本澤二郎の「日本の風景」(5631)
<「南京に立つ」10>
戦後50年を迎えた1995年の真夏の上海ー南京ー北京の旅は、それこそ50人の知られざる仲間を引率するという、今から考える大それた難事業を無事に終了、感慨は忘れえぬ思い出となった。30年前の真夏の世の夢が実現した。
だが、細かいことはすっかり忘れてしまった。幸い、20人ほどの参加者が当時の記憶とメモで「思い出」を書いてくれ、それを小冊子にして保存。それを30年ぶりに引き出して「南京に立つ」を連載している。30年前の日本人と中国を記録している。A級戦犯の政治勢力に汚染されて、いまの日中関係は危うい。1972年以前に逆転。その突破口を開いた小泉純一郎は、いまも健在だ。
彼が戦争神社・靖国参拝を繰り返し強行して、日中関係の信頼は壊れ、それを安倍晋三が継承して、日中ともに軍拡路線に突入。安倍も小泉もともに半島出身の帰化人だと、今では判明している。天皇とともに日本列島に侵入した神道は、明治期に国家神道の地位を得て、天皇現人神による侵略・植民地政策に突入して敗北。敗戦後に占領軍は真っ先に天皇神道を廃止したが、いまでは神社本庁として復活し、地域社会を祭礼強行という政教分離違反を、公明党創価学会と共有し、日本衰退へと人々を追い込んでいる。
「危うし日本」が、30年前の記録をよみがえらせてくれた犯人である。ロシアのプーチンも「日本軍国主義は復活している」と訪中目前に語ったことが、今朝の報道に登場した。
<増田聖三君の「二度と戦争するな」も正論>
千葉市役所の増田聖三君は、軽い調子で博識を披露しながら、やや日本人的高い目線で、30年前の旅の様子を詳細に活字にしてくれていた。昨日紹介した袖ヶ浦市の山田義明君の誘いに応じてくれたことが分かった。彼の実家は、我が家に近い。
昨今の中国の空港は日本のそれを凌駕しているが、当時は電力不足もあって夜の上海空港は薄暗かったと、彼も気にしていた。30年後の中国観光はどうか。
彼の取材力か50人の仲間のそれなのか、空港からホテルに着くまで、上海に押し掛ける農民工の取材に半信半疑。東京の人口に匹敵する農村の人々が、当時は経済復興の地・上海に殺到していた。
上海駅の周辺路上では、地方からの子供連れの出稼ぎの人々が寝ている様子に驚く。宿泊ホテルはきれいだが、浴室やトイレ、そして水は問題だった。そうした事情は、観光客好きの日本人の共通した悩みだった。
1979年の初訪中(大平訪中の特派員)の北京も同じで、いまは一変している。日本の経済成長を上回ったのだから。いまその行き過ぎで四苦八苦中だ。団員は翌日の朝の食事中、押しかけてきた物売りの女の子に仰天させられる。韓国や台湾では女性がサービスに力を入れたが、当時の中国では御法度。この点は評価できる。当時の1万円は840元。現在は200元か。日本の後進国ぶりにがっかりする日本人は少なくない。
上海観光の初日は、上海の浦東工業開発地区見学。「ここが中国かな」と増田君も目を見張る。「日本と変わらない」と各々感想しきりだったというが、筆者はそれどころではなかったらしい。
宇都宮徳馬さんが起業したミノファーゲン製薬の「強ミノ」を事前に注射すると、風邪と下痢がなくなったが、それまでは必ず下痢に悩まされた。「強ミノ」は肝臓の特効薬。副作用のない、それでいて免疫を高める。風邪予防にも最適だ。原料は漢方薬でも有名な甘草である。
南京路散策では、観光客でお店は膨れ上がっていた。そして昼の中華料理の際の冷えたビールで下痢する男性が出た。救急車を頼む。この時は閉口したが大事に至らなかった。無事に南京行きの列車に滑り込んだ。無錫駅で止まっただけで南京駅まで4時間。いまは高速鉄道でひとっ飛びだ。
この後の辻田証言が消された。AIの仕業か。証言はだれも知らない内容である。
さすがは恵まれている地方自治体職員。夜の南京クラブで飲んで歌って。さすがに値段は記事にしていない。大満足だったと記してある。貧乏人はホテルのクラブには100回以上中国に行っても
一度も経験がない。
4日目の南京大虐殺記念館訪問。「日本国憲法第九条全文を白地に青く染めたTシャツを全員が着て見学。中国では大屠殺記念館」「戦争とは、これほどまでに惨いものなのかと、いま改めて二度と戦争はしてはならないと強く思った」。
南京大虐殺記念館訪問を計画してよかった、と自分をほめたい。
<南京城修復工事に献金と労力奉仕の思い出>
単なる見学では十分ではない。南京城壁修復工事にささやかな献金をして、重いレンガを運ぶ小さなお手伝いも事務局が具体化してくれた。そのことも増田は記録していた。
