2023年10月

本澤二郎の「日本の風景」(4971)

<衆院予算委・野党質問の課題=ピントはずれに失望>

臨時国会の視聴率は低いだろう。昨日は午前中、野党らしさを多少保持している立憲民主党の、安倍内閣に勝るような史上最低の岸田内閣追及の様子を、ラジオで聞いてしまったのだが、60点にとても届かなかった。


日本政治は、日本国憲法によって内外政に歯止めをかけている。特に戦前の天皇制国家主義による侵略戦争の二の舞を許さない厳しいものだ。絶対平和主義を根幹にした世界に冠たるもので、日本の唯一ともいえる誇りとなっている。

開かれた経済重視の帆船・日本丸が、核の世界を生き延びる実に素晴らしい国策だから、世界の国々から高く評価されている。実際は再び軍国主義の日本へと回帰しているため、昨今の隣国は強く警戒している。


国民の幸せは、まずは戦争のない平和が約束されることである。戦後78年の日本は、9条憲法のカンヌキでそれを実現することができた。平和な時代を生きてきた日本人は、敗戦後の日本人の歴史認識を取り入れた憲法に感謝せずにいられない。

だが、安倍・岸田内閣の下で財閥死の商人の野望が公然と表面化してきた。43兆円という途方もない軍国主義予算が、78年の平和な日本を根底から破壊している。平和に生きようとする善良な日本人に戦争を押し付けている。反共主義者・台湾有事喧伝派らの野蛮な言論人を巻き込んで、外交に無知な一般人を道ずれ、巻き込んで爆走を始めている。

改憲と防衛力強化が、国会の場で当たり前に首相の岸田の口から飛び出している。原因は野党の無力と改憲を社論にする読売・原発推進言論が、この国の民主主義を破壊している。世論操作の主役さえも演じて、偏狭なナショナリズムを国民にまき散らしている。


危険な死の商人に操られる政府の爆走を食い止めるという使命が、国民のための政党、特に野党の大事な役割だ。この一点に期待が集まっている臨時国会の衆院予算委員会のはずだったのだが!

4、5人の立民の質問にほとんどそれが聞こえてこなかった。落第質問ばかりだった。43兆円という軍国主義予算について、野党は気にも留めていない様子を再確認できた。

これでは、日本の前途に明るさは見えてこない。ゆえに自民党の二階俊博のような「選挙はいつやっても野党に負けない」という傲慢な発言を許すことになる。戦争を全く知らない立民の若い党首は、挑戦者失格である。小沢一郎に最後の機会を与える戦術を考えよ、と提言したい気分である。


<戦争準備43兆円追及回避で「カネくれ」はお笑い芸人>

立民に限らないだろう。野党の点数稼ぎの質問は、毎度のことだが「カネくれ」である。医療・介護など福祉にカネを出せ、と大声を張り上げる。

財源はどうする?国債発行でやっても、日本はつぶれない。どんどん紙切れを刷りまくれ、なのか。そんな子供じみた手口を本気で考えている似非エコノミストもいるらしい。

確かに財源はある。うなるほどある。どこに?43兆円もあるではないか。43兆円をゼロにして、そこから福祉に回せ!これが真っ当な野党質問である。

戦争準備43兆円を国民は知らなかった。安倍や高市という連中が犬の遠吠えよろしく発言していることは耳に届いたが、まさか清和会・日本会議・統一教会崩れの萩生田らの言い分を岸田が採用するなど想定していなかった。凡人ジャーナリストの取材力の低さを嘆いたが、岸田のお尻をつついたのは、読売の怪人だった。見たわけではないが、これは筆者の自信のある推論である。


<ALPSトラブルを取り上げて核汚染水容認の片手落ち>

日本の核問題の権威者は、人生を核の研究に捧げてきた小出裕章である。彼を京大の核研究所に閉じ込めて、活動の場を与えなかった犯人は、彼の言う「原子力マフィア」である。政財界の影の黒幕である。三権を掌握している日本の不気味な戦争勢力と理解しても間違いはない。

「東電福島の核汚染水・トリチウムの海洋投棄は過ちである」と科学的根拠を踏まえて厳しく指弾している。勇気と正義の核の本物の専門家である。信頼できる数少ない核専門家である。

トリチウム汚染水は猛毒である。海洋投棄など論外である。日本政府も東電もIAEAの英文を誤訳して、都合よく宣伝していることも彼は指摘している。


だが、立民の東北出身の質問者は、フランス製のトラブルの絶えないALPSについて質問したものの、この危険すぎる核汚染水の垂れ流しに反対しなかったことが、ラジオを聞いていて確認した。

立民も反対しない。立民も原子力マフィアに懐柔されてしまっている。ついでに指摘したい。日本共産党系の革新的医療団体に「民医連」が存在するのだが、そこも?

