強権主義<本澤二郎の「日本の風景」(3867)

<安倍レベルの菅・自公の「学問の自由」に対する政治介入深刻!>

 日本学術会議の公正な実績というと、それは二つある。「戦争目的の科学研究に絶対不服従」の声明と「軍事目的の科学研究NO」の声明である。いずれも日本国憲法の平和主義に則った対応で、国際的に高く評価されている。政府もこれを容認してきた。


 学問が、政治に振り回されるという国や社会は、決して健全とは言えない。日本は、憲法9条が極右政権に蹂躙されているものの、学問の自由は概ね良好だった。学問の自由は、その成果を公表する「言論の自由」と連動する。今は

後者の点で新聞テレビは委縮して、政権の批判が著しく弱体化、国際社会からも懸念されている。



 今回の菅・自公・日本会議の政府は、新たに学問の自由を謳歌してきた日本学術会議の人事に、公然と政治介入してきたものである。強権主義の恐怖を、日本国民のすべてに及ぼしている。恐ろしい窒息するような日本政治であろうか。国民は強く反発しているが、当然のことである。右翼的言論に振り回されてはなるまい。



<批判を許さない力でねじ伏せる国家主義の恐怖>

 政府の憲法違反に反対することは、民主主義の国では、当たり前、正当な主権者の権利行使であり、社会の健全性の証である。


 正当な権利行使に対しても、それを容認しない政府は、国家主義・全体主義そのもので、戦前の政治体制化を意味する。右翼言論人は、それでも政府・菅暴政を支援して恥じないものか。


 日本学術会議の二つの声明は、国民の声の反映であり、日本国憲法を順守する立場でもあって、非の打ち所がない完璧なものだ。したがって日本の誇りともなっている。そこから学問の自由を裏付けていて、その先にノーベル賞を受賞する原動力ともなっている。


 そこに自公内閣は、批判を許さないというメッセージを出したことになる。批判者を力でねじ伏せるという、民主主義に真っ向から敵対する姿勢を打ち出して、国民を混乱に貶めているのだが、本当の狙いは安倍事件隠しの実行部隊の当事者であった自身への追及回避にあると見たい。


<安倍事件隠しの高等戦術という指摘も浮上>

 組織も団体も、問題を抱えると、そこから逃げ出す方法として、新たな課題をぶち上げて、人々の目をそらそうとする。

 日本学術会議の人事介入は、その一つであろうとの指摘が、巷に巻き起こっている。


 いうまでもなく、安倍事件は菅事件である。国民誰しもが、そう信じている。野党が健全であれば、真っ先に安倍ー菅事件追及に専念する今である。


 どうだろう、国民の重大な関心事であるモリカケ・TBS強姦魔事件・桜事件・河井1・5億事件・カジノ汚職などの、いうなれば安倍事件と菅事件を、まんまとやり過ごそうという、悪辣な手口なのであろう?


 まともな野党であれば、直ちに臨時国会を開かせて、これらの事件追及チームを編成、真実を国民の前に明らかにする場面であろう。どうだろうか。



<戦争三法は憲法に違反する暴政の最たるもの>

 今回の日本学術会議推薦委員排除事件は、いうなれば憲法違反の戦争三法に、学者の良心の発露としての批判をしたことに対する弾圧・嫌がらせそのものである。


 戦争三法は、安倍ー菅ー二階自民党ー公明党創価学会によって、強行された悪法の悪法である。健全な政府が誕生すれば、廃止される悪法である。


 安倍暴政に抵抗した学者を排除する今回の菅手口と、その背景を国民はしっかりと理解して、対応することが望ましい。健全な野党と健全な言論で、菅暴政を止めるしかない。


 強権主義は、国家主義そのものである。



<田中角栄の改憲論に水をかけた大平正芳>

 過去にこんな事例があった。田中角栄内閣の時である。田中は党内の岸―福田派の不満をかわそうとして、突然、改憲論をぶち上げた。

 しかし、しばらくすると、この政治騒動は収まった。田中の盟友である大平正芳が、強権主義に水をかけたためである。

 彼は「橋を通過するための車の荷物(改憲)が重すぎて、とても渡ることは無理だ」と公言した。その心は「国民も反対している。野党も。不可能である」と盟友を諭して、田中改憲論はしぼんで、強権主義も消えてしまった。


 強権主義は、自民党内でも嫌われた手段である。右傾化した国民でも、強権主義について反対である。



<岸田・宏池会と石破派の対応を知りたい!>

 ここで岸田文雄と石橋茂に聞きたい。

 今回の事案について、どう認識しているのか。菅の判断と同じなのかどうか。


 菅と安倍に排除された仲間として、水面下で沈黙しているのは、次期リーダーとしては失格の烙印を押されるだけである。堂々と持論を披瀝することが、いま強く求められている。


