本澤二郎の「日本の風景」(5387)
<第二の正力松太郎・渡辺恒雄 +悪徳官僚と悪徳有識者=核兵器向けの原発回帰>
新エネルギー基本計画が例の怪しげな利権有識者によって了承され、年度内に閣議決定される。岸信介・正力松太郎・中曽根康弘・渡辺恒雄らが敷いた、憲法違反の核武装化への道は変わらない。原発利権に群がる悪魔たちに日本は押しつぶされるのであろうか。
2025年も地獄のような、幽谷の深い谷にかかるつり橋の上を歩かされる日本国民かもしれない。有権者の審判さえ無視する原子力マフィアの暴走に国民は、厳しい目を向けて対峙、原発再稼働を許してはならない。既にフクシマから房総半島の水源地まで核汚染ごみが、やくざ暴力団によって不法投棄されて10年近い。東北復興資金を奪い取ったゼネコンとやくざ暴力団に日本政府も沈黙、自治体も彼らの配下に入っていることも、袖ヶ浦市陣場台の事例で分かっている。
<電力財閥・経産省・文科文科省の原子力マフィアの暴走>
言論界を配下にした原子力マフィアの暴走を止める手段は、容易なことではない。新聞テレビが「脱炭素化」を合唱することで、無知な民を抑え込んでしまう。その点で、正力や渡辺の罪は、重すぎるのだが、それでもテレビ芸者らは本人がいなくなった現在でももてはやしている。
血税をたっぷり吸いこんで優雅な暮らしを約束される原子力マフィアに対して、ひとり抵抗する物理科学者の存在を忘れてはなるまい。フクシマの経験を学ぼうとしない。東芝の崩壊さえも気付こうとしない原発推進派が、この国の中枢を抑え込んでいる。
読売・産経の独走を許す日本の言論界は、もはやジャーナリズムではない。
財閥と官僚と言論が提携すると、国民を地獄に落とし込むことが出来る現在の日本である。誰か否定できるか。「脱炭素化」という言葉の裏に「太陽光」など自然エネルギー排除の野望が見て取れる。日本には原発はいらない。巨大な地震国では建設してはならない。この当たり前のことを拒絶する、一部の原子力マフィアに日本を委ねてはならない。
靖国参拝派・反中派の小泉でさえも、原発禁止を叫んでいる。これは正しい。それでいて永田町には政治家がいない。カネ亡者の政治屋ばかりだ。房総半島ではやくざに投票する狂った人たちがいる。その中には平和運動を主導してきたカルト教団が選挙運動し、野党候補を蹴散らしている。鉄道敷設をしない、道路のみのアクアライン建設で、見事に衰退した木更津市など房総半島の君津郡市では、それでもやくざ代議士の名前を叫びながら「アクアライン建設の立役者」と吹聴する狂ったおばさんに出くわしたばかりだ。
狂人社会は房総半島だけだろうか。
御園豊や日景省吾らと「やくざ暴力団追放国民会議」を立ち上げた本当の理由である。
<第二、第三のフクシマは必至>
政府の新エネルギー基本計画が動き出すと、この国の将来は安全に機能することはできない。能登半島地震でも1年かけても復興しない日本政府の体たらくではないか。
第二、第三のフクシマで終わらない。核汚染列島で人は、生き物は生きることが出来ない。人類も地球も核を操作コントロールできない。フクシマでも、元に戻るのに3000年。核超大国のトランプ発言は多少の根拠があるだろう。
<核につぶされる日本列島阻止が日本人の使命>
核で押しつぶされた地獄の島で、生き物は生きられない。それが幻想ではなくなっている。
いま核汚染ごみに泣いている幽谷の人々の心情は、第三者にはわからない。やくざを警戒し、秘蔵の日本刀を金庫から取り出して、枕元において睡眠をとる住民も現れている。核はやくざ追放の恐怖どころではない。
日本国民は原子力マフィア追放に決起する時でもあろう。
2024年12月27日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
原子力マフィアの悪魔が今も存在!
経済産業省は25日、新しいエネルギー基本計画(エネ基)の素案を改めて有識者会議に示し、原発回帰を鮮明にした内容が大筋で了承された。一般からの意見募集(パブリックコメント)を経て、年度内に閣議決定する。素案では、東日本大震災後に定めた「原発依存度を可能な限り低減する」との文言を削り、原発の建て替え(リプレース)も進めるとした。新しいエネ基では「脱炭素化」も主な論点になった。この日の会議では、2040年度までに脱炭素化がうまくいく場合と、そうでない場合の電源構成や、温室効果ガスの削減率について、専門機関による試算結果を明らかにした。
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