2025年08月

本澤二郎の「日本の風景」(5631)

<「南京に立つ」10>

戦後50年を迎えた1995年の真夏の上海ー南京ー北京の旅は、それこそ50人の知られざる仲間を引率するという、今から考える大それた難事業を無事に終了、感慨は忘れえぬ思い出となった。30年前の真夏の世の夢が実現した。


だが、細かいことはすっかり忘れてしまった。幸い、20人ほどの参加者が当時の記憶とメモで「思い出」を書いてくれ、それを小冊子にして保存。それを30年ぶりに引き出して「南京に立つ」を連載している。30年前の日本人と中国を記録している。A級戦犯の政治勢力に汚染されて、いまの日中関係は危うい。1972年以前に逆転。その突破口を開いた小泉純一郎は、いまも健在だ。

彼が戦争神社・靖国参拝を繰り返し強行して、日中関係の信頼は壊れ、それを安倍晋三が継承して、日中ともに軍拡路線に突入。安倍も小泉もともに半島出身の帰化人だと、今では判明している。天皇とともに日本列島に侵入した神道は、明治期に国家神道の地位を得て、天皇現人神による侵略・植民地政策に突入して敗北。敗戦後に占領軍は真っ先に天皇神道を廃止したが、いまでは神社本庁として復活し、地域社会を祭礼強行という政教分離違反を、公明党創価学会と共有し、日本衰退へと人々を追い込んでいる。

「危うし日本」が、30年前の記録をよみがえらせてくれた犯人である。ロシアのプーチンも「日本軍国主義は復活している」と訪中目前に語ったことが、今朝の報道に登場した。


<増田聖三君の「二度と戦争するな」も正論>

千葉市役所の増田聖三君は、軽い調子で博識を披露しながら、やや日本人的高い目線で、30年前の旅の様子を詳細に活字にしてくれていた。昨日紹介した袖ヶ浦市の山田義明君の誘いに応じてくれたことが分かった。彼の実家は、我が家に近い。

昨今の中国の空港は日本のそれを凌駕しているが、当時は電力不足もあって夜の上海空港は薄暗かったと、彼も気にしていた。30年後の中国観光はどうか。


彼の取材力か50人の仲間のそれなのか、空港からホテルに着くまで、上海に押し掛ける農民工の取材に半信半疑。東京の人口に匹敵する農村の人々が、当時は経済復興の地・上海に殺到していた。

上海駅の周辺路上では、地方からの子供連れの出稼ぎの人々が寝ている様子に驚く。宿泊ホテルはきれいだが、浴室やトイレ、そして水は問題だった。そうした事情は、観光客好きの日本人の共通した悩みだった。

1979年の初訪中(大平訪中の特派員)の北京も同じで、いまは一変している。日本の経済成長を上回ったのだから。いまその行き過ぎで四苦八苦中だ。団員は翌日の朝の食事中、押しかけてきた物売りの女の子に仰天させられる。韓国や台湾では女性がサービスに力を入れたが、当時の中国では御法度。この点は評価できる。当時の1万円は840元。現在は200元か。日本の後進国ぶりにがっかりする日本人は少なくない。

 

上海観光の初日は、上海の浦東工業開発地区見学。「ここが中国かな」と増田君も目を見張る。「日本と変わらない」と各々感想しきりだったというが、筆者はそれどころではなかったらしい。

宇都宮徳馬さんが起業したミノファーゲン製薬の「強ミノ」を事前に注射すると、風邪と下痢がなくなったが、それまでは必ず下痢に悩まされた。「強ミノ」は肝臓の特効薬。副作用のない、それでいて免疫を高める。風邪予防にも最適だ。原料は漢方薬でも有名な甘草である。

南京路散策では、観光客でお店は膨れ上がっていた。そして昼の中華料理の際の冷えたビールで下痢する男性が出た。救急車を頼む。この時は閉口したが大事に至らなかった。無事に南京行きの列車に滑り込んだ。無錫駅で止まっただけで南京駅まで4時間。いまは高速鉄道でひとっ飛びだ。

この後の辻田証言が消された。AIの仕業か。証言はだれも知らない内容である。


さすがは恵まれている地方自治体職員。夜の南京クラブで飲んで歌って。さすがに値段は記事にしていない。大満足だったと記してある。貧乏人はホテルのクラブには100回以上中国に行っても

一度も経験がない。


4日目の南京大虐殺記念館訪問。「日本国憲法第九条全文を白地に青く染めたTシャツを全員が着て見学。中国では大屠殺記念館」「戦争とは、これほどまでに惨いものなのかと、いま改めて二度と戦争はしてはならないと強く思った」。