 このことについて公明党創価学会執行部の見解も聞きたいところである。とりわけ昨年7月の参院選のポスターで、教育の公約を掲げていたわけだから、すっきりした見解の表明が不可欠であろう。ともあれ強権主義の政治手法は、憲法が命じているわけではない。


 強権主義反対を表明したい。

2020年10月7日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)


国家主義の爪<本澤二郎の「日本の風景」(3866)

<立憲主義・9条を踏みにじり、言論・学問の基本権蹂躙>

 前川喜平元文科事務次官のインタビュー記事を、昨夜ネット記事で目にしてみて、正直に本音でいうと、改めて安倍内閣の国家主義・大日本帝国主義化路線が、安倍の泥被り役に徹した論功で、後継者の地位を手にした菅義偉・自公内閣のもとでも、国家主義イデオロギーが見事に貫徹されていることについて、心底から心が凍りつく思いである。勇気ある識者に訴えたい。


 国家主義も民主主義も区別のつかない菅番記者を、完全オフレコの朝食会に誘惑した菅は、他方で日本学術会議推薦人排除を断行して、衣の下の鎧兜である国家主義の爪をひけらかしていたのである。


 この危険な罠である朝食会に朝日新聞・東京新聞の二紙と書いたが、実際は毎日新聞、京都新聞も欠席して、抵抗をしていたことを、この場で付記しておく。電通の大株主の共同・時事の覚醒を期待したい。


 日本国憲法は、公人の憲法順守を義務付けている、立憲主義の、世界に冠たる平和憲法である。だが、自公政府は、3分の2の議席を背景にして、暴政に徹してきた。改憲軍拡論は9条違反である。具体例が、戦争三法(特定秘密保護法・自衛隊参戦法・共謀罪)の強行だった。背後で言論の自由権を奪い、ここにきて当たり前のように、学問の自由権に踏み込んだ。


 憲法の根幹部分を、根こそぎ破壊してきていることに日本国民は気づくべきだ。世の識者が、軍靴に怯えて当然のことだろう。



<21世紀の特務機関・電通が新聞テレビを拘束>

 国民を欺く手段は、言論の自由という憲法が保障する基本権を制約、弾圧することで可能となる。この7年8か月がそうだった。そして今も。

 その主役が、21世紀の特務機関といえる広告代理店を名乗る電通である。


 財閥の広告費を武器にすることで、新聞テレビの編集権を容易に操るのである。日本の新聞テレビの最大の弱点を、巧みに悪用して、政府の情報操作をしている。このことについて、筆者もまた猛省するばかりである。無知が犯罪であることに、いたく衝撃を受けている現在である。


 世界不況・コロナ恐慌下と新聞テレビ離れも、電通の悪魔の脅威を異常に拡大させている。史上最低の内閣が、7年8か月も継続した原因である。新聞テレビ関係者は、自ら生き延びることによって、国民を疲弊させ、国家主義という恐怖の悪政を存続させてきたことになる。


 このままでは、電通もろとも日本列島は、いずれ海中に沈むことになる。その先導役が日本銀行というのも、驚きである。


NHKを人事権強行でリベラル編集者排除、政府の宣伝機関化>

 国家主義は、戦前の政治体制で憲法が排除した政治体制であるが、これが戦後復活するのは、戦争責任者のA級戦犯として敗戦後拘束された岸信介が、こともあろうに首相の座を占めたことによる。次いで中曽根康弘を経て、安倍内閣に辿り着いて、真っ黒な花が開花した。


 小渕恵三急死のあとの「神の国政権」と公言した清和会・森喜朗内閣、侵略戦争で亡くなった戦死者を合祀するという靖国神社参拝の小泉純一郎内閣を経て、史上最低の暴政内閣が誕生した。


 安倍が真っ先に手を付けた人事権乱用は、公共放送のはずのNHKを政府の広報宣伝部にすることだった。菅はここでハマで仕込んだやくざ文化をひけらかして、リベラル派を追放することに成功した。


 これで、もはや敵なしの世論操作体制が確立した。是非とも多くの国民が理解すべき事柄である。筆者はテレビも廃棄して、家族から嫌われている。


<人事権乱用で内閣法制局をイデオロギー派で固め>

 国家主義は、権力を乱用・暴走させることで、人事権を100%悪用行使する。そうして、政府の方針を強行するヒラメのような人物を要職に就けて、目的を強行する。その典型的な事例が、集団的自衛権の行使という憲法違反を、公然と突破した。


 その立役者が、国家主義に加担した内閣法制局である。人事権乱用によって、あっさりと実現して、世人を驚かせた。あとは3分の2の国会の議席で強行した。自民党内は、既に小選挙区体制のもとで、党内の言論の自由は封じ込められていた。


