本澤二郎の「日本の風景」(5683)

<訪中111回6年ぶりの北京散見>3

白雲の隙間から朝鮮(韓)半島がみえる。快晴の眼下の紺碧の海に、白い水しぶきを上げながら航行する船の往来は、美しい地球を象徴する情景にちがいない。北京から東京に向かっているその瞬間を、初めてパソコンにうちこんでいる。最初で最後の体験である。2025年10月22日の正午前後か。

憶測をたくましくしても、半島や漁船から旅客機にミサイルは飛んでこない。国家神道・靖国かぶれの安倍晋三やその配下の極右の政治屋が、台湾有事を声高にわめいても、大陸から飛来したこの格安旅客機スプリング・ジャパンは安全に飛んでいる。すばらしい。本当に素晴らしい。

機内の乗客は、多くが中国人だ。大騒ぎする中国人はひとりもいない。欧米人やイスラム圏のひげを生やした旅人も乗っている。安全で安い飛行機の人気は、世界経済がとことん低迷する中で、各国人の人気の旅客機。111回目の日本人ジャーナリストも初めての利用だ。食事も出ない。何も出ないと思っていたら、水やコーラを乗務員が販売してきた。コーラにとびついた。

記憶している限り、カネを払ってのコカ・コーラは初めての飲み物にちがいない。東京タイムズ千葉支局長時代、何度か同社幹部らとのゴルフコンペに誘われた。汗を流した後、成績はいつもブービーメーカーと大したことはなかったが、入浴後の乾杯が楽しかった。が、そこにコーラは出てこなかった。ビールで乾杯が勝った。バブル経済のころだった。

甘すぎるコーラではなかった。健康に配慮した飲み物に変わっていた。

柔軟に相手を尊重して行動すれば、国や民族関係もうまくいく、日中関係も対応しだいだが、一部の右翼人士は排外主義にとらわれる。清和会の森・小泉・安倍そして高市ら台湾独立派は、激情的に行動しがちだ。目下の高市の「国民のため」の乱発はあやしい。積極財政による大軍拡は、円の価値を下げまくり、比例して物価高を生じさせて、国民生活を破綻においこんでいる。アベノミクスが物価高の元凶と誰も報じない。 外国でくらす留学生は言うまでもなく、一般のビジネスマンは怒り心頭にちがいない。むろん、財閥はちがった。円安で内部留保は600兆円をかるく超えた。しかし、貧者にくばろうとしない。

10%消費税は最悪の重い税金だ。なぜ国民はいかりを爆発させないのか。いつまで財閥傀儡政権を存続させるのか。

<宇都宮の軍縮平和・大平の寛容と忍耐・角栄の決断と実行が瞼に>

ふいに1972年9月ごろを思い出した。111回訪中を意識しすぎたものか?80年前の日中戦争では、ヒロヒト侵略軍は、世界史上まれにみる3000万の人々を、殺害したり、深い傷を負わせたという。日中和解など考えられそうもなかった。そのはずで戦争被害の賠償金を支払う力は日本になかった。1950年代から中国との国交を回復しようと汗をかいてきた宇都宮でさえも自信などなかった。

「中国は賠償を放棄する」という信じられない北京に、当初は彼も疑心暗鬼だったろう。それが明らかになるのは、国交正常化の半年か1年まえのことだった。

宇都宮が確認し、それが外務大臣の大平、そして首相の角栄の確信となって、1972年7月7に発足した田中内閣は、一気呵成まるでイノシシのように猛進し、3か月後に歴史的な中国との和解が実現した。その後に角栄はロッキード事件に巻き込まれ逮捕、やむなく岸の後継者・福田赳夫内閣を誕生させ、岸の暴走を抑え込む格好で、日中平和条約を締結した。

その効果がいまも継続している。そのおかげで日本海はおだやかに波打っていた。

平和軍縮派の宇都宮、寛容と忍耐の大平、そして決断と実行の田中角栄が、不思議と瞼に浮かんできた。100%ミサイルが飛んでくることはない。一人しんみりと3人の英傑に敬意を評したい感傷的気分にさせられた。日航731便の自衛隊機のミサイル誤射など想定外だった。

<気流の乱れに揺れる機体と列島に接近するや黒雲?>

「天は見ている」といって中南海をあとにした中国の指導者がいたという。熾烈な権力抗争は、世界各地で人間がいるところで繰り広げられている。食欲性欲権力欲は、男女を問わない。

日本にも女性首相が誕生した。むろん、激情的な安倍の鷹で、平和の鳩ではない。

安倍に心酔した鷹だ。中国政府に反発する一方で、台湾独立派と深く関係を結んでいる。

案の定、機が列島に近づくと気流に巻き込まれた。操縦士も乗務員も中国人だが、乗務員の主任は日本人ベテランのような口調で話をする。「トイレ使用禁止」のアナウンスにやや緊張する。そのうち雲が白から灰色に変わってきた。房総半島上空では雨が降っていた。

やはり天は見ているのであろうか?

