本澤二郎の「日本の風景」(5266)
<自民党独裁の真犯人は小選挙区制>
言論の衰退は、読売のナベツネに屈した海老沢のNHKに起因する。そこに「安倍の女」と揶揄された政治記者の暗躍もあった、と分析できる。言論の衰退が、主権者である国民の目と脳を狂わせてしまった。亡国日本の象徴か。
他方、小選挙区制が自民党の言論を封じ込め、窒息状態にさせてしまったものである。政権与党の言論が、共産党や公明党のように抑え込まれると、もはや国民は正常な判断をする能力を失う。
派閥政治を批判する、政治に無知な学者文化人は、それを由としてしまった。言論の自由のない自民党においては、もはや「民の政治」は軽視され、そこから「閣議決定」という内閣の独裁・首相独裁が始まった。
その頂点に立った人物が、A級戦犯勢力の岸信介の孫の内閣だった。安倍晋三は「改憲軍拡」という平和憲法に違反する言動を毎日のように吐いて、政治に無知な国民を洗脳した。中国を敵視する偏狭なナショナリズムの台頭の下で、恐ろしすぎる43兆円の武器弾薬の戦争国家が誕生した現在である。
小選挙区制という民意の反映しない選挙制度は、岸の悲願だったことを、小沢一郎や河野洋平は知っていたはずである。推進派の読売改憲新聞が、NHKを巻き込んで公共放送を、あろうことか政府の広報宣伝に活用したともいえる。アベノミクスの悪政が、財閥と株屋を狂喜させた。その裏方が「物価の番人」の使命を放棄した日本銀行である。
戦争国家・日本の前途は、地獄そのものに違いない。国民と言論・野党の覚醒が、いま不可欠といえる理由である。
<言論の自由消え、護憲リベラル消滅=宏池会が安倍・清和会に服従し極右片肺内閣>
戦後政治は、右顧左眄しない均衡・バランスというモノサシを用いて、極右と極左を排して国民生活を安定させてきたのだが、背景には自民党派閥による牽制機能が強く働いていた。
自民党は戦後派の吉田茂・自由党と、戦前派国家主義者の岸の反共反民主派が合同して、高度成長期の日本政治を担当してきた。
そこでは改憲・核・増税は、最も悪政の代名詞となった。米国の謀略機関CIAと連携した岸でも、日本国民は反安保に立ち上がった。吉田政治の後継者となった池田勇人の宏池会は、護憲リベラル派として右翼政治を監視して、民意に目を向けてきた。
国家主義者の改憲派の中曽根康弘は、首相として靖国参拝を強行したが、内外の強烈な反発に驚いて、二度と戦争神社参拝をしなかった。歴史の教訓に従った。
当時の世論は真っ当だった。それは戦争を体験した財界人にもいえたのだが、自民党の国家神道復活を夢見る神道政治連盟が首をもたげ、清和会の森政権が誕生すると、状況は一変する。小選挙区制のもとでは、自民党派閥も事実上衰退し、発言の機会を奪われてしまった。
特に安倍第二次政権のもとでは、党内に敵なし。そこで安倍と公明党創価学会の太田昭宏・山口那津男と連携して、一挙に戦争法制(特定秘密・自衛隊参戦・共謀罪)を強行し、構築した。創価学会の途方もない変身だった。
安倍の神道と創価学会の提携の下で、日本は平和の国から戦争する日本へと変身してしまった。いまその危機の途上にある。こうしたまともな分析を野党は、まったく理解も認識もしていない大馬鹿政党である。そして言論界もナベツネ化して、政府を批判する能力を喪失してしまった。
護憲リベラルの旗手・加藤紘一もいなくなると、宏池会は最後の溝手顕正を失うと、もはや護憲の火は消えてしまった。岸田文雄の周囲には、小野寺・木原など好戦派が取り巻いて、無能な首相を手玉にとってしまった。台湾有事に突っ込んでいる。
安倍に服従して政権を担当した岸田も、3年で沈没する。
<独裁は有能な人材封じ込める=後継者不在>
自民党の総裁選が始まったが、11人の候補はいずれも安倍・清和会の僕(しもべ)ばかりだ。ただ一人の官房長官の林芳正が反安倍で戦ってきたのだが、いま彼が果たして護憲を叫ぶことが出来るかどうか。
右翼・好戦派の若者や極右の安倍側近女が、日本会議という不気味な神道勢力が、統一教会の支援も受けている。
はっきり言って、健全な国民のために奉仕する人物はいない。
<アベノミクスは財閥株屋暴利政策=円安物価高で国民生活衰退>
露骨な円激安とゼロ金利で、財閥をぼろ儲けさせ、同時に株屋に莫大な金を流し込んで、それでもって経済再生を喧伝してきたアベノミクスも、遂に破局を迎えている。
円刷りまくりと金利を正常にすれば、円は1ドル80円に向かうのだが、日銀の狂いは依然としてアベノミクスの呪いを受けたままで、極端な円安が継続して物価の急騰は収まらない。
国民の政治不信の最たるものは43兆円の戦争準備と、庶民の消費を抑え込んでいる物価の急騰と財政破綻にある。財閥のための労働政策は、いうなれば労働者の奴隷化そのもので、これは清和会の小泉内閣の竹中平蔵路線を、いまだに死守しているせいである。
<物価の番人の日本銀行が株屋に変身=官僚統制経済驀進>
バングラデシュの学生と市民は、独裁者の女を追放した。しかし、630人の若者が警察の銃で殺害された。痛々しい限りだ。
日本での学生の抵抗運動というと、岸が強行した60年安保を思い出す。その後に自民党の政権中枢で活躍した加藤紘一や池田行彦らは、学生として毎日国会デモに参加した。
この時殺害された樺美智子の友人が、池田だった。池田の証言に仰天したものである。歴史にもしもはないが、今の自民党には、加藤や池田がいない。
田中角栄と共に日中国交正常化した大平正芳は「政府の使命は通過の安定にある」と指摘した。いまの鈴木俊一は分かっているのだろうか?アベノミクスは、いうなれば宇都宮徳馬が叫んだ「官僚統制の経済」である。
愚か者の岸田には、反吐が出る思いである。
<ナベツネ新聞テレビと無力野党=万死に値>
読売の毒矢に当たって久しい日本新聞協会と日本記者クラブの衰退も同様である。追随するかのような野党は、死んでいる。共産党でさえも死んでいるらしいと聞く。
児玉という右翼暴力団を味方にして、読売メディアを配下にしたフィクサーと笹川ギャンブル財団が裏手で操る日本に対抗する、市民運動も停滞している。あえて真実に触れてみたが、独裁の日本SOSは続く!
2024年8月26日記(反骨の政治評論家)