クラブ会員)
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