本澤二郎の「日本の風景」(5404)
<石破外交を担う岩屋毅の中米韓外交が開花!>
A級戦犯内閣の「古い保守」を飛び出して、「新しい保守」を公約に掲げる外相の岩屋毅に内外の注目が集まっている。中国、韓国からトランプ政権に、いの一番接触を図るという特別任務がワシントンからも届いた。当たり前とはいえ国際社会は、日本外交を分析する上で、否応なしに岩屋にスポットを当てる必要に迫られている。
<鳩山邦夫秘書を踏み台にして政治の世界へ>
人民統治に厳しい姿勢を見せる「習近平の中国」に違和感を抱く国際社会が、日中間に新たな接近の場を作り出した。石破外交もそれに掉さしている。その任務を帯びた岩屋外相を、安倍の清和会の残党が非難を繰り返している。
彼にとっての「新しい保守」に違いない。水を得た魚のように中国から、危機的状況下の韓国も訪問し、そこで与野党の責任者と意見交換するという鮮やかな外交を展開している。
彼の生い立ちと無関係ではあるまい。鳩山邦夫秘書として、鳩山に影響を与えた政治の師である田中角栄・宇都宮徳馬・河野洋平を、邦夫のガラスを通して自身の思想へと昇華した!
邦夫は田中内閣の日中国交正常化のさい、首相官邸の地下一階の公邸の薄暗い部屋で、東京タイムズOBの早坂茂三の手駒となって官邸を駆けずり回っていた。
社長の徳間康快の用事で、早坂を訪ねる機会があった。東大を卒業したばかりの邦夫の政治修行を目撃した。鳩山家の政治後継者は由紀夫ではなく、邦夫だった。
邦夫が政界に転じると、待ち構えていたかのように宇都宮が、彼の面倒を見た。宇都宮は機会さえあれば、邦夫を北京に案内し、要人に引き合わせて、日中友好派の政治家に育てようと必死だった。
邦夫を日中友好協会東京支部の会長にしたのは宇都宮だ。日本を代表する平和軍縮派・国際政治家の宇都宮を尊敬した人物が河野洋平だった。宇都宮はロ事件で自民党を飛び出すと、河野は「新自由クラブ」を立ち上げ、一時は飛ぶ鳥落とす勢いだった。邦夫も河野の下で、そのメンバーに加わった。河野の平和軍縮と護憲リベラルは宇都宮譲りである。
<田中角栄・宇都宮徳馬・河野洋平の下で外交を学んだ邦夫>
早稲田大学を卒業した岩屋が邦夫の門をたたいた理由は定かではないが、名門の鳩山家に傾倒していたことは想像できる。岩屋は邦夫の生きざまを見て、日本の国際政治のありようを学んでいた、と理解できるのだが。
石破は、防衛相の後輩として岩屋を知り、ともに田中派をかすった政治家として同志的信頼関係になっていたのかどうか?あるいは加藤紘一との信頼関係から、日中外交を学んでいた山崎拓(元自民党幹事長)が、岩屋に手を差し伸べていたものか。
<米中間の橋渡し役に執念燃やすのか>
山崎は亀井静香が主宰する「月刊日本」によく持論を披瀝している。最近のそれが「米中の戦争をさせない日本外交」と説いている。これはワシントンのリベラル派の認識でもあるが、山崎は右翼に臆せず「日本は米中の橋渡し役」論を強く主張している。
この考え方は昔から日中友好派の立場でもある。これこそが日中友好の本丸ともいえる歴史的使命である。石破外交の先兵となった岩屋が注目される理由であろう。そのことをワシントンも認識し、あえてトランプ就任式に招待したものか。岩屋の「新しい保守」が開花することを、アジアの平和を構築するジャーナリストの一人として、心から期待したい。
2025年1月14日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)
韓国を訪問している岩屋外相が、趙兌烈(チョ・テヨル)外相と会談。
(ブルームバーグ): 岩屋毅外相は12日朝のNHKの討論番組で、関税強化などを掲げるトランプ政権発足後の対応について、日米の経済関係はさらに発展させることが米国の利益にもなることをしっかり説明し理解してもらうことが大事だとの見解を示した。
自民党の森山幹事長や公明党の西田幹事長ら与党の訪中団12人は13日、北京を訪問し、清華大学を視察した後、現地時間の夕方には中国共産党の李書磊中央宣伝部長と会談しました。会談の冒頭で、李中央宣伝部長は「現在、国際情勢と地域情勢は流動的になっていて、日中関係は改善と発展に向けた重要な時期にある」と述べ、今回の訪中をきっかけに、理解と相互信頼を増進させる。