「福島では放射能下で生きる人間をモルモットにしている」という情報を正義の国際ジャーナリストから聞いている。「特に抵抗力のない子供たちは大変。福島から外に出さないと」と説明してくれたので、当方から「福島の医師会はともかくとして、民医連は対応するのではないか」と問いかけると、なんと「民医連も動かない」という残念な返事だった。

原子力マフィアの威力は相当なものらしい。当然、筆者も彼らにマークされているだろう。その影をなんとなく感じさせられている昨今だ。資金力と組織力・権力も掌握している輩である。


<マイナ保険証強行策の本質は防衛省とリンクした首輪作戦>

マイナ保険証を岸田もあきらめない。立民はデジタル推進議員を質問に立てて、推進派もあきれるようなトラブルを指摘して「延期せよ」と迫るだけで、廃止を強く求めなかった。これにもあきれてしまった。

なぜマイナ保険証を、国民一人残らず強要させようとして、大金をかけて強行しているのか。

これについての深い追及をしない。なぜか?筆者は21世紀の赤紙と理解している。いったんはマイナンバーカードを手に入れた。海外に出るときに便利かも、と元自民党ベテラン秘書の意見に従ったものだ。

よく考えてみると、防衛相を歴任した後、デジタル相に就任したのは河野太郎だ。防衛利権が絡む。いまの若者は「赤紙」を知らない。まさに赤紙だ。43兆円のもとで死を覚悟した戦闘員集めにマイナ保険証はこの上なく有益だ。ロシアやウクライナでは、このカードがなかったおかげで、多くの若者が海外に逃げている。21世紀の赤紙は、それさえも許さない。立民も死の商人に巻き込まれてしまったのか?衆院予算委も単なる政治ショーに成り下がった!

2023年10月31日記(反骨ジャーナリスト・日本記者クラブ会員)


本澤二郎の「日本の風景」(4970)

<日本国憲法下の国会と国会議員の不思議>

もう国会に足を向けないようになって10年以上になろうか。向き合える気がしないことと、会って対話したい人物がいない、それが原因であろう。

護憲リベラルの宏池会が崩壊して、極右の清和会に屈してしまったことも関係している。均衡を欠いてしまって、改憲軍拡の日本会議の右翼に勢ぞろいして恥じない自民党である。日本人には立派すぎるような日本国憲法破壊の政党に堕してしまい、隙あらば緊急事態条項という大権を、こともあろうに平和憲法に挿入しようとしている。分かりやすく言うと、不戦の憲法に風穴を開けて公然と「戦争国家」へと、いわば戦前の軍国主義の日本・天皇制国家主義の日本に大改造しようとしている。


目下の急務は物価高の元凶である日本円を、意図的に安くさせている円激安政策を、民の生活安定確保のために中止するしかない。アベノミクスを廃止する。したがって円激安のための、円刷りまくりの異次元金融緩和をやめる。ゼロ金利を是正するしかない。当たり前の金融政策をすれば、円急落は食い止めることができる。

物価の相次ぐ急騰で庶民大衆は泣いている。1ドル150円を130円、120円に本来の価値にすればいい。米国債を売りに出すことも。


<高物価の元凶は財閥超優遇の円激安金融政策=だれも止めよと追及しない>

だが、岸田文雄は首相になると、君子豹変して安倍の悪しき政策を止めない。円激安で肥え太る財閥優遇策を彼も受け入れてしまった。99%の大衆は、消費税ゼロによる景気対策に期待をかけているが、自民党の台所を賄っている財閥の膨大な裏献金に魅力を感じる安倍と同様の岸田なのだ。

問題は無知なのか、財閥の魔手に捕まってしまったのか、野党のはずの立憲民主党も、民を苦しめる悪しき財閥のための金融政策に対して、真っ向から追及しない。

日本共産党の質問を聞いてないので知らないが、おそらく鉄槌を食わせる質問をしないだろう。かくして財閥の利益は、400兆円どころか600兆円以上に膨らんでいるとみられる。国の予算を軽く飲み込んでいる。財閥が国家なりか?