 以前であれば、ここで党内リベラル派が決起する場面だったが、岸田・宏池会は、安倍の軍門に下っていて、虫の声さえ出さなかった。岸田文雄が、政治家失格のレッテルを張られた瞬間となった。


 かくして、アメリカの戦争屋を支援する防衛省・自衛隊に変質した。これを支持する国民は、新聞テレビの世論操作の罠にかかっていて、10万、100万の規模の大衆運動は、とうとう表面化しなかった。



<憲法順守リベラル派・宏池会を追放した安倍・菅・二階の独裁体制>

 7年8か月を俯瞰してみると、自民党内からリベラル派が姿を消していた。その決定打が、昨年7月の参院選での広島戦争だった。


 ここで岸田・宏池会の現職・溝手顕正を、1・5億円投入の河井夫妻テコ入れと、公明党創価学会による溝手封じの策略によって、河井案里を勝者にさせた。いうまでもなく宏池会壊滅作戦の成功である。


 これを仕掛けた主犯は、反リベラルの安倍国粋主義者である。共犯者は、当時官房長官の菅と幹事長の二階。この場面でも、岸田は安倍からの政権禅譲を期待して、宏池会壊滅作戦の全体像をつかめなかった。安倍に徹底して服従することの恐怖を、安倍後継選挙で彼は初めて気づかされた。1・5億事件全容解明に、林真琴検察が動くのか、動かないのか。


 この延長線上に、目下宏池会反安倍の林芳正参院議員の衆院鞍替え作戦が浮上している。受けて立つ老骨の二階派・河村建夫支援に、二階派の半数が大挙して山口県入りして気勢を上げたばかりである。林は無所属になって二階派と対決することになろう。広島戦争は、山口戦争へと移行することになるが、カギは林が宏池会のリベラルを貫けるかどうか、である。

 

<議会では自民党唯一のリベラル宏池会・岸田派追放>

 山口戦争で林が勝てば、宏池会の復活も夢ではないが、広島戦争で敗北したことで、自民党内は国家主義が浸透、いまや二階派にも伝染している。


 選挙は金がものをいう。繰り返すが、気が付くと、リベラル派が消えてなくなっていた。広島の池田勇人が創設した保守本流が、改憲軍拡の保守傍流の、山口の安倍に撃沈されて、すっかり存在感を喪失した宏池会の行方は、林芳正の双肩にかかっている。


 反菅の麻生派と大宏池会誕生の行方も期待を持たせることになるが、果たして麻生にその度量があるのかどうか。国家主義の台頭の継続が、日本の分断を、アメリカ以上に深刻化させていく可能性もつよい。


 リベラルの基調には、寛容・思いやり・民意を重視する思想がある。国民のコンセンサスを大事にする護憲リベラルに、人々が覚醒できるかどうか。当面、東京新聞・朝日新聞・毎日新聞の奮闘に期待するほかないのか。


<公明党創価学会執行部も池田信奉の改革派に除名の嵐>

 今回の日本学術会議に対する政治介入事件は、要は国家主義に従うものはいいが、反対派は排除するという安倍ラインの踏襲である。極右・日本会議の路線である。


 同時に、戦争三法に加担した公明党創価学会執行部もまた、同じような政治体質をひけらかしていることが、改革派で池田主義信奉派の除名排除事件で表面化している。信教の自由を放棄した創価学会執行部である。


 筆者は、初めて公明党創価学会執行部の過ちを批判して、昨年7月参院選に出馬、21万票もの支持を得た野原善正に対して、除名排除する国家主義の爪を知って、これまた驚かされている。


 風雲急を告げる日本列島の前途は、コロナ恐慌の下で激しく揺れて、前途が怪しくなるばかりである。

2020年10月6日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

新聞の反骨化!?<本澤二郎の「日本の風景」(3865)
<東京・朝日が菅オフレコ御用化朝食会をキャンセルして注目>

 安倍晋三と菅義偉の生活態度の違いというと、夜の宴席大好きな安倍と、酒嫌いの菅は朝食レストラン派。共通項はともに高級レストランで、庶民にとっては高根の花である。


 パンケーキ店を全く知らない世代だが、今の若者には人気なのか。菅は、そこでの記者懇談を、10月3日の朝食時にたっぷり時間をかけた。それも完全オフレコである。菅の正体を暴く絶好の機会だが、しかしながら、1行も活字にして報道しない。おそらく、こうした日本の異様ともいえる取材方式は、国際的に通用することはない。国民は完全に蚊帳の外である。


 しかし、時代の変遷で済まされるのか。我々の政治部長時代は、首相官邸で、官邸コックの手料理を、昼飯時に食べながらの懇談であって、番記者とのそれは想定さえできなかった。新聞テレビの窓口は、政治部長懇談のみだった。編集局長や社長なども論外で、ありえなかった。新聞テレビと官邸の関係を、かろうじて律していた。しかも、注目の手料理は、決まってカレーライスが定番だった。コストもかからなかった。質素倹約を貫くのも、主権者への配慮があったのだろう。


