反骨の女性ジャーナリスト(上)<本澤の「日本の風景」(4699)

<財閥・天皇ファシズムに抵抗し足尾銅山鉱毒事件を徹底追及した松本英子は日本一の反骨の人=千葉県茅野村出身>

 府馬清著「松本英子の生涯」を手に取ってみると、本物の本物は日本男児よりも、平和主義の女性(大和なでしこ)であることに気付かされる。英子は恵まれた才能を、幼くして父親の漢学者によって見いだされ、書や詩歌にとどまらず東洋思想の真髄である四書五経にも手を伸ばし、さらに上京して英語力を駆使してキリスト教(プロテスタント)にも果敢に挑戦した。かのキリスト者の先輩・内村鑑三も彼女には一目置いたほどだった。


 その先に戦前の日本最大の公害で知られる足尾鉱毒事件の現場に、日本の新聞記者たちに先行して飛び込んだ。人も大地も死んでしまった常人では目や耳を塞ぎたくなるような鉱毒で暴利をむさぼる信じがたい財閥の獰猛さを、自らの目と耳で吸い取って、渡良瀬川の流域30万人の救済報道にペンをフル回転させた。

 食べるものはなく、住む家も失った骨と皮の農民、乳も出ない母親はそれでも乳飲み子を抱き抱え、むせぶ泣き続ける赤子をあやし続ける姿は、この世の地獄である。「真実を伝える」ことが新聞の使命である。そして政府・世論を動かして人々を救済する英子のペン先は、他の記者の誰よりも鋭く圧倒していた。毎日新聞は他紙をまず猛省させて反骨新聞の存在を高めた。

 時は明治の軍国主義が大英帝国の後押しをよいことに植民地・侵略主義に目覚め始めた天皇ファシズム期である。そこで一身を顧みずに政商から財閥にのし上がる古河市兵衛という悪魔と、背後の人民を奴隷化する天皇制国家主義に体当たりした松本英子の反骨のジャーナリズムは、歴史に名を残した革命派を優にしのぐ偉丈夫だったことが理解できる。

 松本英子研究を提案する理由である。彼女の生まれは木更津市茅野、当時は茅野村。


<当時の「毎日新聞」で見事な大連載「鉱毒地の惨状」は第一級の記録>

 松本英子編「鉱毒地の惨状」を国会図書館で調べるといいだろう。「松本英子の生涯」(府馬清著・昭和図書出版)を、先に3回連載したが、到底彼女の死闘を表現することは出来ない。府馬清・本名松本英一は、英子の身内に当たる。彼女の偉大さを身近に知る立場だった。もしも、英一がいなかったら、この不世出の偉大な反骨のジャーナリストは、この世に知られることなく蓋をかけられてしまったに違いない。

 確認できたことは、英一の妻・幼子は、今も87歳にして健在であることが分かった。知り合いの弁護士にせき立てられて電話をしたところ、本人が直接電話口に現れた。

 クリスチャン(プロテスタント)としてサンフランシスコで63歳の若さで亡くなった英子の墓地はどこなのか。茅野村の松本宅には20基ほどの墓地がある。そこに英子の両親の墓はあるが、英子にはない。父親の漢学者・貞樹の墓は高さ2メートルほどの立派な石碑となって、今も堂々と鎮座して周囲に威圧感を与えている。91歳まで生きた妻・ふさの墓石もあるが、同じようなものが数個並んでいて区別がつかない。


 偉大な人間になるには、必ず立派な両親が存在する。教育がいかに大事であるかを感じさせられる墓地であろうか。


<東洋と西洋の思想を体現した道義と博愛がほとばしる不世出作品>

 松本英子を日本一ともいえる反骨ジャーナリストにした原動力は、東洋と西洋の思想・哲学の共存だったことが分かる。仏学・儒学の東洋とキリスト的な西洋思想を体現したものであろう、そこから発する敬天愛人・慈愛・博愛の精神でなかろうか。


 余談だが、筆者の母方の祖父が亡くなる時のことを思い出す。無学の当時としては80余歳で長生きした祖父が、中学校を卒業する孫に向かって「偉くなれよ」と発した言葉を記憶している。祖父は婿養子で、母の曽祖父が「働き者」という基準で娘に押し付けた。黙々と働く祖父は、生涯祖母に対して文句ひとつ言わず働くような善人として人生を終えた。妻への暴力など想定もできない人だったと思う。

 そのような祖父が「偉くなれよ」といった意味は、おそらく「いい人間になれよ」「他人に迷惑をかけるな」「悪に屈するな」という意味ではなかったろうか。

 ちなみに祖父の姓も松本である。英子の家から一里ほどの山奥で七曲りとか茅野七曲りと呼ばれている。母の曽祖父は山から竹を切り出して、東京・大森の海苔問屋に卸して多少の財を貯めた。母はそのおかげで、幼くして「ちりめん」という着物を着たという。部落では「御兵衛ドン(殿)」と呼ばれていたが、母を案内して「御兵衛ドン」の墓地を何度も行ったことがある。そこは山深い台地にある一族だけの墓地で、眺めると江戸期からの一族の栄枯盛衰の様子が見て取れる。

 御兵衛ドンも貞樹の寺子屋で学んだのかもしれない。このあたりは松本姓が、実に多い。

 筆者が「権力に屈するな」と繰り返し叫んだ宇都宮徳馬さんに「人間として当たり前のことですよ」と応じ、今も実践するのも英子と通じるものがある。

 日本のジャーナリストは、英子の生きざまを学んで実践することが、人類が安全航海する術であることであろうと信じたい。

2023年1月29日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)