九十九里浜から成田上空を飛ぶのは数十年ぶりか。丘のような山の木々をきり倒し、そこにゴルフ場がひろがる。やくざが跋扈している証拠だ。悲劇の暴走半島の闇を印象づけていた。

2025年10月23日記(政治評論家)

本澤二郎の「日本の風景」(5682)

<訪中111回6年ぶりの北京散見>2

1979年の大平訪中団に特派員として同行した時の一番の印象は、北京最大の繁華街の王府井のデパートを、一人で入ったときのことである。目の前に黒山の人だかりができた。たしか大平はここで餃子を食べて、ご満悦だった。筆者にも初めて見る異国人と思ったのか、その瞬間、まるで人気俳優になったことに大変おどろいたものだ。

いま同じような経験をしたくても、夢幻である。46年の間に180度の変化を遂げた中国を、トランプが訪問したらどうだろうか?彼はニューヨークの地下鉄にひとりでは乗れない。大半の外国人も。北京にはホームレスはいない。ほぼ完ぺきな治安対策に驚くだろう。

友人の娘は「いま世界はどこも安全ではない。北京が一番安全」と言い張る。これは皮肉ではない。本気でそう感じているのである。

筆者は入国の翌日、近くの派出所に出向いてしばしの北京滞在を伝えた。受付はソフトな女性だ。すると今度は狭いワンルームマンションのいり口に、事前に連絡を受けたのちに、これまた若い女性警官が姿をみせた。万一のことがあれば、友人の携帯で瞬時に彼女の携帯に連絡がはいる。マンション担当の警官が一人いるのである。

中国政府は外国人の身の安全に責任を負ってくれているのだ。むろん、やくざ暴力団に対する警戒は怠っていない。彼らが麻薬密売に取り組んでいることは、昔からわかっている。女性の運び屋にも警戒している。昨今は中国から日本経由で、アメリカに薬物の搬送ルートが発覚している。
 

<安全の証拠を見つけた!>

北京にはおおきな国際空港が二つあるが、主力は以前からの北京首都国際航空で、海外の物流の拠点として、その地位は現在も圧倒している。順義区が注目を集め、高級マンション群が林立する理由だ。したがって、当地を走る地下鉄15号線の利用客が急増している。

忘れていたが紹介した公園のうち、二つは航空機騒音の被害を受けている。ここで散歩していると、成田空港や羽田空港の周辺住民の苦悩が分かる。住宅は三重のガラス窓が一般化している。騒音の少ない航空機開発が21世紀の課題にちがいない。

北京の変化のすごい証拠をみつけた。地下鉄駅前である。

<地下鉄駅前は安全地帯>

目を見張るような変化は、駅前がほぼ完ぺきに安全地帯になっていた。

以前は自転車やバイクの雑然とした放置、そこに集金人の小屋があっても不整理もいいとこで、新しい地下鉄駅との不釣り合いはいかんともしがたかった。

駅の出口には、タクシー客を呼び止めるお兄さんが声をからしていて、なんとなく物騒な印象をあたえていた。現在は電動バイクが整然と置かれている。管理人もいないのに。警官もいない。まさに完璧ともいえる駅前である。バス・タクシー乗り場は一本の道路に二車線、混雑はゼロ。近くの広大な雑草地は、整頓された有料駐車場に変わっていた。

駅前の大通りのバス停は、タンとたばこのポイ捨てのため、路上に目をやると気分が悪くなるほどだった。それが姿を消していた。トランプや米国の州知事に見学させたいと思ったほどだ。46年ぶりの北京の街はすばらしく変わっていた。特に順義区は生まれ変わっていた。

海外では大声をあげてヒンシュクをかう中国人が、ここ北京ではかなり改善されていた。

<爆竹・花火騒音も無くなった>

振り返ってみて、花火大会とはあまり縁がなかった。一度木更津港での恒例の花火大会に、両親を案内したことくらいだ。

幼いころ、はるか離れた自宅近くの高台で、西方の小山の峰にぼんやりと浮かび上がる、小さな半円形の光を眺め、しばらくするとドカーンという音を聞くという、他愛のない花火とはいえない花火?に満足するほかなかった。結婚して妻の実家が多摩川沿いという好位置にあったにもかかわらず、多摩川の花火大会を見なかった。

それが10数年前、北京の滞在先の5階の目の前と頭上で、本物の花火が上がったことに驚かされた。

爆竹も日常的だった。開店とか結婚式というと、人々は花火と爆竹で景気をつけることを日常化していた。

花火業者は年中忙しかったし、景気もよかった。街中のいたるところで、花火が売られていた。それが現在は消えた。「騒音」や煙も禁止である。当局の措置はほぼ絶対的なのだ。

今考えても「やりすぎ」と思うことがある。

それは食べ物から生活すべてのものがそろっている、規模のおおきな庶民の市場を排除したことだ。青空市場に雨風をよける簡単な低コストの平屋に、人民のための人民による広い市場で、人々の胃袋や衣服など生活のすべてをまかなうことが出来た。これも排除した。資産家・官僚の目線による近代都市化で、貧困層を叩きのめし、農村に追放してしまったという。

