松本英子の生涯(下)<本澤二郎の「日本の風景」(4694)

<「自由の天地」で非戦の思想を叫ぶ大和撫子=死の直前まで日米語で非戦原稿和歌など書きまくるペンの鬼>

 この父ありてこの子ありか。ともかくすごい女性が、我が家から歩いて10分ほどに住んでいた。地方の漢学者の父のもとで四書五経をそらんじて神童ぶりを発揮するや、上京して洋学者の津田仙のもとで英語とキリスト教に出会った。儒学を学んだ孝行娘は、母親が体調を崩すと、アメリカから湯たんぽを送るというきめ細やかさも見せていた。筆者も気付いて1年ほど休憩していた湯たんぽを取り出し、大寒波予報に備えて今朝を迎えた。


 足尾銅山鉱毒事件で生死を奪われる30万農民の悲劇をとことん叩いて叩いた英子は、天皇ファシズムに襲い掛かられ、日本で生きる場を奪わられると、まるで亡命するかのようにして英語圏で自由の叫びを爆発させるべく、悲願の渡米を果たした。40歳ごろか。彼女の英語力に敬服した事業化の永井元との再婚が42歳。主に西岸都市サンフランシスコを拠点にして、まずは米国の大学を実力で正式に卒業すると、昂然と非戦の叫びを爆発させていく。時は第一次世界大戦で、戦争気分に浮かれるアメリカ社会に警鐘を鳴らしていく。

 まるで生きられる時間を承知しているかのように、きりっとした聡明な日本夫人は、夫の保険事業を手伝いながら、寸暇を惜しんで思索し、それを活字に残していった。その数は計り知れない分量だ。英子が62歳で亡くなった後、夫がそれを整理して出版したことから、彼女の米国時代の詳細を「松本英子の生涯」として、身内の小説家・府馬清(本名・松本栄一)が精査し、そのごく一部を紹介している。

 日本語も十分ではない凡人ジャーナリストは、ひたすら頭を垂れるほかない。昨日も英子の父親・貞樹の墓前に立ってみた。英子もここで最後の別れをして渡米したのだが、母親ふさ子の別れの歌が、彼女の墓石に刻まれているというが、確認できなかった。

 一筋に思い立ちたる旅なれば 八重の潮路も神や守らん


 ちなみに茅野村近くをのどかに走る久留里線は、木更津―久留里間の開通が1912年(明治45年)。したがって英子が茅野村と最後の別れをしたときは、まだ鉄道は走っていなかった。東京からの往復だけでも大変だった。「女子に学問は不要」の時代に英子は、既に東洋と西洋の学問と言葉をマスターし、特権階級のための華族女学校の教壇にたち、次いで女性新聞記者第一号となって、日本最大の鉱毒汚染に泣く渡良瀬川の30万農民の救済キャンペーンうぃ始めた。当時として最高の知識と頭脳と倫理観でもって、今も変わらない強欲な財閥に殺されていく貧者の群れに、鉄のペンで決死の戦いを挑んだ英子の人間愛に感動しない人間はいまい。


<第一次世界大戦から非戦主義を命ある限り叫び続けた英子>

 1917年(大正6年)、米国はドイツに宣戦布告する。第一次世界大戦(1914年)に参戦、旅先のニューヨークで数万の義勇兵の市中行進に市民は浮かれていた様子に驚く英子。戦争で人が死ぬ、国家が殺し合いをすることに誰が浮かれて居られようか。英子の非戦の詩や文章が炸裂する。

 彼女の非凡な才能が開花する。他方で、病がじわじわと体をむしばんできている。近代の合理主義者は、キリスト教をカルト・狂気と認識していない。神にすがって長生きしようとの架空の精神世界に自己を追い込もうとはしないことが、彼女の日記や詩歌で分かる。理性で信仰を見ていたのであろう。誰人も運命に逆らえないとの覚悟を感じる。


 1918年の「ああ戦争」という詩は、在米婦人新報に発表している。彼女のそれは、日本で有名な日露戦争時の与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」を明星に発表したことに似ている、と著者は指摘する。むろん、日本では天皇ファシズムの制約がアメリカにはないという事情もあったが、彼女は存在する戦争反対ではなく、戦争そのものを根底から否定する非戦の思想である。思想家としての思索の深さを感じる。

