本澤二郎の「日本の風景」(5220)

<兵庫県知事・斎藤元彦は政治家失格=猛省して即辞任も>

鹿児島県警本部長の知事版か!トップの知事責任を内部告発した勇気ある退職目前の元局長(60歳)を逆襲し、自殺に追い込んだ兵庫県知事のことを昨日知った。「人間の命は地球より重い」ため、斎藤元彦知事の責任の取り方に国民の注目が集まっている。

森友事件のデータ改ざんにおける赤木敏夫さんの自殺も想起させる事案か。政府のトップ(首相・官房長官)は、部下を死なせてのうのうと生きたが、2年前に天罰が落ちた、と多くの国民は感じている。因果応報は仏教の世界に限らない。

猛省し、潔く切腹(辞職)するしかないのか。小池百合子の手は使えないだろう。


自治体の不祥事は全国いたるところに転がっている。わが房総半島にもきな臭い臭いが漂ってきている。特に富津・君津・木更津・袖ヶ浦の住民の間で。


<悪い東大OB人間=政治家失格=修身斉家から再出発>

肩書社会では、肩書を格が高い証拠と信じ込む人間は、他人を見下すことに慣れきっている。永田町や霞が関に多いが、地方でも。東大法学部が牛耳る日本では、いまだに中世の科挙社会が存在しているかのようだ。


目下の兵庫県知事は、その悪しき体質を見事なくらい体現した人物と思われる。東大経済学部=総務官僚という若いエリートは、自民党別動隊の「あんちゃん政党」のような維新に食らいついた。「50代、60代は鼻たれ小僧」だから、世の中のことを多く理解できていない。

その不足を肩書でカバーすると、民度の低い選挙区では知事や国会議員の地位を約束する。こうして斎藤の暴走が始まった。鼻持ちならない若手知事に正義派のベテランの県職員が、県政の将来のことを考えて行動を起こしたのだが、その手口が公務員法が定めた正攻法の内部告発。県民も労働組合も知らない間の決起に、無能肩書知事は怒りに震えて暴走した。逆襲し告発者の名誉を奪った。

結果からすると、正義の県幹部職員は一人芝居だったようで、周囲を巻き込んでいなかったらしい。一人で自爆し、命を絶ってしまったのだろう。

命を捨てる覚悟であれば、他にやりようがあったはずである。彼の苦悩をとことん理解する善良な仲間がいなかったのか。


<「修身斉家の人」が国民の代表になる日本大改造不可欠>

日本はいまも中世に生きているのだろうか。敗戦でも「人民が主人公の民主主義」が確立していない。円安・物価高の首都において、経歴詐称知事3選候補を、神道・自民党と創価学会・公明党が擁立し、291万票を与えたばかりだ。

警察も検察も司法も言論大手も沈黙する日本。正義が沈黙する日本である。古来より為政者は修身の人・斉家の人でなければならないと説いてきた。最低限として嘘をつかない、正しいことをする勇気のある人を、幼いころから家庭でも教えられてきた。


斎藤元彦の家庭教育を知りたい。「試験で100点取れ」だけの教育だったのか。目的の東大合格に家族はどうだったのか。我が次男の早稲田合格や卒業式の記念写真はない?父親は永田町で走り回って、その余裕がなかったのだろう。

斎藤家は、人間教育に失敗した。彼が飛び込んだ維新は、無用な万博とカジノ建設に明け暮れて恥じないようだが、兵庫県知事も同じレベルだったのか。


<維新に見識と人格のある人物がいない>

ロッキード事件で失脚した田中角栄は、高等小学校卒業の肩書しかないが、誰も彼の悪口を言わない。それどころか尊敬する国民は多い。彼が後継者に考えた人物は、山下元利や小坂徳三郎だ。ともに東大OB。二人とも見識のある人物だった。

苦学生の山下は、知り合いとすれ違う時などは50メートル先から、立ち止まって体を90度に曲げた。ロ事件がなければ、二人とも首相になっていたかもしれない。むろん、改憲軍拡を合唱するような乱暴な戦争屋ではなかった。


池田勇人の娘婿の行彦に期待したが、酒にやられてしまった。池田行彦や加藤紘一ら東大組は、60年安保反対の学生デモに参加していた護憲リベラルだった。東大にも真っ当な政治家はいた。中曽根派の野田毅は、日中友好活動に飛び込んでぶれることはなかった。彼の口から一度たりとも「改憲」を聞くことはなかった。


東大OBの特徴の一つは、憲法をしっかり勉強している。ために「改憲」を口にする議員はほとんどいなかった。例外は戦前の東京帝国大学OBの中曽根康弘。言論界は読売の渡辺恒雄。彼らは戦後に誕生した日本国憲法を読んでいなかった?斎藤は「改憲」を口にする前にとん挫した可能性が高い。日本国民は歴史の教訓から、平和と平等を大事にしたい。私学の財閥かぶれにおかしな政治屋が少なくない。第二の斎藤は願い下げだ。護憲リベラルでしか東アジアの日本の平和と安定はない。

2024年7月10日記(茅野村の憲法仙人・日本記者クラブ会員)


岸田も失格首相

(毎日) 自民党総裁の立場からの発言とはいえ、国会が発議権を持つ改憲について、政府のトップである首相が強く踏み込むのは異例だ。首相周辺は「ずっとタイミングを図っていた。あれはうまくいった」と語り、首相も周囲に「憲法改正はあの国会でずっと人質に取られていたからな。そのフラストレーションがあった」と振り返った。