本澤二郎の「日本の風景」(5425)
<特集・日本の警察=マスコミとかばい合い>
駆け出しの社会部記者は、一般的には警察(サツ)回りからスタートする。すべての記者は、警察が用意した記者クラブに所属し、捜査当局の発表情報を活字にしてデスクに送る。そこから「日本の警察は優秀」との神話が生まれる。無知な子供が先生に言われる話を鵜呑みにして「真実」として社会に出ると、落とし穴に落ちるまで気付かない例がいいのかどうか。
事件によっては「警察による情報操作」に気付くことはない。そんな一人だった筆者は、内務官僚出身のたとえば後藤田正晴、秦野章、渡辺一太郎らと親しい関係を維持してきた。秦野とは「日本警察改革論」(エール出版)を書いた。秦野の主張する「ネズミ捕り反対」「実力主義で県警本部長になれる警察」という当たり前の主張を評価したためでもある。後藤田については、日本訪問中の韓国の反軍事政権の金大中が、あやうく殺害されそうになった時、宇都宮徳馬が後輩の官房副長官の後藤田に緊急連絡した。彼がそのことを在日米軍に協力を求めて助かった。その後に、彼は韓国で最初の民主派の大統領になった。後藤田は中曽根内閣の官房長官になると、読売改憲新聞の渡辺恒雄が支援してることを警戒し、周囲に「わしの目が黒い間は改憲させない」と豪語していた。彼こそは護憲リベラル派の大将だった。大平内閣が彼を副総理にし、万一に備えたものである。
渡辺は敗戦時に伊勢神宮の正体を調べ上げ、暴いたたった一人の警察官僚として高く評価したい。「天皇は朝鮮人だ」と断言して、この世を去った。お人好しの日本人は、外国人を「現人神」と信じて侵略戦争を戦い、300万の若者が命を失った。実に不思議な民族ということになろう。
本日の核心は、警察と新聞テレビのもたれあい・かばい合いを中心にまとめたい。昨日の本ブログで紹介した「木更津レイプ殺人事件」を朝日新聞木更津通信部の記者に取材するように頼むと、なんと「警察が動かないと書けない」と言って逃げた。彼は警察こそ真実と信じていたのである。同時にやくざ暴力団取材はタブーと言いたかったのだ。確かに目下の我々は、袖ヶ浦市陣場台の住人を含め命がけの闘いをしている。
<警察の広報宣伝=発表記事に専念=記者クラブ制度も一因>
大手の新聞社は、日本独特の記者クラブ制度を有効に活用している。首都圏紙の東京タイムズで取材していると、そのことを強く感じた。記者クラブ幹事社制度を活用して、取材される警察と特別な関係を利用してトクオチをしないようにしている。同時に特ダネに接近できる足場を有している。警察の広報担当者とのなれ合い関係によって、中小のブロック紙や県紙は常にはじき出される。
支局長になった時の体験も、今考えると言論と警察の腐敗そのものだったことを理解できる。大手の記者が事件事故に巻き込まれると、支局長会に緊急連絡が入り、新聞に掲載するな、という驚くべき要請が届く。警察と新聞テレビの歪んだ、不正をもみ消すという暗黙のルールを知った。新米の支局長は、悪しき支局長会のルールを破ることなどできなかった。
これは自民党派閥記者も同様で、記事を書かない記者が派閥で重用される。これは経済部でも芸能記者も同様である。
渡辺恒雄の前任の政治部長・多田実の筆者への伝言の中には「ワタツネは大野伴睦の懐に手を突っ込んで、その金を韓国に同行した各社の記者に配って歩いた。部下の報告で知って驚いた」というのである。渡辺はジャーナリスト失格どころか人間失格であろう。そんな悪党が亡くなるまで主筆だった!読売は新聞ではない。
<フジテレビとの一度きりの出演>
中曽根後継人事が佳境に入ったころ、筆者は社長の徳間康快(元読売記者)と対立した。彼は安倍晋太郎がいいという。徳間グループの主な銀行が首都圏で活動する平和相互銀行という関係からだった。平和相互が福田派清和会との関係が濃厚だったことも、その理由であるが、筆者は護憲リベラルの宮澤喜一という立場を崩さなかった。竹下登は眼中になかった。
それまでは徳間の要望(勲章)を処理してきたのだが、断腸の思いで希望退職するほかなかった。信念を貫いた最初で最後の大勝負だった。政治部長をやめることは、在京政治部長会も辞任する。8年9か月の在任期間は、むろん最長記録である。読売の渡辺はおろか、それまでの記録保持者の産経の阿部さんも抜いていた。
生活の助け舟になってくれたのは恩師の宇都宮徳馬のほか、フジテレビ政治部長の船田さん、時事通信の政治部長、朝日新聞政治部長ら。真っ先にフジテレビの出演が決まったのだが、テレビと新聞は雰囲気が違う。それさえも理解せずに飛び出した。大失敗だった?