南京大虐殺記念館訪問を計画してよかった、と自分をほめたい。


<南京城修復工事に献金と労力奉仕の思い出>

単なる見学では十分ではない。南京城壁修復工事にささやかな献金をして、重いレンガを運ぶ小さなお手伝いも事務局が具体化してくれた。そのことも増田は記録していた。


そして右も左も尊敬する孫文の中山領に登った。

ついで長江・揚子江大橋へと一行50人は行く。筆者は列車内で初めて聞いた辻田さんの「3か月後の南京」が胸をギリギリと締め上げていた。ドラム缶の上に人ひとり歩ける板の上を歩かされ、無数の中国人を日本兵が次々と撃ち殺す様子が瞼をよぎる。

「もんどりうって長江に沈むと、まもなく水面に浮く。その時のまさしく人間の死直前に怒り狂う眼光に圧倒されたという辻田さんが、夜な夜なうなされる晩年のつらい人生に思い巡らす。

恐ろしい戦争も数々あれどヒロヒト軍の所業は、この世の悲劇の最たるものだった。人間以外の動物には、100%存在しない。


<盧溝橋・抗日戦争記念館の「前事不忘 後事之師」>

抗日戦争記念館には何度も行った。

竹下登の後継者となった小渕恵三に「総理になりたい」と相談をうけたさい、きっぱりと「中国に行きなさい」と進言した。その後、彼は中山太郎を同行させ、人民大会堂で江沢民の後継者となる胡錦涛と会見した際、彼は「中国の大警告」(データハウス)の中国語本を手にもって「この本を読んでください。本澤先生のこの本に中国人民の思いがすべて書かれています」と丁重に諭された。


抗日戦争記念館近くの森林地区に「小渕恵三の森」を見つけた。うれしかった。彼は見事竹下後継者となったが、もう忘れたが、小沢一郎との口論のあと倒れた。日中友好の流れは、清和会の森喜朗に。ナベツネの仕業であろう。残念なことだった。期待の星の総務会長・池田行彦は体調を崩しており、森工作の場にも出られなかった。

いま小渕の娘が浮上しているという。中国との関係改善がアジアの平和と安定の基礎である。極右・神道日本会議を押さえつけられる田中ー大平連合の復活が、特に期待されている。


増田は抗日戦争記念館の「前事不忘 後事之師」を忘れなかった。たしか江沢民の字である。極右封じの文字である。


北京の夜の食事に満足した千葉市役所職員は、研修旅行最後の日の朝、天安門広場を見学し、紫禁城も歩いた。人民日報総副編集長の張虎生との懇談でのあいさつ文をそっくり日記に納めた。夜は京劇を鑑賞し大満足して、翌日成田国際空港に無事到着した。1個300円のやせる石鹸?を28個も買っていた。筆者もそうである。それにしてもすごい実りのある旅となった。

2025年8月31日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)


原発・ミサイル基地は一番危険な場所!

(朝日)敵基地攻撃能力(反撃能力)を担う国産の長射程ミサイル(スタンド・オフ・ミサイル)を、熊本市東区の陸上自衛隊駐屯地に配備する計画について、九州防衛局の伊藤和己局長は29日、木村敬知事と大西一史市長に直接説明した。市民団体からは反対の声も出ている。


70万人の被ばくアメリカ人

米国に「見捨てられた」核兵器プログラムの労働者たち トランプ氏の政府効率化、健康被害に対応せず(字幕・23日)

広島・長崎に原爆が投下されてから80年、核兵器は米国の安全保障政策の中核を担ってきた。その核兵器プログラムを支えてきたのが、延べ70万人に上る労働者である。放

射性物質を取り扱いに従事した人々の中には、がんなどの健康被害に苦しむ例も少なくない。

日本財政危機・沈没日本へ

金利上昇を背景に…国債費が過去最大 財務省の概算要求

財務省は来年度予算の概算要求で国の借金の返済などに充てる国債費を過去最大となるおよそ32兆円としました。 来年度の国債費の要求額は32兆3865億円で、今年度予算より4兆円以上多く、過去最大です。 普通国債の残高が1100兆円を超えるなか、利払い費は想定金利が「2.6%」と2009年度以来の高い水準となったことで13兆435億円に上ります。 国債市場では財政悪化への懸念などから金利が上昇傾向にあり、利払い費はさらに膨らむ恐れがあります。

概算要求122兆円 3年連続で過去最大 国債利払い増加 さらに規模が増える可能性も

来年度の一般会計の概算要求の総額は、今年度の当初予算よりおよそ7兆円多い122兆円台となる見通しであることが分かりました。3年連続で過去最大となります。 防衛力の強化を進める防衛省が、3400億円以上多い8兆8454億円となっています。 国債費の要求額も、4兆円以上多い32兆3865億円となっています。 普通国債の残高が1100兆円を超えるなか、利払い費は想定金利が2009年度以来の高い水準となったことで13兆435億円に上ります。 現段階で具体的な予算額を示さない事項要求も多く、今後の編成過程でさらに規模が増える可能性もあります。