日本でもこのような庶民的市場による、貧困層救済市場は検討に値する。あメリカは特に参考にすべきだろう。特に大格差社会の今日では、なおさらのことだ。しかも、人々が「今だけカネだけ自分だけ」にのめり込んでいる中では、全世界で実施したらいい。

2025年10月22日(政治評論家)

本澤二郎の「日本の風景」(5681)

<訪中111回6年ぶりの北京散見>1

朝陽区外国大使館街から朝日は昇り、ついでコンピューターの大学街、そして今物流NO1の国際空港街の北京市順義区にスポットが当たっている!こう説明すると、玄人筋は納得するだろう。

中国政府の要人・高級官僚・守銭奴ビジネスマンのための住宅が、10年前の広大な農民が汗を流してきた畑が姿を消し、彼らのための高級マンション群が農民工の力で、林立する高級街に変容している。

北京市の華やかな雰囲気は、国門1号ビルに米国のウォルマートが出店したが、現在はSAMSという会員制の店舗に変わった。この店にはいつも大量買いの金持ちの大型車が、おそらく市内全域から押しかけている。ひっきりなしの車列は、南北から一度に2台同時に吸収できるゲートを通過して、広大な地下駐車場に吸い込まれていく。

そこに新たな市営の電動バスも走りはじめた。

さっそく廃店の小さな場所に、大量買いによる薄利多売の店に足を運んでみた。客は断然おおかった。木更津市の業務スーパーとは全く違った。中国人は古来から「商の民」と呼ばれた。格差はどこの国でも同じ悩みだが、中国は特にひどい。公正な税金制度で人々を納得させる余地は大きい。腐敗官僚退治には重い罰則が不可決だろう。ついでにいうと、日本の消費税は即刻やめるしかない。

<街路樹ポプラ並木と広い道路と電動車に一変>

広大な農地に鉛筆で線を引けば、大都市の全容を描くことができるだろう。それを得意としてきた

御仁は田中角栄。順義区は彼の出番など不要だった。河川は少ない。山もない。

地下鉄15号線が都心の五輪公園から、空港街に向かってまっすぐ走る。これは動かせない。地下鉄駅を基準に線を引くと、そこに新都市誕生である。水田地帯と違って大地は固められている。

地震は少ない。街路樹は畑地の境界線なのか。

ポプラ並木が定番か。まっすぐに高く伸びるポプラは、形としても悪くない。美観を備えた樹木にはいる。これを基線にすれば、都市計画段階から完成したようなものだ。その実例を中国民航の広大な敷地のなかの 大きな公園で見かけた。公園内の樹木は数メートルの高さだが、道路との境界のポプラは優に40メートルの高さの巨木だった。南京街路樹のフランス杉・プラタナスは、とうてい追いつくことはできない。

そばを走る2、3車線の1本はバイクなど軽自動車専用で、さらに歩道もついている。ガソリン車は大方姿を消して排ガス・騒音に悩まされることはない。これは1979年からの北京ウオッチャーも感動するほかない。インフラ遅れという評価は当たらない。

歴史の教訓を学ばない高市ら日本人は、北京・盧溝橋・南京へ。できればハルビンに立つべきであろう。

<広大な公園散策たのし>

順義区には、世界花博の跡地をそっくり市民に開放している巨大公園がある。ここを覗くと、各省の樹木や庭園を見学することができる。人気は江蘇省の蘇州庭園。見事な東屋の瓦屋根は独特で、中国建造物の粋の結晶といえる。友人は晴れた日に、近くのベンチに寝ころび数時間すごすという。太陽は生き物すべての活力の源である。ロシアなど北方の民が太陽と海洋を求めて南下する理由であろう。

 

中国民航の公園もそこから1キロの距離にあるし、そこからまた1キロ先にも広大な公園がある。ここには10年前に何度か散歩したことがある。槐やしだれ柳、ポプラは幼く、背丈は低かったが、いまは鬱蒼とした森である。今回そこで迷子になり、近くの派出所のお巡りさんに迷惑をかけてしまった。日本の携帯電話は役にたたなかった。

じっとベンチに座って友人が現れるのを待つしかなかった。日比谷公園や袖ヶ浦市の百目木公園の比ではない。そういえば木更津市には公園らしきものがない。悲しいことだが、文化的民度ゆえか。やくざが横行する房総半島の首長には文化的価値観がない。

2025年10月21日記(政治評論家)

 【北京共同】中国外務省の郭嘉昆副報道局長は24日の記者会見で、高市早苗首相が所信表明演説で中国の軍事的動向が「深刻な懸念となっている」と述べたことについて「中国は平和と安全保障において、最も優れた実績を持つ大国だ」と反論した。郭氏は「日本が近年、安保政策の大幅な調整を行い、防衛予算を増額している」と指摘。日本に対し「侵略の歴史を深く反省し、安保分野で言動を慎むよう」求めた。

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