初めての田布施記事<本澤二郎の「日本の風景」(3709)

<安倍そっくりの「正義の内部告発者」を屋敷牢に封じ込める町政>

 珍しい活字を見つけた。岸信介・安倍晋三のルーツといわれる長州は山口県田布施。田布施がニュースになっていたものだから、そっくり貼り付けて、読者の要望に応えようと思う。明治天皇(大室寅之助)のルーツでもあるという田布施は、いまは田布施町。この町の役場が、首相官邸を見習っているのか、官邸が田布施を参考にしているのか不明だが、町役場の勇気ある内部告発者を重用するどころか、その反対に屋敷牢のような畳の個室に押し込んでいるという、日本列島初の大ニュースである。号外を出してもおかしくない!との声もある。



<村八分どころか町八分の暴政がまかり通る町役場>

 公務員は、行政刷新に日々努める公僕であって、不正に気づいたら、直ちに通報する法的義務を負っている。それによる不利益は許されない。

 そうしてこそ、市民・国民の期待に沿うことが出来る。民主的な社会を維持発展させる原動力であって、かりそめにも、不正を隠ぺいすることがあってはならない。

 だが、田布施はいまだ明治の前近代のままらしい。不明だが、教育勅語や神社神道が幅を利かせている世界なのか。


 内部告発者を役場内の執務室で、村八分ならぬ町八分を強要、正義派を差別しているというのだ。空いた口が塞がらないとは、こんなことをいうものか。

 しかも、畳の部屋に一人押し込んでしまっているというから、もうこれは21世紀人間だと、腰を抜かしてしまう話だろう。


 町だから、町長や町会議長と町議会議員がいるはずである。日本人の誰が見ても「おかしい」事態を、町長以下それを強行して平然としている。地元ブロック紙の中国新聞の特ダネである。



<河井事件報道だけではなかった!健闘する中国新聞>

 中国新聞というと、現在は、安倍1・5億円の公選法・政治資金規正法違反事件の広島地検捜査に関連して、特ダネを次々と報道している。稲田検察が一番期待できる新聞であろう。

 こと河井事件報道では、他紙を圧倒しているようだ。政治環境も悪くない。自民党広島県連や河井1・5億円の金権選挙に敗れた溝手陣営も、真相究明に必死であろうから、取材も恵まれていて、やりやすい。

 しかも、安倍の防護服となってきた黒川弘務は、常習とばく事件で失脚してしまい、広島地検はのびのびと、それでいて強力な捜査を進めている。目の前には、安倍失脚という宝物もぶら下がっている?


 中国新聞というと、懐かしい思い出がある。山本家が社長など編集権を掌握して、右顧左眄せずに公正な新聞づくりに励んできた新聞である。

 1972年に政治部に配属されるや、山口朝男政治部長が大平・宏池会を担当するよう指示した。参謀役の鈴木善幸懇談が、アメリカ大使館前の自転車会館事務所で、週に何度も開かれた。そこでお互い1年生政治記者として知り合いになったのが、山本一朗君だった。彼が社長の長男だと知ったのは、ずっと後のことだった。


 彼はよく宮澤喜一の部屋を覗く。当時、語学が堪能で、しかも財政と外交に明るく、頭脳明晰な宮澤は、エリート過ぎて近寄りがたい存在だった。大物過ぎて、記者にとって苦手な政治家NO1で、彼を敬遠する記者がほとんどだった。

 ところが、山本君が行くと、不思議と宮澤は喜んで扉を開けた。うれしいことに彼は、必ず筆者を誘って宮澤事務所に押しかけたものだ。右も左も分からない一年生にとっては、破格の成果を手にしたことになる。実は、山本社長と宮澤は肝胆相照らす仲だった。