 15本も発表した。「ああ戦争」の詩文を抜粋すると「互いに刃を交えて斬りあい 突きあふのみかは 一つの恐ろしき機械もて 一度に多くの生き血を奪い合う」「かくては宗教も教育も はた平和の同盟も何の甲斐がある 人間と生まれつつけだものにも等しき あらくれたることをもて誇りとする」「文明の利器は空しく血を流す凶器となり」「愛国と愛家との 雲と水とのへだたりよ」「なで野蛮の太古を学びて 共に血を流しあふぞ」「平和の国よと思ひしは 昨日の夢」「ああ かくて楽しきホームよ いま何処?」


<アメリカ政府を真っ向から批判し続けた松本英子の正義>

 「全世界の非戦記念日」という随筆では、冒頭からアメリカという軍事強国を非難している。「我らが、最も痛切に感ずるは、米国の他国に対する態度である。富と力とを以て世界に覇たる米国が、如何にその権力を濫用せんとするか。

然してこれを直言せんとするものは、識者の中にほとんど雨夜の星の如くである」

 今の岸田内閣の日本にも当てはまるだろう。43兆円の戦争準備に対して、新聞もテレビも真っ向から批判しない。電通に反撃できないマスコミだ。日本の識者はモグラのように隠れてしまっているではないか。英子の慧眼は、いまの日本の識者・政党・議会・司法への痛烈な批判でもあろう。

 「米国が現在の軍事費は如何に莫大であるよ。世に冠たる物質上の豊富ありながら、常に猜疑の眼を以て小国の挙動を嫉視する。真に大国の有すべき態度と寛容とを欠く」

 ワシントンに対する鋭い指摘に誰もが頷く。日本の為政者は松本英子の叫びに耳を傾け、行動に起こすべきだろう。ロシアとウクライナ双方、そして背後のアメリカ中心のNATO諸国の暴走に歯止めをかける時ではないのか。

 英子の指摘は、今のワシントンに対しても通用する。このようなワシントンに追随する日本の岸田内閣を誰が信用できるだろうか。日米安保の破棄が不可欠というべきであろう。


 当時、アルゼンチン・ブラジル・チリ―の三国は、陸海軍を排除していた。日本の9条国家である。いまコスタリカはこれを踏襲して、人びとは安全に生活している。英子は軍備全廃を訴えている。そのための力の源泉を「婦人の力」だと呼びかけている。


<非戦は婦人が結束して立ち上がれば必ず実現する!>

 「婦人の力大なり。婦人は平和の使者である。婦人が結束して立ち、この使命に率先猛進するの精神を奮い起こさば、この希望は希望にとどまらず、必ずや実行の日を見るであろう」


 非戦主義(その二)「(人間の悪い習慣を)改めるには、根本的に何千年の習慣や信仰を改め、先ず教育の第一歩として、幼児より戦争の害とその毒、其の惨、その非人道なることを、柔らかき頭脳に打ち込まねばならぬ」「予は決して今日の米国の教育法を完全と思わぬ。むしろルソーの教育法を取り学ぶべしと信ずる。来たれ、非戦の日、世界の武器、ことごとく焼かれよ」

 

<再び鎌首をもたげた日本の国家神道と財閥で歴史の繰り返し!>

1945年に日本は敗戦、その後に武器弾薬完全放棄の9条憲法が誕生したが、まさに日本は若者や市民が大量に血を流して敗戦した。それによって武器全廃の非戦国となった。しかし、A級戦犯の亡霊徘徊よろしく、再び軍事大国の覇権主義の国になろうとしている。アメリカの策略だと一部の専門家は言う。違う!日本の財閥と原始宗教・国家神道による戦前回帰の大野望にある。

 英子の夢は戦後77年にして元の木阿弥になろうとしている。世の識者は曇り空の星のように、人々の前に姿を見せない。言論界・政界・経済界・司法界も沈黙している。英子の非戦の叫びは、人類の悲願であることに変わりないのだが。

2023年1月25日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)