本澤二郎の「日本の風景」(5630)

<「南京に立つ」9>

現役時代の政治記者は、教育をつかさどる文科相ポストを軽視してきた。親しい国会議員が文部大臣(現在の文科相)に任命されると、周囲の支持者も含めて肩を落としたものだ。しかし、国民の資質や民度が政治その他に大きな影響力を与えるという観点からすると、内閣ポストで最も重要な任務を帯びていることが理解できる。教育こそがその国の品格を証明している。


戦後教育について日本は成功していない。大失敗している。教育のかじ取りが、その国の未来を決定するといっても過言ではないのだから。あの日中戦争一つとってみても、続く日米戦争の悲劇はどえらい悲劇を他国民と自国民に与えた。しかも、そのことは50年100年を経ても、人々の傷がいえることはない。


二度と繰り返さないという民族的信念が、教育によって妨げられてきた日本は、現在も非難を浴び、隣国は「二度と繰り返させない」ために国家的行事として軍事パレードを実施し、自国民を鼓舞する。9月3日の日本ファシズム戦勝記念パレードの中国に、ロシア・北朝鮮など26か国の代表が北京に集う。

日本軍国主義の被害者代表として、石破茂も出席すべきだが、世の中は排外主義・ナショナリズムの右翼的雰囲気の中で身動きができない。政界を引退した鳩山由紀夫元首相は出席するが、戦後教育を受けたせがれは、それに反対している。

最近までの自民党の主流は、台湾独立派と反共主義に凝り固まって、日中国交回復した1972年以前に戻ってしまっている。東アジアは安定していない。靖国神社参拝に興味を示す自衛隊と台湾独立派を警戒する中国軍の偶発的な衝突が、昨今の厳しい状況を内外に印象付けている。


<袖ヶ浦市の山田義明君の正論>

30年前に千葉市職員だった山田義明君は、いま複雑な心境に立たされているかもしれない。思い出すと、袖ヶ浦市議だった彼の父親に「小櫃川沿線に日本最大の農薬工場が移転してくる。議会も農協も共産党も賛成している。助けてほしい」と直訴され、当時、首都圏紙の東京タイムズで反対のキャンペーンを張って、見事阻止した。正義の活字に自身で納得した。活字の力は強い。


新聞が元気であれば、たいていの問題は正義を貫けるのだが、袖ヶ浦市の陣場台のフクシマ核汚染ごみ不法投棄事件は、すべての新聞テレビが報道しない。原子力マフィアやくざ暴力団に屈してしまっている。市議会も市役所も千葉県も逃げて、正義に蓋をしている。昨日も陣場台の元水田三喜男秘書の御園豊君が来訪したので、知恵を出し合ったものだが、ブログを紙にしないと一般人は、なかなか理解が困難だ。しかし、凡人ジャーナリストの正義はやめさせてくれない。

事件の黒幕であるやくざ代議士のせがれや、側近だった加藤健吉に直談判することも戦略のひとつだ。警察がやくざとグルだという信じがたい事情も、わかってきた。やくざに対抗できる組織が存在しない日本の民主主義の危機が背景に存在している。本ブログ読者も見て見ぬふりをして薄情である。

結局のところ、根本原因は教育にある。


さて本題に戻るが、山田君はドイツ人大統領の有名な日本人向けの名言を冒頭に紹介した。「過去に目を閉ざすものは現在、未来にも盲目である」と。この言葉は南京や盧溝橋の記念館にも、中国の要人が壁に掲げている。ことほど人間にとって、民族にとって大事な教訓である。


<受け入れられやすい軍部暴走説は間違い>

歴史はつくられる。独裁的な右翼の悪しき為政者の特権か。安倍晋三事件のほとんどで、公文書の捏造がなされていた。形だけの公文書と非難されている。

同じことが敗戦後の東京裁判でも繰り広げられた。ヒロヒトを生かすための工作である。ヒトラーやムッソリーニの最期を観れば、ヒロヒトへの格別すぎる優遇策が見て取れる。

その典型的な事例が「軍部の暴走」説である。不勉強な政治記者は、確かにそうした捏造したヒロヒト論をやや肯定的にとらえていたものだ。日本の戦後教育がそうだった。文科省の官僚の責任は重いだろう。本来であれば政権交代時に「作られた史実を改める内部告発が起きるものだが、日本人はそれができなかった」ことは言及するまでもない。

