木更津レイプ殺人事件の犯人4<本澤二郎の「日本の風景」(3298)
<やくざ浜名の牙を暴く=その四>
獰猛な狼はハゲタカにも譬えられる。鋭いくちばしと、柔らかい肉に突き刺さった爪で,捕獲した餌を放すことはしない。強姦魔もピンからキリがあろうが、この世で、やくざの右に出る者はいない。まず100%逃げることなどできない。
浜名に殺害される前の美人栄養士は、ひたすら仏壇の前に座って、祈り続けた。毎日3時間である。考えるとおかしなことである。攻める狼も逃げるウサギも、祈りの対象・本尊は同じである。
それでもって漫画や小説のように、なにか特別に奇跡が起きるわけではない。いかなる宗教も、である。信仰者には申し訳ないが、それは真実だ。アインシュタインもホーキンスもそう信じていた。神社信仰で神風が吹くわけではないように。
狼が勝つ、ハゲタカが鋭いくちばしで食い殺す。これを止める方法はない。家宅地をすべて投げ出せば、一時的に生き延びても、いずれ強姦魔は美人栄養士の肉体と財産すべてを奪う。これがやくざの手口であって、そこに温情の入る余地は絶無だ。世の女性たちよ、これが現実なのだ。
哀れ、戦争遺児はこの世から消されてしまうのだ。恐ろしい、本当に恐ろしい、これが「やくざの女」の悲運なのだ。
<運命の日=4月26日午後、数時間に及ぶ殺人的脅迫>
4月26日が運命の日となった。友人が午後2時過ぎに電話すると、秋田の息子から電話が入ったこと、そのさい、再婚するための了解を取ったと、友人を安心させた電話が、最後となった。
この時点で、友人は特段の変化を感じ取ることはできなかった。彼女は、すでに東京に住んでいる次女にも、そのことを伝えていた。残るは、四街道にいる長女がゴールデンウイークに来るのを待つだけとなった。そうしたやり取りの中で、K・T子さんは、繰り返される浜名からの猛烈な圧力を、仏壇での祈りでやりすごしてきたのだが、とうとうそれも限界を迎えていた。
やくざ浜名の獰猛な牙は、不気味に鋭くなるばかりだった。
どうしてわかったのか。友人は30分後の午後3時ごろ、急に思い出した用件を伝えようとして再度携帯に電話した。今からすると、この電話が浜名の殺人的脅迫を知る決定的な証拠となった。かからない。使用中の音声が邪魔したのだ。また、その30分後にかけた。同じく使用中で、つながらない。こんなことはあり得ない。念のため、三度か四度かけてあきらめてしまった。
この時点では即断できなかったが、のちに23日に口走った一言、それは「浜名はやくざよッ」、その前の20日の友人宅での奇行と、携帯を使ってのやりとりから、浜名の殺人的脅迫を暴くことができたものだ。繰り返すと、浜名が独占して、殺人的なドーカツを繰り広げていたのである。午後の5時か6時前後か、友人の携帯が鳴った。K・T子さんの携帯からである。
電話主は本人ではなかった。娘だ。「いまドクヘリです」というと、瞬時に切れた。
友人の頭は混乱し、真っ白になった。何がどうなっているのか、数時間前は元気な声を出していた。一体何が起きたのか。落ち着いて考える余裕がなかった。
何かあれば、通常は救急車のはずだ。しかし、車は渋滞に巻き込まれる。それを回避するためにドクターヘリコプターが、木更津市の君津中央病院にも備え付けられていた。
友人は、突然ドクヘリといわれても、それの理解ができなかった。
咄嗟のことで、長時間電話の主がやくざ浜名で、殺人的脅迫をしているという推論さえできなかった。それよりも「何とか助かってほしい」という願望へと頭は動いていった。
<長女からの受話器をとって間もなく床に卒倒>
殺人事件というと、通常は凶器を用いる。あるいは強い人間が、弱いものを腕力で、絞め殺したり、殴り殺す場合が多い。
今回、筆者は白十字会病院グループの評議員をしていたため、理事の元筑波大学名誉教授から「強い精神的衝撃による人間の死」の存在を教えられた。
やくざ浜名による強姦殺人と決めつけた理由である。「言葉の暴力」での殺人行為である。やくざの殺人は、脅迫・恐喝で起きる。まさに戦争遺児の美人栄養士は、やくざ浜名による殺人そのものである。その前段に強姦と性奴隷が存在しての、殺人的脅迫だった。
「すべてをばらしてやる。必ずばらしてやる。お前の人生はおわりだッ」という獰猛な狼のドーカツに、かよわいウサギが耐えられようはずがなかった。
再婚という希望も、この数時間にわたる浜名の鋭い牙によって、瞬時に絶望へと変わった。彼女の精神は破壊され、肉体も壊れてしまった。
弟からの連絡で、再婚のことを聞き出そうとして電話をしてきた長女からの受話器を手にした途端に、ドサッと床に倒れこんだ。
長女は訳が分からずに、四街道の自宅から木更津市へと車を走らせた。巌根の精神病院で看護師長をした親類がいることを思い出して、連絡を取ったようだ。そうしてドクヘリの搬送となったようだ。この辺の詳細は、やくざがらみだから、遺族が黙して語らない。