 宮澤内閣が誕生する前日に単独インタビューを敢行して「総理大臣・宮澤喜一」(ぴいぷる社)を出版することが出来たのも、根っこをたどると山本一朗君のお陰なのだ。


 不幸にして一朗君は、若くして病死した。彼の弟が、のちに社長になった。


 被爆地・広島を拠点に活躍する中国新聞は、日本のいい新聞の最右翼だろう。それゆえの田布施の特ダネ記事だったのだ。正直うれしかった。いずれ「明治の闇・田布施」の大連載をするだろう、期待したい。

2020年6月9日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)


内部告発した職員を「隔離」か、山口県田布施町 1人だけ別施設の畳部屋、2年で3回異動


6/8() 17:53配信

中国新聞デジタル

職員が異動させられた1人だけの部屋。はがした畳が置きっ放しになっている

 山口県田布施町が今春、固定資産税の徴収ミスを内部告発した職員を新たに設けた1人だけの部署に異動させたことが8日、分かった。これまでの業務とはまったくの畑違いでほかの職員と切り離された畳部屋。こうした措置について専門家は今月施行されたパワハラを防止する法律の指針が示す「隔離」に当たると批判している。  職員が配置されたのは町役場とは別施設の約40平方メートルの和室。それまでは町民にも貸し出す部屋などで使われており、畳の一部をはがして机を置いた。文化的な調査や資料収集が仕事内容としているが、税務や外郭団体の財務に従事してきた職員は関わったことがない分野。部下や同僚はいない。はがされた畳が置きっ放しの部屋で職員は「この2カ月間、仕事中に他の職員と会わない日も多い」と打ち明ける。  職員は税務課に勤務していた2年前、相続時の手続きミスによる固定資産税の誤徴収を発見。上司に報告したが、対応しなかったため町議たちに告発した。その年度の業務評価は「成果なし」の0点。職員は「本来あるべき上司との面談もなかった」としている。その年の夏に別部署へ異動。さらに8カ月後に外部の一部事務組合に派遣された。この2年間で3回も異動させられている。  今回の異動について、ある町職員は「この職員を1人にするためにつくった部署と思われても仕方がない。人事権の乱用ではないか」と疑問視する。  国は1日、大企業にパワハラ防止対策を義務付けた女性活躍・ハラスメント規制法を施行。地方公務員にも適用され、指針にパワハラの例として「意に沿わない労働者に対して仕事を外し、長期間にわたり別室に隔離」と記す。厚生労働省雇用機会均等課も田布施町の件を「法に抵触する可能性がある」と指摘する。  大手精密機器メーカーのオリンパスで不正を内部通報した社員を巡る配置転換訴訟で無効判決を勝ち取った中村雅人弁護士は「まさにパワハラ。組織に都合の悪い職員へのいじめだ」と断言する。  内部告発者たちでつくる「公益通報者が守られる社会を!ネットワーク」の串岡弘昭代表も「私とまったく同じ」と話す。自身もかつて運輸業界の闇カルテルを内部告発。報復人事で四畳半の部屋での1人勤務を強いられた。「隔離で精神的にも肉体的にも追い詰め、自ら辞めるよう仕向けているのでは」と憤る。  東浩二町長は「パワハラとの認識はない。職員全体がうまく仕事ができるよう考えての配置。段階的に増員する予定もある」と話す。これに対し職員は「これまでのキャリアを生かすことができず、日々ほとんどやることがない」と話している

世界的な警察不信<本澤二郎の「日本の風景」(3708)

<差別と暴力警察が警視庁管内で発生、抗議されても処分なし>

 超軍事大国のアメリカから湧き起こった性差別・女性虐待問題が#MeeToo運動へ、ついで現在は白人の人種差別警察官が、黒人男性ジョージ・フロイドさんの首を圧殺死したことから、差別と暴力の警察に対して、怒りの抗議デモが全米から、全世界に広がっている。トランプ再選なしが常識のようだ。