「じっくりと歴史の流れを観察すれば、日本帝国建設と国民への抑圧の芽生えは、明治時代から醸成されてきたことに気づく」という山田君の正論に同意したい。

軍部による侵略戦争と言い切ることは無理なのだ。彼は「国民にも責任の一部がある」ということになる。まともな大学の教室では、こうした正しい歴史教育が、教師によっては教えられていたかもしれない。医療事故死した息子は早稲田大学社会学部で、こうした合理的進歩的な認識を、彼のノートで知ったものだ。高等教育の良さである。

本来は小学校や中学校でも教えるべきだったが、文部省はそうさせなかった。教師の組合の劣化は昔からである。

歴史の真実を教えない日本の教育の欠陥が、今日の排外主義・ナショナリズムを招き寄せている。


「私たちは、国の動向や世界の動向について、もっと関心を持ち、もっと知り、責任を持つべきだ」「そのためには正しい歴史を学ばねばならないが、時の権力者によって改竄されてきたという一面に注意も必要」とも鋭く指摘してくれた。


<情報不足は物事の判断力・正当に発言する権利・勇気を損なう>

彼は千葉市の幹部コースを歩いていたと思われる。言葉を選びながら、鋭くも真実と正義を訴えているではないか。盧溝橋と南京の言葉を使わない慎重さにはややあきれるばかりだ。知られざる役人の制約も印象付けていた。


情報不足は、判断力のみならず、正当に発言する権利と勇気を損なうとも断じた。

陣場台の事件について言及するならば、新聞テレビや市議や県議や地方官僚は猛省すべきだろう。情報は腐るほど本ブログで提供しているのだから。

「洪水のように垂れ流される情報から真実をつかむ知恵を身に着ける国民でありたい」とも指摘する。人生を正義の報道とともに歩んできた、反骨ジャーナリストの使命でもある。

彼は締めくくりに「歴史を学び、正しい情報を把握して、正しい判断をするように常に努力しないと、再び道を誤る」と。

2025年8月30日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)


本澤二郎の「日本の風景」(5629)

<「南京に立つ」8>

放射線技師(木更津市)の木村茂君は、二度目の訪中だったと冒頭文で紹介した。確かに鄧小平の改革開放政策が始動したころ、日本人の中国旅行団は大歓迎を受けていた。そこで忘れられない思い出を体験したことが、戦後50年の南京訪問を決断したようだ。感謝したい。その貴重な体験とは「上海のホテルで流暢な日本語を話す4人の中国人に取り囲まれ、彼らは改革開放政策を心から歓迎していた」「その時、彼らは一般の中国人が日本語を習うことは容易ではなかった。党や政府機関に知られると容赦なく連行される。それでも自分たちは日本へのあこがれが強く、危険を承知で家の布団をかぶって、日本からの短波ラジオを聞いた」「いかに改革開放政策が中国の歴史的な出来事だったのか理解できた」という毛沢東時代の閉ざされた中国の裏事情を知って、ますます中国に興味を抱く。

短波ラジオで日本語を勉強する中国人はかなりいたことを、筆者も当事者から聞いていたが「布団をかぶって」は初耳だった。


彼はなかなかの勉強家で、文明論の国際的第一人者のシュペングラーやトインビーによる中国文明の輝かしい未来について学んでいたようだ。日本人の多くは明治維新でさえ、時の政府や学校の歴史教育で、明るい明治を教え込まれてきたが、それは嘘が半分かそれ以上である。歴史の真実が書き改められる時代の到来だ。


<木村茂君の二度目の中国訪問「夜の上海空港は暗かった」>

中国の改革開放政策は、歴史の教訓の体現者であった大平正芳首相の下で開花したことに日本人は胸を張れるだろう。大平は日本政府を代表して中国に対して政府開発援助(ODA)供与を、復権した鄧小平に申し出た。日本人の血と汗の結晶が、鄧小平改革を成功させたのだ。中国のインフラは、日本のODAで実現し、90年代の経済の高度成長は華々しく成果を出した。これは日本人の誇りだ。


当時の中国外交部の日本通の第一人者・肖向前さんが、北京の自宅で大平との秘話などを紹介しながら何度も教えてくれた。

大平の決断と実行に敬意を表したいが、背景には日中国交回復時点で、3500万人の中国人死傷者への賠償を放棄した、毛沢東・周恩来の決断を日本人は片時も忘れてはならない。これが田中・大平の決断となった。宇都宮徳馬からは「中国人のためなら、できることを何でもしてあげなさい」と言い聞かされていた。今回の南京の旅は、帰化を手伝った祝智慧さんのお陰で実現したものである。いいことをすれば、必ずいい報いを受ける。