まともな野党は、この財閥のあぶく銭を分捕る質疑をして、国会を空転させる審議をすればいい。昔の社会党ならそうするが、いまの立民はそうしない。党首の力量不足と無能さ故とみられる。

財閥の経営陣の年収は、数十億、数百億と見られているが、これに対して税制が甘すぎて、巷には財閥人間の肥え太りが聞こえてくるだけである。国民年金は毎月5万円程度から10万円程度。「厚生年金15万円は恵まれている方だ」と羨望の目を向ける老婦人もいる。年収100万円に届かない若者の群れが、日本列島に怨念を募らせている。21世紀の貧困時代突入そのものである。

貧困弱者の思いを、世界一高い報酬を懐に入れている国会議員は、全く理解できずにいる。「他国レベルに引き下げよう」と声を挙げる政党も議員もいない。不思議な永田町である。


<財閥1%に屈服する自民党から共産党>

超物価高による格差社会・官民格差社会を是正する国会審議はみられない。貧困層に光を当てる審議も、真っ当な政策もみられない永田町である。

霞が関の官僚にも、弱者の声を代弁する正義の士はいない。「ジャンヌダルクが出現しないだろうか」と口にする法律家もいるが、目の前の女性議員は「杉田水脈」レベルばかりの安倍チルドレン。税金泥棒の一方で、大繁盛する武器弾薬メーカーが、大きな話題になっている。新聞テレビは報道しない、報道できないが、これは米国資本帝国主義に日本も突入したことになるのか?


消えた公正・正義の日本であろうか。財閥1%に屈する日本では、平和も安全・安心も期待できない。「戦争」がちらついてきた43兆円の永田町・霞が関・大手町なのか!

財閥とやくざまでもが跋扈する日本丸の前途に希望も期待も薄れてゆく。歴史は繰り返す。これが森喜朗・清和会の神道・神の国に突っ込んでいる潜水艦なのか。帆船・日本丸ではない。


<国民・弱者の味方が存在しない世界一高給取りの国会議員国家>

いま韓流時代劇に凝っている。朝鮮の歴史は無知だが、かの国の王朝を正確に表現しているか不明だが、日本の天皇家のルーツを見聞しているようで興味深い。音楽や服装や履物などが酷似している。天皇文化は、朝鮮文化そのものだと感じる。

1400年代に活躍した世宗大王が、それまで漢字文化のため識字率が著しく低い庶民も理解できる文字(ハングル文字)を発明して、儒者の抵抗を押し切って実現する様子を「世宗大王の誓い」というドラマで半分ほど見た。漢字文化・儒教文化の朝鮮で、民の識字率を引き上げる民のための文字を断行した王の存在に、正直なところ驚いた。朝鮮人が教育を重視する文化を、中国で見聞した筆者も納得である。

自立する民のための朝鮮と韓国、他方で自立できない官に屈するだけの日本人との落差。


福島の核汚染水垂れ流しの官(原子力マフィア)を、NOと言えない民(新聞テレビ)も追随するだけの日本。財閥とやくざに屈して恥じない日本人。それが永田町や房総半島でも。

本日午後千葉県議会の控室で、袖ヶ浦市林・高谷地区の県民代表と県庁の小役人が、核汚染ごみ問題で話し合う。仕切り役として国会の参院行政監視委員長の青木愛も参加する。変革の動きが出てくるのかどうか?税金泥棒の汚名を排せ、と忠告したい!

