不条理蔓延の永田町<本澤二郎の「日本の風景」(4753)
<岸田文雄は唾棄すべき政治屋=歴史認識・憲法を踏みにじる忘恩の徒>
あなたが事件に巻き込まれ、証拠を捏造されて死刑判決、そして45年もの長期間、獄につながれたらどうするか。気が狂い、病にかかって命をなくすだろう。この世の人間の試練では想定できない。検察はようやく目を覚まし、特別抗告を止めたようだが、被害者の袴田巌さんは、もはや事態を正確に理解できない状態にある。この国の法治の正体について、苦しみ抜いてとうの昔に精神が壊れてしまっている。
検察はどう責任を取るのか、どのように償おうというのか。それが見えない。それでも通用する検察は、明らかに血税で生きる資格はない。悪魔だ。改めていいたい。検事総長以下関係した検事は、袴田さんの面前で土下座して許しを請うしかない。それぞれの資産をすべて投げ出して、過ちを悔いて二度と冤罪事件を起こさないと誓う。これくらいのことは人の道である。天の声である!
袴田冤罪事件はまだ何も終わっていない。
NHKと出版社と読売新聞のツネにいいたい。平和軍縮派の宇都宮徳馬さんは、ツネを我が子のように面倒を見て、読売新聞の入社時に骨折った。保証人にもなって、素晴らしい結婚式の仲人も買って出た。このような親は最近はいないだろう。しかし、気が付くとツネは右翼財閥の世界に飛び込んでいた。読売と日本テレビの、本来は国民に奉仕するはずの言論を、正力松太郎や岸信介・児玉誉士夫・中曽根康弘の原子力発電所推進宣伝新聞に格下げし、はては平和の日本国憲法解体の改憲軍拡新聞にも格下げした。
<忘恩の徒は渡辺恒雄どころか岸田文雄もそうだ!>
ツネは言論人ではない。人はフィクサーと呼んでいる。「改憲軍拡の自民党総裁候補」を選任してきた黒幕に変身していた。護憲リベラルの宏池会の宮澤喜一が、総裁選において「中原の鹿を追う」と宣言した際、改憲軍拡派なら応援するという悪魔のボールを投げてきた、と聞いた。
宮澤は応じなかった。政権は短命に終わったが、護憲リベラルの旗は何とか守った。小沢一郎はこの時の様子を知っていたはずである。真相を明らかにして「ツネに屈するな」といいたい。
宏池会の伝統は、国民の声を政治に反映させるために歴代会長は、言論界から人材を集めた。その一人が西日本新聞記者だった伊藤昌也。池田勇人は彼を秘書官に起用した。
二代目の宏池会会長の前尾繁三郎は、京都新聞の安田正治を起用した。三代目の大平正芳の宏池会ブレーンともなった。アメリカ大使館前の自転車会館に長く宏池会事務所があった。筆者は、数えきれないほどそこへ通い詰めた。安田との無数の意見交換の場面で気になったことがある。それは4代会長の鈴木善幸の後継総裁選びにおいて、宏池会と田中角栄派は中曽根康弘を擁立した。この時、安田は初めて中曽根と中曽根派の正体に気付いた。
彼は右翼・国家主義の中曽根について初めて恐怖を覚えた。「最後は宏池会と改憲派の攻防戦になる。護憲リベラルが破れたら、歴史は逆転する」と筆者に打ち明けた。宏池会の護憲リベラルは、神の国の清和会・森喜朗の政権打倒に走った加藤紘一の時代で、事実上、幕を下ろしていた。安田の不安が実現して、極右・清和会路線がその後に小泉・安倍へと継承された。