二度目の上海空港の暗さを指摘した放射線技師は、空港内の「熱烈歓迎」の文字が「WELCOME」に代わっていた点を目にして、内心驚いたらしい。「ホテル内で日本語が通じない」と、いうなれば中国の日本離れにも衝撃を受ける。すでに中国は、国際化の象徴として英語を学んでいたのだが。10年前の上海ではなかった。10年ひと昔という。何もかもが変わっていくのだが、人は得てして昔に郷愁を覚えがちだ。


人さまざまである。南京や盧溝橋について彼は、思い出の文章で一言も記述しなかった。日本の恥部に全く触れない点を、彼の長文から感じた。日本語で話してくれる中国人に出会えないことも不満の種だったのだろうか。それでも締めくくりは「今世紀の中国は生みの苦しみを味わっているが、来る世紀は中国の時代になるよう祈る」とも記した。そうなる可能性はある。彼とおしゃべりする機会を持てなかったことが悔やまれる。


<加藤健吉に会いたい!>

いま筆者は、ハマコーの子分になった君津市の加藤健吉に会ってみたい。暴力団担当の千葉県警刑事の大変身に何があったのか。現在は巨万の富を懐に入れたことについても、袖ヶ浦市陣場台の住民も、同じ思いと思われる。対話こそが民主主義の基本なのだから。

2025年8月29日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)


9・3抗日戦争勝利80年に参加する鳩山由紀夫に拍手!

【北京共同】中国政府は28日、北京市で9月3日に開催する抗日戦争勝利80年の記念行事に鳩山由紀夫元首相が出席すると発表した。


国民のための行革など官僚は知恵を出せ!重税反対!

介護サービスの利用者負担を除いた2023年度の介護給付費は、前年度比3.0%増の10兆8263億円となり、過去最高を更新した。高齢化が進み、介護保険制度が始まった00年度の約3倍に当たる。介護や支援が必要と認定を受けた人は、23年度末時点で前年度末から2.0%増の708万人で過去最多だった。厚生労働省が28日発表した。

ごみ売り新聞ナベツネ残党に勝った石破茂!

(ネット記事から)参議院選挙で大敗した石破自民。昨年の衆院選、今年の都議選に続いて、石破政権にとっては3敗目だ。これを受けて当然石破茂総理は辞任するだろうと、世間は思った。そしてその国民の声を拾うかのように7月に読売新聞が「石破首相 退陣へ」と号外を配った。しかしその後、石破首相は自らの口で退陣の意志がないことを発表した。


貧乏人は値下げした牛丼「すき家」に行こう!

牛丼チェーンの「すき家」は、来月4日から牛丼の並盛りを30円値下げすると発表。


本澤二郎の「日本の風景」(5628)

<「南京に立つ」7>

<国際性のない日本人=軍国主義・ファシズムの源泉>

東京・目黒区の慶應義塾大学生の西垣敬士君は、中国滞在中に日本人の国際性について研究していた。「隣人の性質や心情を学ぶことが、真の意味での国際性を身につけることだ」と教室で学んだようなテーマを掲げて上海・南京・北京での隣人を観察し、改めて日本人が、井の中の蛙大海を知らず、であることを思い知らされた。


相手を知れば、中国侵略など大それたことをしでかさなかっただろうし、いわんや圧倒的に強力な米国との戦争など起きなかった。思い出すのは、幼くして英語をマスターし、東京帝大生として米国を訪問した宮澤喜一元首相は、日米戦争という日本軍国主義の暴走を知り、もうその時点で日本敗北に気づいておののいた。

国際性の第一歩は、相手を知ることだが、神風が吹くという子供だましの国家神道に洗脳されていたほとんどの日本人は、気づこうとしなかった。

第一に韓国併合から日清・日ロの大戦では、慶應義塾の創立者の福沢諭吉が、日本の侵略戦争を推進していてブレーキをかけなかったことは、よく知られている。啓蒙思想家?これは彼の弟子らの作り話であった。戦争を肯定する輩に本物はいない。

現在のプーチンもゼレンスキーも人間失格者である。いかなる口実をもってしても、戦争を肯定する人間は善人ではない。


<慶大生・西垣敬士君は「中国人は友人を大切にする」に同意>

人間はもともとは善人であるが、その後の荒れ狂うような人生経験で性格はねじれ、破壊されて善悪が混じり、複雑な人間になっていく。そんな経験を数日前にも体験した。

そもそも市民を守るべき警察・検察が、やくざ暴力団と仲良くして、やくざの強姦殺人(木更津レイプ殺人事件)にも捜査をしない、はては大量なフクシマの核汚染ごみを不法投棄した陣場台の環境破壊事件にもそっぽを向いてしまう千葉県と袖ヶ浦市、この事件の関連で、館山市議会で追及しようとした共産党市議を、やくざ代議士の秘書から市長になった人物が、言論の自由を抑え込んで、質問をさせないという卑劣な事件を目の当たりにしていると、正義も消えてしまっている人間社会の恐ろしさにため息が出る。