 日本も例外ではなかった。前者は官邸警察官僚が関与したTBS強姦魔事件が、国際社会で話題を呼んだ。いまは警視庁渋谷警察署の人種差別警察官が、無実の外国人を、力づくで取り押さえるハレンチ事件が動画で炎上している。渋谷警察署やJR渋谷駅前での、怒りの抗議デモが数回繰り広げられた。この異例な深刻重大な抗議デモを、NHKは意図的に報道しなかったが、多くのネット国民は察知した。警視庁の処分はまだらしい。国会での議論はこれからか。国会は、これまで以上に、性と人種の差別・暴力の警察力に対する不感症体質が問われている。どうやら日本も、無数の警察不祥事に加えて、新たに、差別と暴力という警察犯罪の国際化が問われよう。血税で奉仕活動する警察に対する国民の不信と不安は、確実に増大している。


 確かに、強姦性差別・虐待と、警察官暴力行為は見過ごせない重大事であろう。差別と暴行に対する無責任な当局の対応についても、筆者のみならず日本国民も覚醒させられている。




<戦前の居丈高の「おいこら警察」の復活か>

 国民は無防備であるが、警察官は警棒をぶら下げ、拳銃を腰にぶち込んでいる。怖いものなしだから、本人の自覚が薄れると、つい傲慢になり、時には居丈高になりがちだ。

 何らかのことでストレスが溜まると、それを爆発させる者も現れる。警察組織の危うい点であるが、そこは心配させないという一部の選ばれた人たちが、警察官となるのであろうから、何としても暴発は許されない。

 家庭円満が妻の大事な務めである。したがって戦前の「おいこら警察」の復活はなしだ。善良な人々の安全を守る、悪を退治する民主警察でなければ、失格である。血税が泣くというものだ。


 道を踏み外せば、辞めてもらうしかない。勧善懲悪に徹する警察官に国民は安堵するだろう。

 しかしながら、この道理を踏み外す者が現れていたことを、渋谷署の二人の警官が証明した今回の事件である。通信革命の成果でもあるが、暴行的取り締まりの様子が動画で明らかとなった意味は軽視できない。繰り返し「おいこら警察」の復活であってはならない。


<医療事故で病院に肩入れする千葉県警>

 元国土庁長官秘書官の中原義正は、昨年、千葉県四街道市の徳洲会病院で身内を亡くした。ここでは詳細は控えるが、原因はお粗末な医療事故死である。

 いまだにインフォームドコンセントさえしていない。出来ないのだ。それでも管轄の保健所は動かない。千葉県の担当者もそっぽを向いている。警察に捜査を依頼したが、医療知識のないような人物が「無理です」と電話一本でやり過ごそうとしてきた。


 要するに、警察は例によって、病院側に配慮したものだ。この種の事例はかなり一般化している。病院に反省も謝罪もない医療事故であるにもかかわらず、千葉県警はまともに対応しなかった。


 この問題は、千葉県公安委員会や国家公安委員長、警察庁長官の元にも伝えられているのだが、問題は人間の命に向き合おうとせずに、やみくもに病院に肩入れしている捜査に問題がある。背後で何があるのか。


 追及は続いているが、筆者も東芝の東芝病院で次男を医療事故で失ってしまったが、同じく警察・検察は、財閥東芝に肩入れして押し切った。無駄金などないため、示談を求めたが、東芝の悪徳弁護士は一度も当方の依頼人に会見しようとさえしなかった。いずれ白日の下にさらすしかない。

 弱者に味方しない警察に対する市民の不信感は、中原に限らない。世間の常識になっている。



<オウム事件・拉致事件で無能をさらけ出し、それでも責任なし>

 目下、拉致問題のシンボルとして活動してきた横田滋さんが亡くなって、改めて警察力の無能・低下が問われ始めている。危機管理能力の衰退は、拉致問題だけではない。サリン事件など一連のオウム事件もそうである。


