本澤二郎の「日本の風景」(5720)
<22人の小沢一郎派に期待=角栄の恩義忘れない>
中曽根・国家主義の時代の小沢一郎をよく承知しているが、再び政界の暴れ馬としての最後の出番に関心が集まっている。いまの立憲民主党の野田佳彦は、誰もがダメだと信じ込んでいる。国会は敗戦前の翼賛体制に堕して国家神道かぶれの靖国参拝派に屈してしまっているのだから。
しかし、ようやく小沢の時代が蘇ってきた。その力の源泉である仲間が22人集まった。野田を打倒し、高市を生き埋めにする方向が見えてきた。
死んだ言論と永田町に活を入れることが出来る。場合によれば小沢天下も夢ではない。小沢を陸山会事件で助けた森裕子も現場に復帰した。彼女の出番は来年の春にも訪れるだろう。小沢ファンがわざわざ仙人のパソコンにメール送信してくれた。本日は森が来葉(木更津市)し、国政報告会を開く。
<野田佳彦は高市と偏狭な財閥民族主義・神社参拝派の松下政経塾仲間>
党首討論など見るに値しないため、見ていないが、結果は分かっている。野田と高市は同じ釜の飯を食べた同じ穴の狢仲間である。財閥民族主義者の松下幸之助が設立した松下政経塾で、偏狭な民族主義を教え込まれ、そこで国家神道参拝をとことん強要された。
戦前の天皇制国家主義による半島・大陸への侵略戦争は、国家神道の成れの果てと決めつけるべきだろう。
教育勅語の忠君愛国が、幼くして人々の五体にしみ込んだ結果である。戦争と宗教は切っても切れない関係にある。高市の下で、早くも軍事費がGDP国民総生産の2%になる。
アジアの緊張要因は東京から発信されてきたが、それが目下公然化した。中国の日本軍国主義の本格的な復活批判は、そうして起きた。
<神社参拝派の仲間=国家神道かぶれは伊勢参りに熱心>
国際社会では、特に隣国と欧米諸国は、日本の国家神道、現在の神社本庁の動向をつぶさに調査・研究をしている。
高市と野田の関係は、カルトの神社参拝で共通している。むろん、安倍も小泉も森喜朗も氏子勢力の頂点にいるはずだ。21世紀の大軍拡の背後には国家神道かぶれの日本会議も控えている。森友事件の主人公は安倍夫妻にかみついても、教育勅語の日本会議に触れない。
個人がいかなる宗教を信じても憲法は保障しているが、公人の特定宗教に関与する一切の行為を禁じている。憲法20条は戦前の侵略戦争を猛省したうえでの明文規定である。
私費で個人としての信仰は自由だが、公人としてはNOである。政教分離を厳しく律している憲法の規定は、歴史の教訓を踏まえたものである。
<政教分離が日本政治の最大の課題>
「日本は神の国」の森喜朗、靖国参拝の小泉や高市は政治家失格、安倍の神社参拝と、台湾有事をてこにした大軍拡は、非戦の9条に違反する。
政教分離の徹底が、日本政治の最大の課題と言える。自民党議員の大半が氏子信者である。先の自民党総裁選において、神社で出陣式を行った清和会候補がいまの自民党政調会長ではないか。名前は覚えていないが、応援団にはやくざ代議士が訓練した浜田靖一と石井準一がいた。
自民党内閣は氏子勢力によって成り立っている。すなわち政教分離に違反内閣。公明党創価学会と同様である。
<日本の宗教改革は不可欠>
いい加減な人間は、社会から振り落とされる。日本の宗教界は、国家神道かぶれの政権が誕生してることに対して、真剣な改革が不可欠であることに気付く必要がある。政治と宗教を分離しなければ、国際社会のリーダーになることはできない。小沢一郎も腹をくくって宗教改革の先導役にならなければなるまい。
2025年11月30日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員>
冴える小沢の舌鋒!
立憲民主党の小沢一郎衆院議員が28日、X(旧ツイッター)を更新。高市早苗首相の発言を巡る日米間のやりとりの詳細を木原稔官房長官が「差し控える」としたことについて、「戦前の政治さながら」と激しく批判した。小沢議員は「勝手に問題を起こしておいて、都合が悪い事実は平然と隠蔽する」と、政府の姿勢を問題視。「米国から何を言われたのか、これからどうするつもりなのか、国民に説明するのが当然である」と、情報公開を強く主張した。
石破茂の正論
駐日中国大使館は28日、X(旧ツイッター)の公式アカウントで、自民党の石破茂前首相が講演で、「台湾は中国の一部とする中国側の考えを歴代政権は理解し、尊重してきた。変えてはならないことだ」と発言した内容を紹介した。
元外務審議官の警鐘!
「安全保障の基本原則さえ理解していないのか」 高市早苗首相の『台湾有事』めぐる答弁、元外務審議官が言及 「歴代総理は厳に慎んできた」
秋篠宮60歳記者会見(国家神道靖国参拝派に警鐘)
ただ、この一方で、先の大戦のことについては、節目の年だけに思い起こせばいいというものではなくて、これが今年は80年ですけれども、81年であっても、82年であっても、折々に思い起こして、過去に学びながら、二度と同じことを繰り返してはいけないということを、一人一人が確認することが大事なのではないかと考えました。