要するに信頼できる人間が、この世にいないかのようなのだ。市民の代表である議員が、やくざ暴力団に頭が上がらない。議員は単なる名誉と金儲けの手段でしかない。

それでも友人・知人に対して「親切な中国人」という西垣君の指摘に同意したい。ただし、巨大な人口の中国社会で生きるためのやむを得ないルールではないだろうか。

とはいえ慶大生の観察眼はしっかりしていた。人は初めての出会いに興味と興奮とで、眼力は研ぎ澄まされるものだ。筆者も1979年の大平首相訪中に特派員として同行した、初めての大陸の大地とそこで生きる人民に対して、忘れまいとしてメモを取り出して記録したものである。


<30年後の日本も国際性ゼロ=よらば大樹=自立しない二本足>

日本の国際性は、1972年の日中平和交流のころに開花した。この時は新聞テレビも経済界も立ち上がった。岸信介のA級戦犯政治を継承する実弟の佐藤栄作首相の後継争いで、池田勇人内閣の官房長官時代から用意周到、準備をしていた大平の汗かきが実る。佐藤派の重鎮・田中角栄を日中国交回復派に巻き込んだ大平政治の幕開けとなった。

当時の国際派政治家の宇都宮徳馬は、カルフォルニア州サンタバーバラ会議で米国議会の重鎮を説得に成功していた。ポスト佐藤の本命の福田赳夫を抑えて、大平・田中連合が勝利を収めた。ワシントンのニクソン政権も、日本に先行し北京と交流を始めていた。アメリカ衰退の始まりは、このころからだ。

国際社会は、中国を代表する北京政府になびいていた。台湾の蒋介石は、北京の毛沢東に屈した。北京は日米と連携する新時代が始まった。日本の世論も圧倒した。戦後初めて日本政府が、国際性を示した最初となったのだが、他方で、ワシントンの足かせ(日本属国)は現在も継続している。

トランプ政権の誕生は、日米中対等の時代の到来であるが、自立しない日本政府によって、ねじれは解消しない。石破内閣の最大の課題だが、日米とも空前絶後の借金大国で、円もドルも下落を続けていて冴えない。


<CIAの縛りに屈する岸・正力・ナベツネの大罪>

国際性の存在しない日本の源流は、CIAの策略を踏襲する自民党政府に根源がある。いまでははっきりと断定することができる。

「朝鮮半島の帰化人に日本の反共国家を構築させる」という途方もないCIA策略を推進した岸・児玉・笹川の暴力と政治権力の結びつきを、読売の正力・ナベツネの言論が支える時代の継続が、日本の独立に蓋をかけてきた。正力・ナベツネの罪は万死に値する。


もう一つの蓋は、朝鮮半島から押しかけてきた天皇族の存在である。彼らは古事記・日本書紀などで飾り付けて、先住民族である日本人をたぶらかしてきた。その先陣を切ったのが、神社神道である。祭礼で地域を縛り付け、カネと票が自民党の岩盤となって、野党を弾き飛ばしている。それが現在も継続する。祖国を持たない、失った先住民族の日本人が、それにひれ伏している。誰も書けない歴史の真実であろう。


<国際性ゼロ=歴史の真実に向き合えない日本人の悲劇>

人の好い日本人は、外国人に支配されている真実に目覚めようとしない。国際性の存在しない特異な国家なのだ。出自不明な国会議員がたくさん存在する不思議な国といえる。21世紀になっても天皇制と自民党・神道の朝鮮半島勢力の強固な連携に驚く。

いま房総半島は、朝鮮半島やくざ暴力団が権勢をふるって、警察さえも牛耳ってしまった。正力がテコ入れした野球チームも、半島のチームが房総半島に進出している。ロッテの練習場が君津市に誕生する!安倍昭恵夫人を講師に呼んで講演会を開いてはどうか。

西垣君ではないが「今の日本は大きな岐路に立っている」のである。中華民族も一時期、外国の勢力に支配された。モンゴル帝国と清朝である。現在の中国も岐路に立たされている?

日本人が目覚める日が到来するのであろうか?民主主義は?

2025年8月28日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)


中央大学の心情は「ボロは着てても心は錦」!