2023年10月30日記(反骨ジャーナリスト・日本記者クラブ会員)


本澤二郎の「日本の風景」(4969)

<朝日新聞が袖ヶ浦市を取り上げたが=失望の衝撃!>

筆者も含め袖ヶ浦市の水と空気を考える市民団体や林・高谷地区の住民は、10月28日付の朝日新聞千葉版の記事に注目した。朝日購読をやめて大分たつ筆者の下にも、市民活動家から記事のコピーがパソコンに送信されてきた。やや胸を躍らせながら開いてみた。なんと林や高谷地区住民の素朴な叫びは、抽象化され、事実上全く記事にされなかった。あえて凡人ジャーナリストに言わせてもらうと、「衝撃的失望」でしかなかった。間違いなく、朝日千葉支局記者は千葉県を知らない?やくざが跋扈する房総半島に対する認識がまるでなかった?地元住民の被害説明と貴重な資料に目もくれなかったのか。言論の危機は、読売産経新聞のみならず、ほとんどの言論機関が課せられた使命を果たそうとしない。昨日も改めて感じさせられてしまった。新聞の衰退を裏付けて余りある。


住民の切実な叫びは届かず、市当局の逃げの姿勢がしっかりと取り上げられていた。


<列島を揺るがすワコーの核汚染ごみ不法埋設事件を回避!>

日本人の戦後を生きる原点は、核・放射能問題である。核のない世界・核を封じ込める地球にしなければならない。これに対抗した読売新聞は、原発推進広報に徹した。そうして311の福島が。水と空気に本格的な赤信号がともった。

あろうことか福島の核汚染ごみが房総半島に埋設されていた。地元住民が放射能測定器で見つけたのだ。犯人は産廃業者のワコーである。住民の怒りにワコーは逃げまくっている。市も県も逃げている。「原状回復」の義務がワコーにある。


もはや疑惑ではない。事実である。林地区と高谷地区の住民が声を挙げて数年たったが、警察も動こうとしない。

無法無天の房総半島にやくざが跋扈している、そのことと深く関係している。はっきり言うと、311による東北復興資金32兆円は、土建業者によれば「ゼネコンとやくざ」の利権である。いまも国民は復興税を徴収されている。両者は空前の暴利を得ているが、ほとんど記事にならない。小出裕章のいう「原子力マフィア」が見て取れる。

木更津市に本店を構えるワコーの巨大な産廃施設は千葉県随一の規模を誇るという。総元締めは君津市亀山の豪邸に住む元千葉県警マル暴刑事。故ハマコーの配下で知られる。


ワコーの暴走に千葉県も手を出せない。闇の資金で蠢く県会議員も少なくない。まさに「ブラック」だとゼネコンとやくざに詳しい事情通の説明である。

住民は「およそ60万立法メートルの核汚染ごみが水源地に埋められている。しかも、認可もとらない違法づくめの産廃場に埋め込んで、住民の疑惑を隠してきたが、近代兵器の放射能測定器が、恐ろしい事実を暴いてくれた」と厳しくワコーというやくざ系の産廃業者に原状回復を激しく求めているのだが、朝日の記者はそのことに蓋をかけた。


<日高金属の汚染水垂れ流しで清流・松川に魚も蟹もゼロにも>

埼玉県の中国人が経営する日高金属もあくどい会社で、汚染水をずっとたれ流してきた。林地区を流れる清流・松川には蟹もいない、魚一匹いない、住民は怒り狂って大分たつのだが、市は無関心で住民の反発にそっぽを向いたままだ。

この松川も小櫃川に合流、市民の水道水として40万人の市民が命の水として利用している。

ワコーと日高金属は距離的に近い。核汚染ごみは同汚染水となって、共に水田や飲料水に化けて、人間が利用している。このあたりの住民は、地下水をくみ上げてそれを飲料水にもしている。上総掘りの地帯で知られる。


<40万人の小櫃川の汚染水道水に怯える市民のことも>

小櫃川の水道水を利用している君津郡市と市原市姉崎地区の40万市民は、君津市の水源地に東洋一の産廃場が設置されている事実さえ知らない。そこからの核汚染物資と有毒物資が、小櫃川に合流している川に地下水や雨水などで流れ込んでいる。加えて袖ヶ浦市の水源地からの核汚染水などで、小櫃川河口で魚が姿を隠して数年が経つ。地元の漁師も深刻な事態に直面している。