 二つの大事件とも、国際社会に波紋を広げているが、つまるところそれは、日本警察の無能と、合わせて無責任体質が問われている。反省・責任のないところでは、同じような事件がまた発生するかもしれない。

 「石原慎太郎は、息子がオウムに関係していたことで、国会議員を辞めて、都知事に転身、五輪利権に食らいついたり築地市場移転など、都政を伏魔殿と化した。今の五輪を牛耳っている森喜朗とは、血盟の青嵐会の同士だった。都知事選に際しては、徳洲会の徳田虎雄から4億円をもらっている。清和会には悪党が多すぎる。福田赳夫先生が泣いている」とは前述の中原の怒りの指摘である。


 彼はいま、毎日のように日本のドブ掃除の必要性を訴えてきている。

 「危機管理の大家と言われた佐々淳行は、昔富山県警本部長をしていた。何度か電話で話したことがる。ところが、足元で拉致が起きていた。それでいて危機管理の大家とほざいて、責任を取ろうとしなかった」とも。



<やくざ性凶悪犯「木更津レイプ殺人事件」捜査から逃げる警察>

 6年前からやくざの性凶悪犯罪事件である「木更津レイプ殺人事件」を追及、その過程で、やくざ犯罪の正体を知る機会を得たジャーナリストは、やくざ犯罪から逃亡する警察の体質に気づいて驚愕している。


 信じがたいことだと思う市民は多いに違いないが、これは明らかに事実である。千葉県警に限らないかもしれない。


 香川県で活躍した日本タイムスの川上さんというジャーナリストは、目下、黒川弘務の500万円賄賂事件を追及している山岡俊介さんの仲間のようだ。

 彼のすごいところは、香川県警とやくざの癒着を記事にして、やくざの銃弾を浴びたが、屈せずに不正と戦っている。最近、メールでのやり取りができるようになったばかりだ。


 世の中には、勇気のある法治・護憲の仲間はいっぱいいる。周囲に警察官僚をはべらしている首相は、1・5億円の河井事件で重箱の隅に追い詰められている。悪徳警察が、どう悪徳首相をガードするのか、高みの見物といこうか。


 血税をはたいて、国民生活を守るはずの警察が衰退・狂っている現状に、国民はもがくばかりでなく、立ち上がる時であろう。警察大改革なくして、国民の希望はないことも事実である。

2020年6月8日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

安倍流拉致問題<本澤二郎の「日本の風景」(3707)

<改憲軍拡向けの北朝鮮外交の自業自得>

 拉致問題のシンボルとして活動してきた、というよりも、安倍内閣に強いられてきた横田滋さんが、娘のめぐみさんと再会することなく亡くなった。悲劇の背景を、言論界も明かそうとしていない。それは、稚拙で米国服従外交と、安倍の改憲軍拡一辺倒のための、残酷無残な北朝鮮外交による。

 安倍流の国家主義的外交によるもので、自業自得といってよい。安倍内閣の下では、決着することはほぼ不可能である。この機会に、思いつくままにおさらいしようと思う。


 60兆円を海外に花咲じじいよろしくばらまいた安倍の外交成果は、ロシアの北方領土問題を含めて皆無だ。歴史を正当化しようとした韓国外交も、再び破綻するという瀬戸際に追い込まれている。


 戦前もそうだったが、国家主義には大局観が欠落している。他人の家に土足で入り込んで、狼藉三昧の挙句の破局を、21世紀に繰り返そうとしているのだろうか。日本国憲法は、国家主義を否定していることを忘れてはならない。



<日本ナショナリズム化に利用してきた日本会議外交>

 国家主義は、財閥主導による軍国主義によって具体化する。明治の政商が、国家と一体化して財閥へと急成長、莫大な資金力で、軍や官僚・政治屋を操って、その先に外国を侵し、無数の人々を凌辱・殺害して、資源を根こそぎ略奪する侵略戦争へと突進した。因果応報、とどのつまりは2個の原爆投下で無条件降伏した。


