本澤二郎の「日本の風景」(5397)

<なにゆえの神社神道(伊勢神宮)での記者会見?>

馬耳東風の年頭会見を今年は、神社本庁という戦前の国家神道の本陣で各党(共産・維新・社民を除く)が勢ぞろいした。赤紙1枚で戦場に狩り出され、300万人が命を失った戦争神社をすっかり忘却した戦前回帰現象に何があったのか。神話の世界に躍り出たようなアマテラスオオミカミを全く知らない凡人は、ひたすら戸惑うばかりである。


戦前の赤紙組は、地元の神社で神がかりの戦勝祈願をして出征した。現在の国民の代表者は、神社の挌上の伊勢参りで背中を押してもらおうというのか。はたまた戦前の戦闘態勢を構築した、大政翼賛会を内外に印象付けようとしてるのか。明白な事実は政教分離の憲法違反だということに尽きる。恐ろしい政界の闇の一歩を踏み出したものだとすると、主権者は2025年の亡国への一里塚を認識し、覚悟しなければなるまい。

日本の極右・日本会議が笑っている様子が目に浮かぶではないか!


<中曽根首相に同行してみたがさっぱり不明>

首相の年頭会見を一度は体験しておこうと国家主義者で、読売が広報宣伝よろしく支援した中曽根康弘の伊勢参りに同行してみた。列車内で中曽根秘書のTが冷えた缶ビールとおつまみを配ってきた。ほろ酔い気分での参拝の記憶はゼロ。むろん、年頭会見も。

意味不明の中曽根伊勢参りでしかなかった。今回の石破茂の参拝もさしたるものではなかったろう。単なる天皇制国家主義の政治的慣行に過ぎないのだから。しかし、何かを書かねばならない。同行記者は、その一点で会見に臨んだはずであるが。泣きたい!


<京大の歴史学者・井上清いわく「原始宗教に毛の生えたお祓い教」神社本庁の一宗教法人=憲法の政教分離違反明らか>

宗教と戦争は不可分の関係にある。結果は自国民と相手国民の暮らしと大自然を破壊して終わる。いかなる宗教も勝敗を決める力などない。国と国民を疲弊させる不幸の根源。

それでも為政者は、何かがないと心細くて戦うことは出来ない。気休めの対象としての宗教なのだが、日本のそれは原始の宗教である。「カミ風が吹く」などという戯言で命を捨てる若者の無念と悲劇の強要は、たまらなく怒り狂う。そのあとの人生だった凡人は、幸運だった。結論を言うと、それでも神道は戦争の非物理的な武器だった、その責任は計り知れない。

再び多くの若者を、嘘で固めた靖国に引きずり込もうというのか?


日本を代表する歴史学者・京大の井上清は、神社神道を「原始宗教に毛の生えたお祓い宗教」だと論破している。神社本庁のコメントを聞いてみたい。日本において神道が飛び出すと、もうそれだけで軍靴のにおいに人々はおののく。


<内務官僚・渡辺一太郎の敗戦時調査「天皇は朝鮮族」と喝破>

無責任で好戦的な政治屋と極右・日本会議の罠にはまる勿れ!戦争で暴利を手にする財閥の傀儡政権に命を委ねる勿れ!


1945年の日本敗戦時、内務官僚の渡辺一太郎は300万死の責任を負う伊勢神宮を自ら調査した。占領軍のGHQの指令に従ったものかどうか、いまでは確認のしようがないが、彼は遺言のように筆者に明かしてこの世を去った。

渡辺の伊勢神宮調査では、神道はすべて朝鮮族の宗教だった。「本澤君、驚くだろうが、伊勢神宮は朝鮮族の宗教。すなわち天皇は朝鮮族だ」と明かした。むろん、信じられるわけもなかったが、この10年、20年の間に朝鮮王朝の韓国映画を見ていると、渡辺の調査に納得するほかなかった。


アマテラス云々の物語は、それを隠すために創造したものだ。宮内庁の宗教的雅楽は朝鮮王朝のそれとそっくりだ。在京政治部長会でソウル五輪の年に訪朝した際、韓国外交部の高官は「ヒロヒト天皇の葬儀は、我が国の王朝のそれとそっくり」と断じた。

中国は皇帝・朝鮮は王・日本は天皇というランク付けは、古来に確立したものだ。朝鮮王朝の血統は、長州と薩摩の田布施には存在する。岸信介・佐藤栄作の兄弟は長州の田布施出身の帰化人である。

在日韓国・朝鮮人の多くが政界の中枢に潜り込んでいるのも、理由がある。芸能人やスポーツ選手に限らない。彼らの政治志向と天皇教信仰は、いわば当たり前なのであろう。

ちなみに豊臣秀吉の朝鮮征伐や戦前の朝鮮侵略と植民地支配にも、天皇族の意思の反映とみることもできる。歴史は為政者によってつくられる。日本の古代史はほぼ作られた代物と考えた方がいい。


以上のことから日本外交を論じるのであれば、日本の近隣外交は対話友好が不可欠である。21世紀は戦国時代ではない。中国との友好もまた不可欠だ。


<戦前の国家神道回帰は亡びの日本象徴>

靖国も伊勢も神社神道は、戦前の侵略戦争と植民地支配について、永遠ともいえる政治道義的戦争責任を負っていることは、否めない事実である。

現在、神道は朝鮮や韓国にも存在していない前近代のカルト教団でしかない。文鮮明の統一教会レベルで人々に不幸を強いる。そこに国民の代表が参拝!狂気の沙汰である。

資料によると「古来、最高の特別格の宮とされ、現在は神社本庁の本宗であり、「日本国民の総氏神」とされる」とあるが、現代人には有害無益。むろん、個人の信仰であれば自由。公人の参拝は憲法に違反する。憲法違反政党支持は天に唾する行為である。

2025年1月7日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)