さらに重大なことは、麻生太郎が水道の民営化利権に食らいついたことで、この小櫃川の水道も民営化されてしまった。いまだに汚染水の実態を公表していない。

人間が生きるための水に赤ランプが付き、福島の放射能が地上に舞い上がる被ばくという二重三重の命の危機に直面している房総半島なのだが、以上のような真実の報道と、まともな住民自治が到来する日が来るのであろうか。


11月12日に袖ヶ浦市長選が実施される。再選を狙う現職は、やくざ系代議士と一緒の事前ポスターを市内全域に張りめぐらせて、独走態勢にある。それも2か月前からの事前違法ポスターが!選管も腐ってしまったのか?

言論が衰退すると、政治行政も経済も衰退することになる。永田町の腐敗は、地方の袖ヶ浦市・千葉県の腐敗を約束していたようで、悲劇そのものである。

2023年10月29日記(反骨ジャーナリスト・日本記者クラブ会員)

小出裕章さんのIAEA発言남기정 교수(南キジュン教授)と同じ趣旨の発言を小出裕章さんが9月18日の集会でされていますね。 以下のとおりです。     私は以下の発言に注目しました。 小出裕章さんのメッセージ9.18より(2023-9-18) IAEAとしては「海への放出を承認したわけでも推奨したわけでもない」とちゃんとその報告に書いてあるんです。山ほど方策があるのに、日本政府がそれを取らなかったということをああいうIAEAがむしろちゃんとそれを指摘するということになっています。もう一つは先日G7という広島サミットというものが開かれました。その報告書に日本の政府がいや公式声明は英文なんですけれども、その英文を日本政府が訳して、そのG7の宣言に「福島の汚染水は海に放出するしかない」と実は書いてあるんです。しかし公式宣言にはそんな文言は一つもありません。必要なのはIAEAがこれから「監視することが不可欠だ」と書いてあるのですけれどもそれを日本の政府が意図的に誤訳をして「海に流すことが不可欠だ」とそんな記述にしてしまいました。本当にこの国は腐っていると私は思います。

本澤二郎の「日本の風景」(4968)

<李国強前総理死去に哀悼の意=改革開放の理性の人>

中国外務省の毛寧報道官は27日の定例記者会見で、「突然の心臓発作による李克強前首相の悲劇的な死に深く哀悼の意を表する」と述べ、李氏の葬儀の段取りについては「しかるべき時に」発表されると説明した。


中国が経済危機の渦中において、人民が最も信頼する経済に明るい李克強を失ったことは、アジアと世界において惜しい人物を失ったことになる。日中友好をライフワークとしてきた日本の言論人の一人として、心の底から強く哀悼の意を表したい。国際政治においても、中国の安定がアジアと世界の安定にとって不可欠である。繰り返して惜しい人材を失ったと声を挙げたい。おそらく心労・ストレスに違いない。

経済にも明るく「腐敗しない廉潔の人」に対して、人民の評判は高かった。彼は中南海を去るとき「天は知っている」と自らの心情を吐露したという。経済政策を任せる政治環境さえあれば、現在の深刻な経済危機は想定できなかった。惜しい友人を失ったアジアと中国・日本である。  


<思い出は共青団第一書記の時に単独会見>

1998年に43歳で河南省の省長に抜擢された数年前の中国共産党共青団第一書記時代に、筆者は北京の共青団本部で単独会見をした。さも改革開放の鄧小平の申し子のように「中国は二度と扉を閉じることはない」と繰り返し自信満々に日本人ジャーナリストに語った。

共青団は中国共産党幹部への登竜門である。先輩の胡錦涛に続いて大中国を率いてゆく運命の星が約束されていた。95年には、中山太郎秘書の有澤志郎君と共著で「中国のニューリーダー」(駿云堂)を書いたが、この時は胡錦涛の出番を予見したものだ。

余談だが、胡錦涛について言及すると、彼が副主席の時に「中国の大警告」(データーハウス)を出版、間もなく中国語に翻訳された。そのころ小渕恵三と中山太郎ら自民党訪中団と人民大会堂で会見すると、彼は「中国人民の思いはすべてこの本に書かれている」と本を紹介しながら小渕らに説明した。その少し前に小渕が「会いたい」と言ってきた。二人で食事する場面で「首相を目指すというのであれば、中国を知る必要がある」と強く進言した。彼は素直に北京へと駒を進めた。彼が急逝しなければ、日本政治が今のような清和会主導の極右政治に堕落する事態に陥ることはなかった。