 侵略戦争へと国民を引きずる手段が、大日本帝国憲法と宗教と教育だった。人々を国家神道と教育勅語で、徹底した民族主義・ナショナリズムに追い込んでゆく。安倍・日本会議の内外政を総攬すると、これの復活野望を、容易に理解することが出来るだろう。


 その最初の手段が3分の2議席確保のための、公明党創価学会を配下にすることだった。ただし、もとは平和主義の信濃町だ。覚醒するのかどうか、2013年の戦争三法強行以来、創価学会内部に深い亀裂が走っている。これが、どう推移してゆくのか。当面の注目点である。


 言及するまでもなく、岸信介の孫と国家神道を継承する日本会議の面々は、戦前の国家主義体制の構築に必死である。それゆえに、偏狭なナショナリズ化による、平和憲法解体への野望を執拗に抱いて、現在も突き進んでいる、と分析できるだろう。

 拉致問題を契機に、以上の事実をしかと認識して欲しいものだ。二度と過ちを繰り返さないために。



<北の恐怖・脅威をまき散らす役割を担わされてきた横田夫妻>

 拉致という蛮行は、戦争状態を想定しないと、まず考えられないだろう。日本は、韓国と1965年に、中国とは1972年に国交を正常化した。平和構築に成功して、国際社会に復帰したのだが、北朝鮮とは田中内閣が実現しようとしたが、国内の派閥抗争に敗れて失敗した。戦争状態の継続の線上にある。


 その後に、窮鼠猫を噛むという状況下で拉致が発生したようだ。日本警察の無能を象徴する事件である。これに国民は驚愕、日朝関係が依然として冷戦の継続下にあることを、思い知らされることになる。


 即座に日本外交が主導する場面だったが、清和会の小泉内閣は、拉致被害者の全員を返還するという使命を放棄した。1週間の約束で、一部の被害者を一時帰国させたが、政府が約束を破ってしまった。北の日本政府不信をかってしまい、元の木阿弥となった。「返すな」と強く主張したのが、当時官房副長官の安倍晋三だった。


 せっかく開いた日朝扉を破壊した日本政府の外交責任は重い。

 安倍内閣になると、あろうことか、硬化した相手国をこれ幸いとばかりに、拉致被害者を利用して、和解外交をを放棄して、北の脅威・恐怖の宣伝に駆り立てていく。そのシンボルが、哀れ横田夫妻である。彼らを、国民を改憲軍拡思想に染め上げる格好の使徒に仕立て上げたのである。


 拉致被害者家族会挙げて動員、国連などに宣伝攻勢をさせることによって、歴史に無知な日本国民を、北朝鮮嫌いから、改憲軍拡派へと追い込んでいく。民族主義・ナショナリズム化だ。ここが安倍・日本会議の真骨頂でもある。

 このころ、教育勅語教育の森友学園事件が表面化する。



<金正恩・トランプ会談であわてて軌道修正したが間に合わなかった!>

 北朝鮮が日朝国交正常化に前向きになったのは、金丸訪朝の時点である。筆者は金丸側近の石井一団長が超党派の大型訪朝団を編成した時、大学の先輩の愛野與一郎が「代わりに行ってほしい」という有難い要請を受けて平壌を訪問した。ハマコウの天敵で有名だった大石千八も一緒だった。金日成の「我々は地球と共に歩む」という発言に明るい希望をもって帰国した。直後にボールが、筆者に向かって投げてきたのに驚いたものだが、それは「総理大臣・宮澤喜一」(ぴいぷる社)を書いてそう長くはなかったせいだろう。

 さっそく宮澤事務所に、平壌の意図を書簡にして届けた。内容は「首相と直接のパイプを構築したい」というものだった。金日正最後の大勝負に出たものだった。間もなく宮澤から「直接電話で話したい」との伝言を受けた。結果は、官僚出身の弱点をさらけだしたものだった。外務省任せ、火中の栗は拾わない、という回答だった。