その出演した場に清和会支持者ばかりの面々など頓着なしに「安倍は厳しい」と真実を即答した。その後に嫌み質問が続く。「なぜ厳しいのか」についてもきっぱりと「彼は健康がきつい」と正直に答えてさすがに岸の娘婿とは言えなかった。案の定、出演は一度きりで終わった。おそらく日枝久はびっくりしたはずだ。フジサンケイが右翼的な清和会・福田派だという、当たり前の政治環境を反映するコメントではなかった。
もっとも代わりの生活手段となってくれた、時事通信の内外情勢調査会の講演では、数年余全国を駆けずり回る機会を手にした。ちょっとした小旅行に満足した。富山県講演では義父・広岡慎次の生まれ故郷・福光町を訪問し、町長と懇談することが出来た。広岡は慶応ボーイで東宝映画に入社し、敗戦後の三大争議のさいは、会社側の総務部長として苦労し、50代で亡くなった。東宝争議には米軍の戦車まで登場したと聞いた。
東宝はいまどうなのか?戦争が敗戦後の日本をズタズタにした。それは日米安保で、今もがんじがらめになって日本を沈没させている。
<中曽根後継を聞かれ正直に「安倍晋太郎の健康問題」>
繰り返すがフジの政局問題における正直な発言は、テレビ界では通用しないことを悟らされた。安倍の健康問題はその通りだったため、政権は中曽根の影響力行使のための軍資金を用意した竹下に軍配が下りた。竹下はその分、よくしてくれた。田中角栄の秘書に東京タイムズ政治部の先輩・早坂茂三がいたせいでもあろう。
政治家の健康は致命的である。石橋湛山が証明している。晋太郎は不倫と徹夜マージャンも災いのもとだった。晋三も似ていたが、だからと言って昭恵の暴走も気になる。
<改憲軍拡のツネ・氏家・久枝独裁が消滅>
言論界の腐敗はいまだ改善されそうもないが、既に日本テレビの氏家も亡くなって久しい。ついで渡辺恒雄は大金を懐にいれたものの、墓場にもっていくことは出来ない。息子がどう処理するか。
財務省・国税庁のOBが救済するのだろうが、果たして許されるものか。久しくナベツネと久枝の太い絆で民放を牛耳ってきたが、後者には外人部隊の株主がブレーキをかけてきた。久枝もお陀仏であろう。
政権与党も力を失った。幸いにも野党が分裂している。
国会追及も爆弾が投下されそうもない。問題は「野菜も食べられない」「車にも乗れない」という市民の怒りの声を、野党が代弁していないことだ。自民党幹事長が農林族として、裏側で糸を引いていないのかどうか。彼の出自がYouTubeで公表されたのだが。
神道日本会議・統一教会・創価学会カルトも、右翼言論界のボスが消えて、影響力を喪失している。正義の警察が目を覚ますか?散歩中に梅の花が一輪咲いているのを見つけた。立春も過ぎた。房総半島陣場台の住民は、やくざ暴力団を警戒しながらも、春到来のいい芽を見つけようと必死なのだが。
2025年2月5日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
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