最近亡くなった毎日新聞OBの西山太吉は、宏池会担当で大平の信頼が厚かったようだ。例の沖縄密約事件を暴いたことから検察に捕まるという不条理に泣いた西山が、もしも大平の秘書官から政界に転じていたと仮定すると、清和会の暴政はなかったろう。佐高信インタビューで西山は自身の悲願を明かしていたと、昨日月刊タイムスの香村啓文編集長から連絡があった。西山の地元は下関、安倍・岸一族の地盤だ。西山の悲願が消えたことが、安倍の長期政権につながったことになろう。筆者は小心者だから、地元がやくざ代議士の地盤という最悪の民度に衝撃を受けて「こんな場所が故郷でいいのか」と強く反発して政治への野心を自ら断った。お陰で浜田幸一のやくざ関連の地方議員が今も跋扈し、とうとう水源地に核のゴミが埋設される非情事態を突き付けられ、住民は泣いている。将来は住めなくなる地域になろう。民度の低さが民主主義の危機の元凶なのだ。
三木武夫ではないが「男は一回勝負する」でなければ、本懐を達成することは出来ない。
ちなみに宏池会事務局で池田・前尾・大平・鈴木・宮澤に仕えた木村貢は、確か北海道大学OBの人で、人柄がとてもよく誰にも好かれていた。大平が倒れたころは、毎日電話で彼から様子を聞きながら一喜一憂したものだ。彼の最後の仕事は「品格のある政治」(徳間書店)。産経新聞政治部長だった阿部が手伝って完成した。安倍・極右政権に一撃を加えたものだ。池田に仕えた木村からは「(娘婿の)池田行彦を頼む」と言われていた。行彦は官僚臭のない豪胆なリベラル派だから、凡人ジャーナリストに異論などなかった。夕刻に行くと洋酒で乾杯しながら、あれこれと雑談に花を咲かせた。健康であれば、清和会極右の森喜朗の政権ができたかどうか?
裏切り者・忘恩の徒はツネだけではなかった。まさかツネの仕業なのか不明だが、今の岸田文雄もまた「忘恩の徒」である。晩年の西山太吉が歯ぎしりしながら岸田をののしっていたというが、その気持ちは筆者も同様である。
「総理大臣・宮澤喜一」(ぴいぷる社)を書いたときに世話になった宮澤のスポンサーでさえも岸田に失望していた。宏池会の理念が全くない、そのためである。宏池会の理念・伝統をすべてかなぐり捨てて、安倍の清和会に潜り込んでいる。そのためだ。
中国敵視政策・43兆円の超軍拡計画・原発推進の復活・改憲路線など政策のすべてが安倍譲りである。これらは不条理そのものである。日本国憲法を踏みにじる暴政そのものでもある。彼にとって歴史認識など皆無だ。最近の日韓首脳会談の成果を、韓国の元首相は「惨事だ」とこきおろしている。
<ウクライナ訪問は非戦の憲法に対する冒涜=内閣瓦解の場面>
「どのツラ下げて帰国するのか」「まるでガキのような岸田外交」「国会を無視した愚挙」との岸田批判が渦巻いている。当然のことであろう。
ウクライナは戦争当事国だ。そこへと飛び込んで「連帯だ」とわめいて帰国する。ウクライナにテコ入れするNATOと共闘することを映像で見せつけて、本人は満足げだ。狂気だ。精神が狂っている。
ウクライナのテコ入れは、戦争を長引かせるだけであろう。それを露中首脳会談に合わせて強行した。しかも、国権の最高機関を無視した。これぞ緊急事態条項の実験というのであろうか。
<国民はこの非常事態に立ち向かえるか>
歴史認識とその教訓から誕生した非戦の平和憲法を踏みにじった暴挙である。内閣が瓦解する場面である。公明党はどうか。それでも大臣にしがみつくのか。野党は徹底抗戦するのか。財閥・日本会議・統一教会は大喜びなのだろうが、岸田は虎の尾を踏んでしまった。直ちに政権を投げ出すしかない。
岸田の裏切りを、歴史と憲法は到底容認することは出来ない。議会と言論もまた、厳しく問われ続けることになる。恐ろしい、本当に恐ろしい事態の発覚に真っ当に対応することが、この国の主権者に不可欠である。
2023年3月23日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)