本澤二郎の「日本の風景」(5358)
<首相石破茂・総務相村上誠一郎両君に諫言>
地方も国も世界も乱れている。首都圏の房総半島のそれはひどすぎる。ばたばたしながら首相・石破茂君と総務相・村上誠一郎君に怒りの諫言文をまとめた。「直ちに国家公安委員長に指示して、警察力でやくざ暴力団がらみの核汚染ごみを排除して、水源地を本来の姿に戻してもらいたい」。その理由を紹介したい。
<国家公安委員長に指示して袖ヶ浦市陣場台の核汚染ごみを排除し、水源地を原状回復・房総半島の汚染源を断て!>
嘆かわしい指摘をしなければならない悲痛の直訴を、まずは理解してほしい。房総半島はやくざ暴力団の巣になって長いことも分かってきた。警察もすべての行政機関も「やくざ支配」に泣いて、国民に奉仕する行政は存在しないかのようである。
信じられない姿と向き合って3年。袖ヶ浦市の水源地・陣場台の住民の代表格の御園豊君も、生きた心地もなく行政とやくざ系産廃業者と覚悟の対決を強いられている。
事情を知った凡人ジャーナリストも、この3年繰り返し311の東電フクシマの核汚染ごみ不法投棄事件を取り上げ、警察と行政機関と対峙してきた。つい最近になってようやくのことで共産党の三輪県議が、勇気の追及を県議会決算委員会で行って、千葉県の悪政の一部を暴いたのだが、住民の原状回復の道は遠い。
国家公安委員長の汗かきが不可欠であることに気付いて、本日の国会召集日にあわせて「諫言」しなければならなくなったという次第。ぜひとも後しばらくその言い分に付き合ってもらいたい。法治の根幹にかかわる問題でもある。
<吉田茂の戦後復興に貢献した幽谷の100人衆と若槻礼次郎の英断=東京帝大理工系の人材を赤紙から守った平和経済主義>
大げさになるが、80年前の戦後復興と袖ヶ浦市の水源地・陣場台の関係は深い。深山幽谷の「幽谷」の地として知られる。
瀬戸内海で活躍した「村上水軍」の後裔である村上家は、国の財政を知る大蔵官僚の血を引く。同じく島根県松江市出身の元首相・若槻礼次郎も主税局長・事務次官・大蔵大臣を歴任した平和主義の人で、敗戦直前には戦争内閣の東条退陣を画策したことでも知られる。ロンドンでの海軍軍縮会議の首席全権として条約を締結した、軍部に屈しない英傑の人である。
松江は鳥取県の隣県の県都として知られる。石破君は彼の業績を学ぶべきであろう。いち早く敗戦を予期した若槻は、母校の東京帝大の仲間を動かし、敗戦後の復興策を考え、実行した。
彼は復興のための人材100人を結集し、学徒出陣の赤紙から排除したのである。そして戦場から隠した。その隠れ家が、袖ヶ浦市の幽谷の地だった。100人の学生をかくまう農民の努力もいかばかりだったろうか。彼らは戦場に狩り出されることなく、幽谷の清水で水田を耕し、無農薬野菜や山菜で戦後復興の人材として、復興作戦を練って過ごした。
その拠点が元庄屋の御園家。同家には現在も東大生が使用した皿などの遺品が温存されている。敗戦後の経済復興に貢献した彼ら100人の生存者が御園家に集合したことも。彼ら戦後復興の平和経済の人材は、地元の小学校で「戦争は絶対してはならない」と貴重な体験談も残した。武器弾薬不要の経済で高度成長を実現する、真の成功者となった。
戦後復興の人材育成の地を、核兵器の材料にもなる核汚染ごみの不法投棄の汚染の地にする!ありえない深刻な痛手を被っている幽谷を排除し、回復する責任が、政治と行政に課されている。村上・石破両君の決断一つで問題は解決する。直ちに行動してもらいたい。房総半島を核汚染ごみの巣にしてはならない。
<隣の茅野村出身の松本英子が米国で人類初めての非戦論=日本国憲法9条の原型>
ちなみに幽谷の隣村・上総の国望陀郡茅野村の神童・松本英子は、漢籍と英語をマスターし、第一次世界大戦時のアメリカで「非戦論」を唱えた。武器弾薬で平和は手にできない。絶対平和主義を唱えた人類最初の女性ジャーナリストで知られる。
日本国憲法9条が実現するおよそ20年前に、茅野村の神童が人類に先駆けて打ち上げた火花が、敗戦後の日本の憲法に条文化されたものである。日本人の誇りであろう。石破・村上両君の正義の善政に期待したい。
2024年11月28日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
原子力マフィアは司法も制圧!
東北電力女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)の重大事故を想定した避難計画に実効性がないとして、原発から半径30キロ圏内の住民16人が運転の差し止めを求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁(倉沢守春裁判長)は27日、住民側の請求を棄却した。
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