そして右も左も尊敬する孫文の中山領に登った。
ついで長江・揚子江大橋へと一行50人は行く。筆者は列車内で初めて聞いた辻田さんの「3か月後の南京」が胸をギリギリと締め上げていた。ドラム缶の上に人ひとり歩ける板の上を歩かされ、無数の中国人を日本兵が次々と撃ち殺す様子が瞼をよぎる。
「もんどりうって長江に沈むと、まもなく水面に浮く。その時のまさしく人間の死直前に怒り狂う眼光に圧倒されたという辻田さんが、夜な夜なうなされる晩年のつらい人生に思い巡らす。
恐ろしい戦争も数々あれどヒロヒト軍の所業は、この世の悲劇の最たるものだった。人間以外の動物には、100%存在しない。
<盧溝橋・抗日戦争記念館の「前事不忘 後事之師」>
抗日戦争記念館には何度も行った。
竹下登の後継者となった小渕恵三に「総理になりたい」と相談をうけたさい、きっぱりと「中国に行きなさい」と進言した。その後、彼は中山太郎を同行させ、人民大会堂で江沢民の後継者となる胡錦涛と会見した際、彼は「中国の大警告」(データハウス)の中国語本を手にもって「この本を読んでください。本澤先生のこの本に中国人民の思いがすべて書かれています」と丁重に諭された。
抗日戦争記念館近くの森林地区に「小渕恵三の森」を見つけた。うれしかった。彼は見事竹下後継者となったが、もう忘れたが、小沢一郎との口論のあと倒れた。日中友好の流れは、清和会の森喜朗に。ナベツネの仕業であろう。残念なことだった。期待の星の総務会長・池田行彦は体調を崩しており、森工作の場にも出られなかった。
いま小渕の娘が浮上しているという。中国との関係改善がアジアの平和と安定の基礎である。極右・神道日本会議を押さえつけられる田中ー大平連合の復活が、特に期待されている。
増田は抗日戦争記念館の「前事不忘 後事之師」を忘れなかった。たしか江沢民の字である。極右封じの文字である。
北京の夜の食事に満足した千葉市役所職員は、研修旅行最後の日の朝、天安門広場を見学し、紫禁城も歩いた。人民日報総副編集長の張虎生との懇談でのあいさつ文をそっくり日記に納めた。夜は京劇を鑑賞し大満足して、翌日成田国際空港に無事到着した。1個300円のやせる石鹸?を28個も買っていた。筆者もそうである。それにしてもすごい実りのある旅となった。
2025年8月31日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
原発・ミサイル基地は一番危険な場所!
(朝日)敵基地攻撃能力(反撃能力)を担う国産の長射程ミサイル(スタンド・オフ・ミサイル)を、熊本市東区の陸上自衛隊駐屯地に配備する計画について、九州防衛局の伊藤和己局長は29日、木村敬知事と大西一史市長に直接説明した。市民団体からは反対の声も出ている。
70万人の被ばくアメリカ人
米国に「見捨てられた」核兵器プログラムの労働者たち トランプ氏の政府効率化、健康被害に対応せず(字幕・23日)
広島・長崎に原爆が投下されてから80年、核兵器は米国の安全保障政策の中核を担ってきた。その核兵器プログラムを支えてきたのが、延べ70万人に上る労働者である。放
射性物質を取り扱いに従事した人々の中には、がんなどの健康被害に苦しむ例も少なくない。
日本財政危機・沈没日本へ
金利上昇を背景に…国債費が過去最大 財務省の概算要求
財務省は来年度予算の概算要求で国の借金の返済などに充てる国債費を過去最大となるおよそ32兆円としました。 来年度の国債費の要求額は32兆3865億円で、今年度予算より4兆円以上多く、過去最大です。 普通国債の残高が1100兆円を超えるなか、利払い費は想定金利が「2.6%」と2009年度以来の高い水準となったことで13兆435億円に上ります。 国債市場では財政悪化への懸念などから金利が上昇傾向にあり、利払い費はさらに膨らむ恐れがあります。
概算要求122兆円 3年連続で過去最大 国債利払い増加 さらに規模が増える可能性も
来年度の一般会計の概算要求の総額は、今年度の当初予算よりおよそ7兆円多い122兆円台となる見通しであることが分かりました。3年連続で過去最大となります。 防衛力の強化を進める防衛省が、3400億円以上多い8兆8454億円となっています。 国債費の要求額も、4兆円以上多い32兆3865億円となっています。 普通国債の残高が1100兆円を超えるなか、利払い費は想定金利が2009年度以来の高い水準となったことで13兆435億円に上ります。 現段階で具体的な予算額を示さない事項要求も多く、今後の編成過程でさらに規模が増える可能性もあります。