本澤二郎の「日本の風景」(5627)

<「南京に立つ」6>

JR東日本労組の平和研修に改めて驚く。カリスマ的指導者の松崎明の「鉄道の安全」と戦争のない社会を結びつけた運動理念は、現在も生きている。上部組織のJR総連は、連合内の1本のローソクである。いえることは彼らの選挙支援は、ほぼ護憲リベラル派の候補者に限られている点も注目していい。戦争志向の改憲軍拡派には厳しい批判の視線を投げかけている。

期待していた読売新聞のナベツネに裏切られた平和軍縮派の第一人者の宇都宮徳馬さんに、松崎を紹介すべきだったと後悔している。松崎の正義は、中曽根の国鉄民営化に抵抗するだけでなく、柔軟に妥協しながら平和主義の面で屈しなかった!


8月25日に久留里線にほぼ10年ぶりに乗車したが、無人駅の便所も駅舎もゴミ一つなく光っていた。1両のワンマンカーの速度は、以前より速かったし、電車内は冷房がよく効いていた。木更津駅からは快速電車が何本も走っていたし、文句を言うところは全くなかった。駅員の応対はすこぶるよかった。

連合労組は、松崎の平和運動を結び付けた行動に目を向けることで、消費者や国民の理解を得ることができる。財閥系の電気や重機の改憲軍拡派に振り回されるようでは、今後も国民の支持を手にすることはできない。「連合の罪と罰」を読めといいたい。


<南京知らずして日本・世界を語るなかれ>

南京大虐殺は80年前の原爆投下に匹敵する。婦女子を暴行した後、手りゅう弾で殺害するというヒロヒトの軍隊、南京では強姦後に銃剣を・突き刺してもてあそぶ日本軍国主義の悪魔性は、幼児期からの神道神社参りの洗脳カルトに行き着く。


政治家としての元首相・福田康夫はその点を認識していた。彼が靖国を排して、非宗教施設を立ち上げようとした理由である。小泉純一郎の靖国参拝に対抗した福田赳夫のせがれ康夫は、官房長官として日本外交の第一人者の宮澤喜一に師事していたという。彼は森・小泉・安倍のように、悪党の笹川ギャンブル財団に媚びを売ることはしなかった。石破首相は康夫から学ぶべきである。強く指摘しておきたい。


南京と盧溝橋の記念館を知らずして政治を語るなかれ、と叫び続ける理由である。立派な岐阜の平和運動家の友人を、南京に案内したかったが、今は老いて歩行が困難となってしまった。孫や子の行く末に心が張り裂ける毎日を送っている。同じ宇都宮の世話になってもナベツネという世紀の悪党は、恩師を裏切って右翼改憲軍拡原発推進に突っ込んでしまったが、われは「ぼろを着てても心は錦」の質実剛健の道を踏み外すことはない。


<心が痛くなったJR東労組の福留君>

JR東労組の福留行治君は、今どうしているか。南京の旅計画参加に戸惑った「高度成長期の若者」は、予想と現実に戸惑い続けた。30年前の8月23日夜の上海空港は暗かった。翌朝の上海の情景は一変していた。高層ビルやホテルやデパートはたくさん、いたるところで建設ラッシュと交通渋滞と自転車渋滞。「出稼ぎ労働者を加えると1900万人の巨大都市」に目がくらんだ。

「和平賓館のオールドジャズ」は、筆者のお気に入りの場所だが、彼も記憶していた。市街南東部の明代の5万平方の広大な名園「豫園」も気に入ってくれた。

しかし、全員参加とはならなかった。夜遅くまでおいしい中国料理に冷えたビールをがぶ飲みしたメンバーは体調崩して救急車で運ばれるというハプニング。これは想定外。50人引率の旅は一生に一度とはいえ、猛省するばかりだ。ガイド役の祝智慧事務局長の必死の対応で、日程に変更はなかった。改めて深く感謝したい。信頼する仲間の存在が、危機を乗り越える原動力だ。袖ヶ浦にもこうした仲間が、徐々に増えてきている。


福留君の思い出の研修旅行は、鉄道員ゆえに上海から快速電車に揺られて南京までの説明が詳しい。当時の南京の道路は埃が舞っていたと詳しい。1937年12月の日本軍の当時の首都攻略戦は激しいものだった。占領後の1週間にわたる大虐殺に世界は驚愕する。

彼のメモは「1万平方の敷地に大理石の記念館は、戦争勝利40周年を記念して1985年8月15日に建設、入り口に殺害された人々は30万人と記され、別館には発掘された大量の遺骨や行方不明者の名簿もあった」「遺骨の中には、日本軍の銃で貫通した頭骸骨等もありぞっとした」「本館内の展示は中国語、日本語、英語で書かれていた」。


<大虐殺3か月後の南京の惨状=辻田照二証言>

事件3か月後に南京入りした生存者の辻田照二さんは、上海の電車内で当時の様子を明かしてくれていた。その様子は揚子江岸にドラム缶の上に、一人が歩けるほどの板を敷き、岸壁から日本兵が銃弾を浴びせていた。辻田さんは「銃弾に撃たれた中国人がもんどりうって揚子江に沈む。そのあとぷくっと浮かぶ時の怒り狂う眼を忘れられない。周囲の水は赤く染まっていた。担当兵からお前もやれと言われたが、腰が抜けてそれどころではなかった」と筆者に証言した。


