本澤二郎の「日本の風景」(5244)

<聞き書き=B29墜落米兵を隠れて埋葬した木更津市の影山家>

幼いころ目に焼き付いて忘れられないことは、母親の実家に1時間ほどかけて、自宅の茅野部落から七曲部落へと山道を歩く途中で、何度も目撃した旧日本軍の小型機の、米29に撃墜された残骸だった。エンジン部分は重すぎて房総半島の中央部に位置する馬来田村も処理する力がなかったのだろう。敗戦後もしばらく放置されていたためだ。

小学校に通うようになると、近道の獣道を利用すると、目にすることが出来なかったが、日本軍用機の残骸から人類最悪の戦争の恐怖に気付かなかった。


後年、母が「戦時中、隣の小櫃村にB29が落ちて燃えているというので、茅野の知り合いと見に行った」と語っていたが、小櫃村出身の渡辺恒雄の母親もそれを知っていたろう。100歳まで生きた母は、小泉内閣のころ、凡人ジャーナリストの息子に向かって「戦争は駄目だ。止めさせてくれ」と哀願されて返事に窮した。夫を赤紙で犬猫並みに召集された母の叫びは真剣そのものだった。

小学校5年、6年と教えてくれた茅野出身の木村良一先生は、筆者が新聞記者になったころ、久留里線のジーゼルカー内で「戦争だけはするな」と諭してくれた。彼は学徒として朝鮮半島で兵役についていたらしい。母と教師の一言を忘れることはない。


10数年前、戦争遺児から、本人が顔も知らない、会ったこともない父の実家の戦争秘事を紹介したい。既に彼女もこの世にいないのだから。敗戦直前であったろう。米軍爆撃機のB29が木更津市畑沢の山に墜落した。乗員11人とともに。畑沢の影山家所有の裏山だった。1945年の日本敗戦の直前に違いない。


米軍は、1944年11月から最新鋭戦略爆撃機B29を投入した。日本の軍需産業を破壊すると、東京大空襲など全国の主要都市の焦土作戦を、容赦なく敢行した。戦争は血も涙もないやくざと同じ倫理不存在の世界。東京の下町に対する無差別の大量焼夷弾の投下で東京は焦土と化した。とどめがヒロシマとナガサキへの原爆投下。国民の心と自由を奪っての天皇制国家主義は、もろくも解体し、神がかりの国家神道はその地位を失った。それでも現在の自民党を操り、内外に不気味さをまき散らしている。戦争はツネに宗教戦争でもあった。


それはさておき、木更津市畑沢の影山家の山林に墜落したB29をいち早く発見した同家の主人は、真っ先に現場に着くやいなや、そこに散乱する機体の無様な様子と共に、哀れ米兵の焼け焦げた死体と対面する。どうするか、大いに迷ったに違いない。毎日のように東京湾の対岸の東京は、B29の焼夷弾の投下で燃え盛り、都民は焼け死んでその数知れず、鬼畜米英の叫びは住民から仏心は消えていた。死骸も安全ではなかった。


当時の影山家は長男はいうまでもなく、結婚したばかりの次男は、木更津の奥地・房総半島の馬来田村に産婆医と結婚し、遺児を妻のお腹に抱かせての赤紙一枚の出征中。しかも、硫黄島玉砕の死の世界に無防備の輸送船で向かっていた。


影山家の信仰心のあつい主人は、敵軍の死者を放置して住民や日本兵に渡すわけには、予想されるむごい仕打ちを許せなかったらしい。彼は急いで、人気のない場所に穴を掘り、そこに死者を葬って、何気ない態度で現場処理に当たった。敗戦末期の混乱も幸いしたらしい。

この秘密の処理は、長男の妻に伝えられ、それが米国大使の耳に届く。10数年前、盛大な慰霊祭が行われ、そこに影山家の次男の戦争遺児も招かれた。その様子を戦争遺児は、筆者に打ち明けてくれていた。


<鬼畜米英の戦争中=戦後60年を経て米国大使館の耳に>

B29戦死者の慰霊祭の日がいつだったか記憶していない。10数年前だったことから類推すると、戦後60年以上たってようやく米国大使館の耳に届いたことになろう。

千葉県や木更津市の関係者も参列したであろう。戦時下の美談として地元紙「新千葉新聞」に掲載されたかもしれない。

敵軍の死者をこっそりと葬った影山家ではあったが、二人の赤紙組はどうなったか?


<影山家次男は硫黄島行きの輸送船で米機襲撃で海の藻屑>

哀れな戦争悲劇は、影山家全体に襲い掛かっていた。特に次男は、当初は大陸・中国での兵役から無事に帰国したが、敗戦濃厚の1945年に今度は玉砕の地・硫黄島に派兵命令が下った。

妻のお腹には、同年生まれの赤子が父親の帰りを待ちながら育っていた。彼の運命は一目散にやってきた。軍刀が悲劇の元だった。神風が吹くどころか、天皇の軍刀が影山二等兵の命を奪った。

無防備の輸送船は、東京湾を出ると、たちまち発見され、米機の襲撃に沈没する。この時、影山二等兵は海中に飛び込もうとする瞬間、軍刀をぶら下げていなかったことに気付く。軍刀を取りに行って、逃げ遅れて海の藻屑となってしまった。

筆者の父は、水戸の海軍基地の整備士だったが、父の弟が影山家の次男と同船していた。父の弟は素早く海に飛び込んで一命をとりとめた。生き延びた者の証言で、影山二等兵の死を知ることが出来たのだが、この悲劇を未亡人も遺児も知らなかった。


<遺児は栄養士となり木更津市の介護施設やくざに強姦殺人>

影山家の主は、B29の戦死者を自宅裏の所有山林に葬って戦勝国から感謝された。しかし、日本軍に応酬された次男は、天皇の軍刀で、命を失った。

戦争未亡人の産婆は、筆者を含め馬来田村や富岡村など、近隣住民の赤子を3000人以上もこの世に出した命の恩人である。しかし、娘の遺児は、木更津市の隣の富津市生まれのやくざ暴力団の浜名に強姦され、性奴隷の挙句、逃げ出そうとして脅迫され、恐怖で突発性の大動脈りゅう破裂で非業の死を強いられた。

この世に神も仏も存在しない好事例であろう。


<歴史の皮肉に貢献する公明党創価学会!>

<犯人は富津市生まれ浜名=木更津署は告発状破棄!>

「木更津レイプ殺人事件」は風化しない。風化させない。全国版でも知られている。公明党創価学会スキャンダルの1ページに加わった格好だ。千葉県警木更津署は、やくざ暴力団に支配されている!

2024年8月4日記(茅野村の仙人)


君たちはこの事件を知っているか?

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