 いま思うと、もう少し根回しをすべきだったと思う。せめて鈴木善幸元首相や宮澤の叔父の小川平二元文相らを動かすべきだったろう。外交音痴ゆえ、極秘ボールに振り回されたものだ。キッシンジャーにはなれなかった。


 後継者の金正日は、日本相手にせずに外交方針を変えた。ワシントンとの直接外交である。そのための核兵器開発に突進することになる。日本に対しては、拉致外交で目を向けさせる作戦だったのか。


 トランプが金正恩に手を差し伸べて、安倍は腰を抜かした。あわてて軌道修正したが、平壌は取り合おうとしない。

 


<安倍・自公内閣をとことん信用していない平壌>

 息子の相次ぐ医療事故と続く妻の死で、自民党政治にもすっかり興味を失ってしまった。身内の不幸は、人生を変える、人生観を変えるものである。


 もう都落ちして何年になるか。

 いま断言できることは、北朝鮮は安倍を全く信用していないということだ。間違いのない事実である。それでも安倍に寄り添うだけの拉致被害者家族会。安倍の操り人形に対して、反省もないらしい。

 すでに横田めぐみさんは、亡くなっていない。日本政府は承知している。生きているといって「返せ」と叫び続けるしかない家族会である。当事者は、真相をぶちまける時ではないのか。


<ポスト安倍になって仕切り直しか>

 拉致問題の解決は、安倍が退陣した後になって動き出すだろう。


 仕切り直しの交渉が、国交正常化と同時に始まるはずである。戦後外交の、最後のお土産は、安倍の後継者か、それとも野党政権なのか。

 ワシントンの足かせがどうなのか、とも関係する日本外交である。自立・自首の外交を決断できる政権であれば、1日で片付く外交なのだ。


<田中内閣が数年継続していれば日朝正常化で拉致は起きなかった!>

 顧みれば、田中角栄内閣が、数年長引けば、むろん、日朝国交は正常化していたわけだから、拉致問題もなかった。政治に「もしも」はないのだが、清和・福田派との攻防戦に敗れて退陣した、田中の不運と日本国民を嘆くほかない。


 田中―大平体制は、ワシントンとは自主・自立を旨とした、ほぼまともな日本外交を貫いた事実は大事な点である。ワシントンに全面的に服従している安倍外交と比較すると、天地の開きがある。戦後外交史上、初めての自主外交だった。


 戦後最大の外交課題は、いうまでもなく中国との戦争状態を解消することだった。当時はワシントンの横やりで、台湾が中国を代表するという、幻想を受け入れてきた。

 田中は中国との関係を正常化すると、すぐさま北朝鮮との関係正常化に舵を切った。そのために、佐藤栄作元首相側近として、沖縄返還交渉に関与した木村俊夫を、大平外相の後継に起用した。

 木村外相に対して、日中・日朝の最大の功労者の宇都宮徳馬も満足していたことを、記憶している。晩年、木村との単独インタビューで日朝関係正常化実現に向けた努力を確認した。彼は,宇都宮と同じくリベラリストで知られた。


 当時、田中首相に繰り返し、日朝正常化交渉開始を進言していた久野忠治のことも忘れられない。


 福田派清和会による金脈問題追及で田中が退陣したことで、日朝関係のその後は日本政局とワシントンの野望が絡んで、拉致問題まで起きてしまった。歴史の歯車は、左右に揺れ動くものだとしても、拉致被害者家族のことを思うと、政治責任は実に重いものがある。清和会は歴代、強固な反共主義がこびりついて離れない。その極端が安倍晋三である。

 第二の田中―大平、田中―木村のコンビが生まれることを祈られずにはいられない。歴史は重要である。そこから教訓を学ぶ政治でありたい。

2020年6月7日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

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