改革開放と歴史認識を繰り返し強調>

「改革開放はこれからもずっと続けて行く」と改革派の旗手として国際社会と交流する中国を力説したものである。日本にも300年間、鎖国政策を推進した時代が続いたが、これが北方領土問題などで日本が追い込まれる火種を残した。

窓を開く国際協調外交は、人々の生活を安定させる。「中国も貫徹してゆく」と共青団第一書記は、日本人ジャーナリストに繰り返す一方で、もう一つが「歴史認識」のことだった。


不都合な侵略史を隠蔽する日本政府と日本の学校教育に対して、厳しく指摘して「歴史を直視する教育」を訴えた。全くその通りである。歴代の文部大臣、現在の文科大臣は右翼議員の独占が続く。歴史教科書に対する文科省の教科書検定は、これまでもずっと圧力を行使してきて、自由な真実を書く歴史教科書を羽交い絞めしてきている。

元凶はいうまでもなく極右・清和会議員の文教族。その先頭を走ってきたのが、日本は「神の国」という途方もない言動を吐いている森喜朗ら神道議員連盟の面々、日本会議の極右メンバーである。

日中関係を破壊した清和会主導の靖国参拝の文教政策が、日中関係を破壊した。森・小泉純一郎・安倍晋三の下で粉々にされてしまった。あろうことか安倍配下の高市早苗や萩生田光一らが、安倍に代わって、台湾有事を煽り立てている。


意外や小泉進次郎が昨日の衆院予算委員会で「インド重視」をがなり立てた。進次郎も歴史認識を理解していないことに驚いた。彼は米国のジャパンハンドラーの申し子でもある。要注意人物である。

日本の外交政策は、右顧左眄することなくどこの国・国民とも仲良くすることが基本である。このこともまた学校教育の現場で教え込まねばならない。


<心労が68歳の寿命か>

人間が健康に生きるための最大の要件は、ストレスをためない生活が不可欠である。ストレスを吐き出す手段は、ひとり閉じこもることなく、声を出す人間でなければ、病に負けるしかない。

大平正芳・田中角栄・小渕恵三らは、ストレス解消に失敗した。角栄はほどほどのアルコールで満足せず、浴びるように飲むことを止められなかった。

身近な例は「木更津レイプ殺人事件」の被害者。レイプした戦争遺児を、やくざが恐ろしいドーカツを、繰り返したことから、その衝撃で突発性の大動脈瘤破裂で非業の死を遂げた。彼女は性被害を警察に訴えて解決を図ろうとしなかった。犯人は市民に姿を変えて創価学会に入会し、介護施設を経営しながら本業の強姦事件で女性を食い物にしていた。今も公明党のおかげでのうのうと生きている!


ストレス・心労は誰にでもある。人間社会そのものがストレス社会だ。そこから離脱する才能を有することが、長寿の秘訣でもある。まじめ人間はその点で優等生になれない。声を挙げ、叫ぶ人間になることが最も大事であろう。それにしても68歳の李克強は若すぎる。本当に惜しい人材だった。

2023年10月28日記(反骨ジャーナリスト・日本記者クラブ会員)


本澤二郎の「日本の風景」(4967)

<井戸塀議員ゼロの「カネだけ自分だけ」の永田町の面々>

朝食を作りながらラジオをつけると参院本会議、各党の代表質問が繰り広げられていた。その一部が耳に飛び込んできた。10月26日のことだ。昨夜、青森県の津島雄二が亡くなったと報じられた。津島が大蔵省をやめて岳父・津島文治の婿養子になった際、文治が亡くなり、雄二が後継者になるのだが、この時、文治の葬儀に東京から政治記者として一人青森に飛んだ。

雄二と初めて名刺交換した。この時、太宰治(津島修二)の作品「斜陽館」を仰ぎ見た。巨大な木造建築はいまも存在しているのだろうか。文治も修二もこの館で育った。兄は政治に家宅地を投げ捨て、弟は放蕩に明け暮れて作家となってゆくのだが、文治の葬儀の時は、小さな家が一軒しか残らなかった。