母親の携帯を引き取った長女へと、浜名は容赦なく襲い掛かってゆく。
<ドクターヘリの搬送も介なし=28日に絶命>
100メートル先に親類の伊藤さん夫妻が生活していた。ドクヘリの轟音に周辺の人々は、驚いて家を飛び出した。伊藤夫人もその一人だった。
彼女は、この4月時点のK・T子さんの様子を知る人物である。通夜にも葬儀にも参加していて、当時の様子を語ってくれた。次回に紹介しようと思うが、遺族も含めて、浜名の強姦・性奴隷事件と脅迫殺人事件に気づいていない。
「10日前に、それまで半年ほど寄ろうとしなかったT子ちゃんが突然、元気な顔を見せていたものですから、中学校の校庭のドクヘリのスタッフがT子ちゃんの家に入ったので。もう腰を抜かしてしまいました。あんなに元気だったのに」
人生は幸運よりも不運が多いものだ。その典型が今回の美人栄養士、美人薄命というのは本当である。ヘルパー吉田がいなければ、今も元気なK・T子さんだった。
浜名のドーカツ殺人にも彼女の心臓は、すぐには止まらなかった。2日後の28日に強い心臓が止まった。今日が命日だ。戦場に散った父親も知らないで、戦争未亡人が宝物のように育て上げた戦争遺児は、1945年の敗戦の年に生まれたものの、戦後70年を生きて迎えることができなかった。
やくざ浜名とヘルパー吉田は、この世で最も恐ろしい魔物である。
<君津中央病院=突発性の大動脈りゅう破裂で非業死>
大動脈りゅう破裂という病名は、むろん初めて聞く名称だ。「ものすごい精神的な衝撃によって、突発的に起きる」という説明は正しい。
不摂生で血液が濁ったりしても、事前に判明すれば、治療次第では生き延びることができるが、突然にショックで太い血管が切れると、もう即死状態である。
手術しても間に合うことはない。
人間の病の中でも、もっとも痛みの伴う病気である。意識のある時間がどれくらいだったのか。その間の痛みに耐えうる人間は、この世にいない。
これほどの不運な人生も珍しい。
<健康優良の美人栄養士>
「まるで人形のように、美しく可愛らしい死に顔でした」と通夜と葬儀に参会した信仰者の仲間は、死相に注目しても、だれ一人として突発的な大動脈りゅう破裂が起きたのかに関心を抱かなかった。
吉田と浜名と佐久間の3悪人を目撃した人物は、彼女の友人、ジャーナリストの友人一人だったのだから。そのことが、性凶悪犯罪を、こうして暴くことができたものである。
彼女の私生活を知る唯一の人物でもあった。
もしも、相手が創価学会員でなかったら、介護施設「かけはし」に行くことはなかった。いわんや、そこの主人が「親切な学会の大工」という罠にはまることも、やくざ浜名を家に上げることなど考えられなかった。
信仰する仲間への信仰者の信頼度は、恐ろしいほど高い。これが「木更津レイプ殺人事件」の教訓である。現時点でも、創価学会はこの悲惨すぎる世紀の大事件から、目をそらしていることが、異常である。それは公明党にも言える。
戦争法制へとのめりこんでしまった信濃町に、もはや評価するものなど皆無であろう。戦争未亡人も戦争遺児も、ともに騙されていた、ことになるのだが、それでいいのだろうか。
一人住まいのK・T子さんの安全管理は徹底していた。当然のことながら、男性を家に上げない。信仰者の小さな集まりをのぞいて。来客には必ず警報器で応対した。宅急便も、居間で相手を確認した後、扉を開けていた。むろんのこと、友人をのぞいて。
彼女の健康管理も徹底していた。栄養士としての健康食事は、玄米である。塩分を抑えるため、味噌汁は薄めの1日いっぱい。野菜やヨーグルトを毎日とっていた。
早朝ヨガを欠かすことがなかった。柔軟な体は血液の循環を良くする。散歩も毎日である。大好きな声楽にも、近隣の合唱団に入って、肺を強くしていた。公民館の体操にも参加していた。近くの影山病院が閉鎖すると、市内の規模の大きい病院でチェックしていた。インフルエンザなどの予防接種も欠かそうとしなかった。
これほど徹底した健康管理をする女性を知らない。したがって年齢は、実際よりも10歳、15歳も若かった。同窓会に出ても、彼女の若さに相当する仲間はいなかった。
それでも、やくざ浜名のドーカツから身を守ることができなかった。強姦・性奴隷について、警察に駆け込もうとしなかった。これが非業の死を約束したものだった。不幸中の幸いといえるかどうか、彼女の再婚相手が勇気と正義のジャーナリストだったことから、この悪逆非道なレイプ殺人事件を世に知らせることができたものである。
本人の名誉のために、本名を出すことができないのが残念である。
2019年4月28日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)