 余談だが、ロッキード事件の法務大臣・稲葉修の国会事務所では、鎌倉の自宅で夫人が作った弁当を、よくご馳走になったものである。鈴木善幸さんが自民党総務会長のころは、昼時に押しかけると、国会議事堂1階の通称人民食堂のラーメンをすすりながらの記者懇談で、オフレコなどという厳しい規制はなかった。


 安倍以降の記者懇談は、過去の伝統をドリルでこじ開けて、言論界の懐柔工作のための宴席三昧となって、それをよしとした。知らぬは国民ばかりである。以前では言論人でも、政治部長経験者でないと、こうした官邸カレーライスにありつくことなど出来なかった。


 いわくつきの菅番記者懐柔のための朝食会を、朝日新聞と東京新聞は拒否したという。不祥事の反省なのか、それでも菅のためにする懇談を欠席した点は評価されよう。ここを契機として両紙の反骨化につなげれば幸いなのだが。


<学術会議委員不当排除の説明責任問題を封じ込める格好な磁場>

 この時期は、日本学術会議の委員推薦者6人を排除した問題が、話題の中心になったはずである。加藤官房長官を質問攻めにする場面だが、なぜか新聞テレビの担当記者に、主権者に代わって追及する姿勢が弱い。

 加藤の逃げ答弁を簡単に伝えるだけの、官邸広報マンのように見える。


 本来であれば、菅と記者団が喧々諤々の朝食会のはずである。それが紙面や映像に反映する格好の場面であろう。


 元自民党国会議員秘書は、一人は東京新聞の愛読者で、他の一人は朝日新聞の購読者だ。前者は、東京のスクープ記事が出ると、連絡してくれる。後者は、早朝に朝日の国内外の記事をくまなく目を通す。


 同時に、BSニュースや民放テレビニュースを、週刊誌発売時はコンビニに飛び込んで、週刊誌にも目を通して、それを連絡してくれる。凡人には、これがいい刺激となって、パソコンのキーボードで、相変わらず慣れない指先を動かしている。


 初の菅懇談から、独自種が出たという知らせはない。ということは、完全オフレコ懇談は、菅の思惑通りの展開だったことになる。朝食会は記者を篭絡させる格好の磁場なのである。


<談合・秘密主義が横行する日本政治の半封建性>

 与党と野党の駆け引きにも、後者への懐柔作戦が執拗に展開している。古くは、中馬辰猪の秘書になった農協職員が、いまや菅と二階とコンビを組んで、大変な成果を上げている。それゆえに、政権交代しても森山という野党懐柔のプロが継続して国対委員長を歴任している。


 水面下で双方の談合・密談が横行しているのだろう。ネズミを捕らない猫のような、万年野党の弱体化は、与党による密室談合工作が成果を収めている証左である。せめて新民主党は、共産党レベルの与党に与しない人物を国対に起用しないと、次期総選挙でも大敗することになろう。


 官邸にとって、残る目の前のハエである新聞テレビ記者は、菅自ら封じ込める、そのための記者懇談である。この異様な新聞テレビと首相官邸の関係を清算しないと、この国は、世界の投資家で知られるジム・ロジャースが指摘するような、若者の人生を締め上げる底なし沼にはまり込んでいく。


 開かれた議会・開かれた言論界に舵を切り替えないと、日本の展望は開けないことになろう。


<記者も為政者も仲間内、気楽な雰囲気で、官邸の郎党化への道>

 国民を代表する新聞テレビの、この浅ましいばかりの体質を、逆方向に切り替える時であると、強く思う。


 権力を監視する言論界が、権力になびいてしまって、それを怠ることの恐怖を知る言論人にとって、いろいろあっても朝日と東京の、今回の勇気ある決断は、高く評価できる。


 それは政府・政権が、戦前の国家主義に傾倒、公正であるべき学術会議の人選までも、露骨に介入する安倍傀儡の菅・自公内閣であることが暴露された今である。そんな重大な局面での、記者と首相の仲間内のような完


NHK記者が誕生するのかどうか、これも国民にとって不安の種であろう。


 いえることは、権力監視をやめたような番記者の中から、甘い汁を吸いたい願望の、よこしまな記者が必ず生まれることになる。別に、官邸との関係に限らない。財界人にまとわりついている経済部記者も多い。相手の懐に入り込んで、小さな利権に満足するケチな人間は、吐いて捨てるほど多いこの世の中である。

 とりわけ権力者の菅や二階にまとわりついて、よこしまな情報を発信する人物の誕生を恐れる。菅朝飯会の監視も、善良な言論人の使命である。


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