忘恩の徒<本澤二郎の日本の風景」(4696)

<宇都宮徳馬さんが溺愛、読売に入社させた渡辺恒雄に怒りの言葉>

 今朝の8時、布団の中にいても顔が冷たい。温度計を見ると室温が零度。外は晴れて空は真っ青だ。もはや以前の地球ではない。原発から石炭使用という現代人が、地球を完ぺきに破壊した気候変動の証拠だ。

 他方、NATO北大西洋条約機構がロシアの首を締め上げる政策に、独裁者のプーチンが耐え切れず、戦争による決着にいそしんで11か月。馬鹿げた殺し合いにロシア人もウクライナ人も、共に若者が沢山命を落としている。これを何とする!

 日本右翼は、ここぞとばかり死者を祀る戦争神社の神社本庁日本会議が、善人そうな人物を政権に就けた。世は混乱と混迷の極にいざなわれている。思想も哲学も宗教も無力である。


 昨夜は恩師・宇都宮徳馬さんの夢を見た。彼こそが人間らしい人間、いい人間・善人である。政治権力を壟断する政府・官僚に善人がいない現在の日本ゆえに、耐え切れずに夢枕に立ったのであろう。むろん、悪人が跋扈する政界である。昨今、戦争準備43兆円を真っ向から批判する政治家が一人もいない。大軍拡容認派ばかりで、些末な議論で喧嘩している。お話にならない。それを眺めているだけの主権者が目立つのも涙が出てくるほど悲しい。


 間違いなく9条憲法のもとで戦争へと突っ込んでいるのだが、そのための世論操作の先陣を切ってきた読売の渡辺恒雄ではないか。数日前にNHKが彼の礼賛映像を制作したらしい。怒って宇都宮さんが夢枕に立ったのであろう。

 平和軍縮派の宇都宮さんは、生涯一度ならず二度人を見る目を誤った。渡辺を溺愛して読売新聞に入社させたことと、日本列島不沈空母と米国大統領レーガンに向けて発した国家主義者の中曾根康弘の二人だ。

 昭和の妖怪・岸信介叩きは正しかった。筆者は平成の妖怪・中曽根康弘叩きに徹し、報恩の誠をささげた。老いても反骨のジャーナリストは健在である。モグラのような人生は性分に合わない。他人を助ける力がないのが残念だが、ペンで励ますことは可能である。


 「忘恩の徒」という言葉を知らなかった。宇都宮さんが教えてくれた。「ツネは忘恩の徒だ」と明言した。以来この唾棄すべき言葉を覚えた。渡辺恒雄は忘恩の徒である。この言葉は永遠に刻まれる。消えることはない。断言したい。


<左翼から右翼に転向、正力松太郎に食らいつき岸信介・児玉誉士夫・大野伴睦・中曽根康弘に接近・改憲新聞・原発推進に激怒した平和軍縮派>

 渡辺恒雄の保証人になって読売新聞に入社させた宇都宮さん。しかし、本人は恩師とは真逆の人生に舵を切った。左翼から右翼へと鮮やかに転向してしまった。国民を弾圧してきた元内務官僚・正力松太郎の期待に応えて出世階段を上っていく。日本共産党で階段は登れないと判断するや、自身に有利な道に舵を切ると、猪突猛進する渡辺恒雄のことを、彼の政治部長の先輩だった多田実さんから詳しく聞いている。

 ある時宇都宮さんに「なぜ右翼に転向したんでしょうか」と尋ねてみた。「それは権力にぶら下がることだから、ラクな人生が約束されるんだよ」と。そうか渡辺には信念などなかったのだ。風の方向を見極めると、そこへと波長を合わせていく。右でも左でも、その時点での風次第風任せの人生である。もっとも安直で安全な人生行路は、政権交代のない日本政治のお陰で成功したのかもしれないが、そこいらの小役人レベルで国民の尊敬を集めることは不可能である。風見鶏は渡辺が実践した理論だった。中曽根はそれを拝借したのだ。


 日本の右翼は戦前派・戦争勢力だ。国家主義も天皇制国家主義である。財閥・軍閥・官閥による国家神道・神国論で統制される反民主的な政治体制だ。しかし、ここを非戦の日本国憲法は太い鎖で封じ込めている。9条の戦争放棄と20条の政教分離である。この歴史の教訓規定である9,20条を土足でぶち壊そうとしているのが安倍・菅・岸田の自公内閣である。

 岸・正力・児玉・中曽根らが涙を流して喜んでいるのは、岸田内閣と支える渡邉恒雄に対してであろうか。


<いま岸田文雄は宏池会派閥の池田勇人・大平正芳・鈴木善幸・宮澤喜一・加藤紘一・古賀誠を裏切った忘恩の徒>

 人間らしい人間、いい人間が政界・言論界に現れない。電通に羽交い絞めされてしまっているのであろうが、たかだか広告屋・カネに首を絞められる人間だけであろうか。

 いま新たな「忘恩の徒」が加わった。宏池会の歴史と伝統を破った岸田である。渡辺に屈した可能性を否定出来ない。宮澤喜一が政権を担当する時にも渡辺は「改憲をやれば支持する」と毒饅頭を差し出した。宮澤は相手にしなかった。その後に小沢一郎らのまやかしの小選挙区制に屈してしまったが、宮澤は宏池会の伝統を死守した。今を生きる古賀誠の無念はいかばかりか。

 宏池会を裏切った岸田の前途がどうなるのか、主権者はしかと監視と反撃をしてゆく責任を、憲法上負っている。忘恩の徒に食いつぶされる日本にしてはなるまい。強く警鐘を鳴らす所以である。

2023年1月26日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)