何もしない拉致問題<本澤二郎の「日本の風景」(4461A>
<岸田の枕詞「あらゆる機会」は「何もしない」という意味で安倍レベル>
政府はこの10年、拉致被害者対策について何もしないで、やり過ごしてきた。手を打てるが、それをしなかった。その逆のことをしてきた。普通の日本人は、このことを薄々感じている。そして同じことを、岸田文雄首相までが言い始めた。「あらゆる機会を逃すことなく」という枕詞は、安倍晋三の手口だった。
安倍は「自分の任期中に解決する」と大嘘を公言して憚らなかった。それに唯々諾々と従ってきた拉致被害者の会にも問題があった。彼らは政府のお先棒を担がされて、北朝鮮が一番嫌う「北朝鮮脅威論」づくりに汗をかいてきた。
もとはといえば、朝鮮半島分断という政治的悲劇は、河野洋平が言ったように日本の植民地支配が元凶である。日本が最大の加害者なのだ。しかも、それがワシントンの指令だとしても、一方の韓国とは関係正常化をしながら、北朝鮮との和平を意図的に棚上げしてきた。その罪は重い。
北朝鮮は、日本の関係方面の人脈を行使しながら、関係正常化の行動をしてきたが、日本政府は無視し続けてきた。ワシントンにひれ伏す外務省に、高潔な人材がいなかった。田中角栄首相(当時)は違った。日中関係を処理すると、即座に日朝正常化を推進した。ところが当時の右翼派閥・清和会のみならず、自民党内の反朝派が抵抗、一部の文春メディアも協力して田中を打倒してしまった。金脈問題である。ついで日朝関係は金丸信(中曽根内閣幹事長)の訪朝で動くはずだったが、時の検察捜査で潰されてしまった。金丸の弟子の小沢一郎は、臆病風に吹かれて屈してしまったらしい。不運にも今日を迎えている。
目下の北朝鮮は、大災害による深刻な食糧難に人々は泣いている。そこにコロナが襲い掛かっている。朝鮮民族は優れて清潔な民族である。疫病に敗れるはずもないが、庶民の生活苦は想像を絶する。隣国としてこれを見て見ぬふりは人の道に反する。
<拉致被害者は政府の緊張づくりやめ、身内のための人道支援が筋道>
哀れな拉致被害者である。高齢化で無念の人生を終えている親たちも少なくない。もはや政府の東アジア緊張づくり策略に踊らされている場合ではない。
この深刻な場面で、身内の子供たちのことを考えれば、医療・食糧支援運動
に汗をかくべきではないのか。拉致された横田めぐみさんの子供がいることも分かっている。祖母は急ぎ平壌に飛んで様子を見るのが、人情ではないのか。
なぜ動こうとしないのか。不可解千万である。
やることをやらない日本政府に、実に10年も踊らされてきている被害者の会に言葉もかける勇気などないが、あえて言わせてもらうならば、自己批判も必要ではないか。極右化した日本政府は、国民のナショナリズム化を目論んで、解決を遅らせていることがなぜ理解できないのか。急ぎ平壌に飛び込んで身内探しをしてはどうか。
人々の生活苦解消のための国民運動をすべきではないのか。そのことを日本政府が高みの見物をしていられるのか。世論も同情するはずだ。流れを変えることで平和条約交渉も実現するだろう。
「日朝平和友好条約は決断すれば1日で実現する」との自民党元親朝派議員の指摘は間違っていない。
<医療・食糧難・コロナ救済に必死で汗をかけば平壌は必ず動く>
外交の基本は相手に誠意を見せることである。誠意は必ず通じる。厳しい壁も動く、動かせるものだ。これを歴代の政府も外交当局も見せることが出来なかった。相手を見下すような態度では、動かない。
人間は困ったときの助けに心が動く、100%動く。日本政府と国民も、北への医療と食料危機救済に即座に動くことを求めたい。日朝関係が正常化すれば、かの国との経済交流で投資の機会が増える。貴重な資源が産出され、東アジア経済に貢献することも期待されている。
<拉致問題は佐々富山県警本部長時代に多発=警察の怠慢>
事情通は「この機会に拉致問題は、警察の怠慢だったことに留意してほしい」と訴えている。警察が正常に機能していれば、拉致問題は起きなかったからである。世紀の無差別テロ事件のオウム真理教捜査の大失態だけではなかった。
「最近まで危機管理のプロだとされてきた、かの浅間山荘事件で注目を浴びた佐々が、富山県警本部長をしていたことを忘れてはならない。彼は足元の拉致事件に対して、何もできなかった。警察のミス・無能が原因だった。同じことは安倍桜事件では、検察のいい加減な捜査が発覚した。サントリーの安倍後援会への酒の持ち込みを、検察は知っていながら捜査しなかった。警察も検察も、目の前の犯罪を見逃すという悪弊がある。捜査当局の犯罪を、議会も言論界もしっかりと追及すべきだ」と。納得である。
2022年5月31日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)