上京して「井戸塀議員一代記」を東京タイムズ紙上に大きく載せた。政治記者になって数年後のことだから、足腰は軽かった。鉄道での青森行きは、この時が最初で最後となった。文治の娘婿の巨漢・田沢吉郎のリンゴ園を見ないまま上京した。

思うに、昭和の政治家の方がはるかに立派だった。財産をすべて投げ出し、国民の代表として権力闘争に汗を流し、理想の政治に突き進んだ。いま津島文治のような政治家を見つけようとしても、曇り空で星を見つけるようなもので、一人としていない。カネ亡者に取りつかれた人間失格のような面々ばかりだ。

いま永田町忖度の言論人崩れに徹する読売のツネや、ツネが支援した改憲派の中曽根・安倍一族は井戸しか、塀しか残らない人物はいない。そうして政治を眺めてきた凡人ジャーナリストだから、参院での国会代表質問を聞いていると、耳が自然と垂れてきて「聞くな」と五体からブレーキをかけてくる。

日本の民主主義のすたれようにいかんともしがたい思いに駆られるらしい。


<岸田文雄は1%の代表=公明・山口の「大衆と共に」は聞いてあきれる>

「ツネの改憲論にかしずく岸田」「財閥死の商人の片割れ」「ワシントンの犬」などと揶揄される岸田文雄は、護憲リベラル派閥の後継者のはずだった。木原誠二を活用しながら護憲と国民のための経済政策を推進すると思い込んだ宏池会ファンは多くいた。実際は?

「毎日新聞の西山太吉もその一人だったが、岸田に怒りを口にしながら生涯を終えた。他方、児玉誉士夫と共に中曽根政権づくりに汗を流したツネの方は、改憲強行を条件にして、岸田の番犬となって蓄財に励んでいる」と永田町の水面下で語られている。


岸田には日本人の心がない。弱者に光を当てるという信念がない。アベノミクス・黒田や植田の円激安の金融政策を止めない。1%のための国政に専念している。覇道に徹した輩であろう。

公明党もとことん腐った。代表の那津男は「大衆とともに」とほざいていた。言葉だけを記憶している政治屋ではないか。


<「万博・カジノ利権」の維新の改憲論は危険すぎる!>

「身を削る」という当たり前の叫びは聞こえがいい。実際はハッタリだった。万博とカジノに執着する利権政党であることが、いまや一目瞭然であろう。


彼らの野心的な眼目は、平和憲法を破壊することにあることも、代表質問を聞いてはっきりした。「笹川ギャンブル財団の息がかかっている」「中山太郎の運転手に憲法を破壊されてたまるか」

(ここで二度ほど文章が消えた。言論の自由を封じるAIの仕業か。屈してなるものか)


大阪で誕生した維新党は要注意政党である。警鐘を鳴らしたい。平和と民主主義を守ることによって、アジアの平和を確立するという当たり前すぎる護憲の国民は、いつの世でも健在である。

世界に光輝を放つ希望は、戦争を阻止する、戦争をさせない日本国憲法を死守することに尽きる。

ツネの信念は間違っている。歴史の教訓は破壊されない。


<43兆円戦争準備に昭和の反軍政治家・斎藤隆夫不在>

昭和の反軍政治家・斎藤隆夫のような見識のある政治家は、安倍・岸田内閣を通して一人も現れなかった。

43兆円に目を覚まさない政治家が一人もいない日本!ツネの言論に屈してしまったのは、岸田の自民党だけではなかった。公明党も屈した。維新・国民民主党でさえも「乞食政党」に成り下がってしまった。立憲民主党の一部も腐っている。いまこそ反軍政治家・政党が台頭する時であろう。平和国民はゴマンといるのだから。時代は変わっても、貧しくても平和に生きたい国民は、文句なしに多数である。無党派層がカギを握っている。利権政治屋に反発し、井戸塀議員のような政治家に共鳴する!大衆は井戸塀政治家に献金するものである。

2023年10月27日記(反骨ジャーナリスト・日本記者クラブ会員)


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