本澤二郎の「日本の風景」(4814)

<日韓の右翼財閥政権の軍事連携よそに民衆は「平和の少女像」建立へ>

 隣人と仲良くすることはいいことであるが、ある目的で、たとえば反共軍事同盟的野心実現のためのものだと、状況がわ変化すると壊れる、元の木阿弥に戻ってしまう。ここ数か月の日韓右翼政権の反共軍事連携の危うさが見て取れる。その証拠は、日韓社会の分断が証明している。

 民衆レベルの本物の「和解」ではない。純粋に民衆レベルの「和解」というと、平和のシンボル「平和の少女像」の建立の動きに注目したい。

 日韓の喉に突き刺さったトゲの最たるものは、従軍慰安婦問題と強制労働問題である。ここをすっきりとさせない限り、両国の36年間の植民地支配から抜け出すことはほぼ不可能である。東アジアの安定は危うい。

 日本の植民地支配は、あれこれ口実を作っては強行し、日韓併合の植民地支配は、言葉にならないほど悪辣なものだった。「気の毒」で済む話ではない。アメリカの後押しで実現した戦後の日韓基本条約も、かなりいい加減すぎた政治外交的な、ためにする決着だった。ボタンの掛け違いもあったが、村山富市内閣の決断で事態は解消したかに見えたが、極右の安倍晋三内閣が振り出しに戻してしまった。

 田中―大平連合で歴史的決着を見た日中正常化もまた、安倍内閣がぶち壊してしまった。右翼片肺内閣では、過去の悲劇過ぎる負の遺産を処理できないことが分かる。今回の韓国政府の大きな譲歩は、資本の判断さえも突き崩すという途方もない政治的手口である。日本財閥の反省と謝罪を抜きに強行したため、政権が中道左派に移行すると、再び元に戻る可能性がある。


 そこには、二匹の「ワシントンのポチ」を仲良くさせて、アジアの反共基地の再構築を測ろうとする、米国バイデン政権の東アジア軍事戦略が存在する不条理なもので、永続性は低い。


<注目の像建設に福沢研究の安川寿之輔、在日歌人の朴貞花ら決起>

 こうした背景のもとで、民衆レベルの真の日韓の和解に向けた計画が動き出した。「平和の少女像」の建立である。従軍慰安婦という身の毛もよだつようなヒロヒト日本侵略軍の慰安として、まるで動物のように狩り出された無数の悲劇の少女たちを象徴する「平和の少女像」は、まさに歴史の真実として真っ先に加害国に設置されるべきだと考える日本人が少なくない。日本人を覚醒させる和解のシンボルである。


 思うに外国を侵略し、植民地にすることに貢献した人物というと、その象徴的な言論人は福沢諭吉。福沢研究の第一人者である名古屋大学名誉教授の安川寿之助さんや、「無窮花の園」を出版した在日歌人・朴貞花さんら四人が声を上げた。すでに建立準備会も開催した。


<均衡欠く財閥の反省謝罪抜きの米日韓のアジア分断に危うさ>

 侵略と植民地支配による恩恵を受ける輩は、いうまでもなく血も涙もない財閥である。財閥が政府や軍を動かす元凶であることを不問にしてはならない。その悪辣さは今も変わらない。現在を「新しい戦前」と指摘する向きもあるが、実際は「古い戦前」に回帰しているといえよう。

 戦争には宗教がからむ。戦前の国家神道は今の神社本庁。そして教育も。戦前の教育勅語に取り付いていた安倍晋三夫妻が森友事件の主犯だということを、事件発覚で国民は気付いた。

 国家神道も財閥も過ちを反省しない。謝罪もしない。あらゆる手段でやり過ごす。それに貢献したのが韓国の尹政権である。従軍慰安婦問題に絡む事件や裁判は、財閥と神社本庁靖国派日本会議が連携して、真実を報道する言論人を追い詰める。電通を使って言論の自由を奪い去っている。


 それにしても韓国司法の最高裁判決さえも反故にする日本財閥が、今後とも日本の政治外交を危険な航海に狩り出していく。その防波堤の一つが「平和の少女像」の建立計画と理解できる。


<慰安婦・徴用工問題の解消は「心からの反省謝罪」が不可欠>

 日韓のトゲは、財閥や国家神道の本気の反省と謝罪を抜きにして、抜くことは出来ない。筆者は次男を東芝経営の東芝病院で失ったが、10年経っても反省も謝罪もない。

 同じことが慰安婦問題と強制労働・徴用工問題である。改めて財閥研究さえも存在しない日本に驚愕するばかりである。したがって、財閥の不条理を追及し、反省と謝罪をさせることが問題解決の鍵を握っている。財閥製品に対する不買運動や軍事費削減が決め手の一つだろうことを、この機会に指摘しておきたい。


<東京のど真ん中に建立することが和解の第一歩>

 建立する場所についての参考意見を披露したい。ヒロヒトの牙城である皇居がいい。霞が関の日比谷公園や国会議事堂や、それにヒロシマやナガサキにも。G7サミット報道でも判明したが、原爆投下の原因について誰も口にしない。


 上総の国望陀郡茅野村(現在の千葉県木更津市茅野)にも。ここは初めての女性ジャーナリストとして足尾鉱毒事件の真実を報道し、政府の弾圧を受けるやアメリカの地で、史上初めて非戦論を提唱した松本英子女史の故郷だ。今も彼女の実家には、小さな墓地が存在する。


 戦後の憲法9条が誕生する20年前に、彼女はよく思考して非戦論をアメリカの教会や邦字新聞で展開していた日本最高の言論人、平和主義者だった。漢学とキリスト学を体得した聡明な平和主義者である。松本英子研究が不可欠だということも指摘しておきたい。歴史を忘れることに長けている日本人ゆえに、像はいくつも市民の募金などで設置してほしいものである。

2023年5月24日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)