辻田さんは当時86歳だったと記憶している。誰も知らない辻田さんの証言に正直、研修の重荷の肩が下りた思いである。この明白な史実を、JR東労組の福留君に記憶し、仲間に伝えてもらいたい。


<南京生存者の生の声>

福留君は当時の生存者の話をメモしていた。「日本兵が3人家に押しかけてきた。家族7人が次々に殺された。8人目に銃口が自分に向けられた瞬間、日本兵に飛び掛かった。3か月の重傷で助かった」「ほかにも話したいことがあるが」30年前の日本人は録音機が十分ではなかったらしい?

生存者の10数人からの話だけでも一冊の本ができるだろうに。ジャーナリストとして訪中110回は記録である。誰も破れない。政治部長会8年も記録だ。しかし、南京は経費の関係もあって4回程度か。生存者に聞く取材については、ほぼ無関心を決め込んでいた無能凡人ジャーナリストにあきれ返る。大半が日本語部の学生相手の話が中心だった。


<JR東労組4人組と松原親子、高山・津沢さんらと討論会>

30年前の8月26日は、JR東労組の4人組と宇都宮秘書の松原父子、それに高山、津沢さんらは、夜遅くまで興奮冷めやらぬ南京のホテルで、貴重な討論会をしていた。団長として驚くばかりだ。福留君の思い出をしっかりと記録してた。

買い物ツアーでは全くなかったのだ。30年前の日本人のまじめさは、現在よりも深かった。やくざ暴力団にひれ伏すばかりの現在の市議と市民は、明らかに劣化している。

袖ヶ浦市の多田真由美さんは、やくざ暴力団の地域で30年余、敢然と戦い抜いている。最近になって陣場台の御園豊さんが教えてくれたので、二度ほど電話した。木更津市議の田中紀子さんに会わせたい。やくざに屈しない本物の日本人は、必ずいる。

朝鮮人は確かに日本で苦労したが、だからといって暴力で日本人を屈服させていいわけがない。我々が立ち上げた「やくざ暴力団追放国民会議」は、日本人のみならず人類・国際人の使命である。愚劣極まりないハマコー一家に屈するようでは、市議の資格はない。


<盧溝橋の抗日戦争記念館=3500万人死傷>

福留メモは、盧溝橋の抗日戦争記念館でも活躍していた。こちらは何度も訪問したが、詳細について詳しく記録していない。JR東労組の見学者は違った。30万人の南京に対して、1931年から45年にかけての被害者は、死傷者3500万人。すべての中国人は、親類など身内の殺害された人たちのことを、決して忘れることはない。


人民日報総副編集長・張虎生さんの話について付記したい。彼は「実は皆さんの話を聞いていて私も個人的な真実を明かすことにしました。初めて口にすることです。わたくしの家でも親類などで7人殺されています」

50人の仲間たちの涙の反省と決意に感動してくれたのだ。「我が家でも7人が亡くなっている」という告白には誰もが耳を疑った。中国人の心情に感動させられた。それにしても、30年後の福留君はどうしているだろうか。

2025年8月27日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)


神道に洗脳された野蛮な日本人は今も!(資料から)

1,「洗脳される」とは、外部からの強固な影響によって、本来持っていた思想や信念を失い、新しい思想や行動を一方的に植えつけられ、他人の思いのままに操られるようになることです。これは、自己の自由意志が奪われ、思考能力を低下させられた状態で、特定の目的のために人間を操作する行為であり、暴力的な手法だけでなく、巧妙な言葉や態度、行動によって行われることもあります。

2,教育は、個人の成長と自立を促すものである一方で、洗脳は、個人の自由意志を奪い、特定の思想や行動を強制するものであるという違いがあります。


袖ヶ浦市陣場台のやくざ暴力団の不法投棄方式採用!?

 東京電力福島第1原発事故に伴う福島県内の除染土の県外最終処分に向けた政府工程表によると、2035年をめどに最終処分場の仕様を具体化し、候補地を選定する。

金になればダボハゼの「ハマダ市」の無知無能?

国際協力機構(JICA)が千葉県木更津市をナイジェリアの「ホームタウン」に認定したことを巡り、交流サイト(SNS)で「移民受け入れが促進される」といった誤情報が拡散した問題で、ナイジェリア政府は26日、大統領府のホームページから「日本政府が特別ビザを発行する」との文言を削除した。日本政府が事実と異なるとして訂正を申し入れていた。


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