地方議員ゼロ社会へ<本澤二郎の「日本の風景」(4686)

<存在しない神だのみの野党第一党の党首は、安倍・自民と同じ>

 小娘に手玉に取られた立民の無様すぎる政治事件を、中部地方の読者がわざわざ伝えてきた。言論が廃れ、政界が腐っている21世紀日本現象だ。途方もない事案が次々と発生する。

 安倍晋三を象徴するような、彼が大事にしていたS女が政府の高官になっていたことが、話題になったばかりだ。「女の敵は女」の日本なのか。ともかく女性議員にまともな人物を探すのが困難なくらいである。

 今回の事例は、世の中のことなど何も分からない25歳の女の子を、立憲民主党が前回の総選挙に出馬させた!知らなかったが、どうやら本当らしい。そうしてみると、野党第一党の体質がどのようなものか、推して知るべしか。

 

 信仰することは自由である。批判するわけではないが、カルト教団は統一教会だけではない。創価学会も神道・神社も同様である。そもそもこの世に神も仏もいない。人間がつくった幻想の存在であろう。弱い人間はそこに群れる。群れることで、ある種の安堵感を抱くことが出来るのも確か?そのための信仰だろう。現代の合理主義者の認識である。世の地獄の戦争は、常に宗教戦争そのものである。

 報告によると、立民党首は乃木神社に参拝したという。将軍・乃木のもとで多くの日本兵が戦死した。そんな所に参拝する野党の党首などたかが知れている。その後に伊勢神宮にも行ったという。彼は1945年を知らないのか。ヒロシマやナガサキを知らないのか。話にならない。

 25歳で立民から選挙をした女の子が、突如、立民を離党して、次は自民党県議選に鞍替え出馬するという。なんと野田聖子が応援するとしゃしゃり出てきた。はっきり言おう。地方議員をゼロにする社会へと改編する必要がある。地方議員をゼロにすれば、地方の財政赤字も助かるだろう。浮いた血税を福祉に回せばいい。


<無節操・空っぽ人間は、政党など無関係、当選してカネ目当て>

 ただ小娘の方にも言い分が少しある。立民ではバッジをつけることが不可能だから?たとえそうだとしても無節操にもほどがある。野党は統一候補を擁立して叩き落せばいいだけのことだ。

 今の若者の心理なのか。就職して苦労するよりも、議員になって優雅な暮らしをしたいのであろうが、議員をその程度に理解している点に根本的な問題がある。到底彼女は、地方の市民の代表として資格ゼロだ。


<千葉県にもやくざ系市議が一杯=利権あさり専門か>

 話題の選挙区を笑えない事情が千葉県にもある。いや全国的かもしれない。地方議員ゼロ社会へと急ぐ必要がある。

 千葉県内には、れっきとしたやくざ代議士がいた。元千葉県警本部長の渡辺一太郎さん、元警視総監の秦野章さんから、直接確認を取った情報である。いまやくざ代議士の倅が代議士、運転手が自民党参院議員だ。木更津市にはやくざ代議士の秘書をした人物が、長く市議を歴任している。やくざやくざの千葉県で、やくざによる木更津レイプ殺人事件が起きた。

 渡辺さんは参院議員時代、親しかった田中角栄にすり寄ってくるやくざ代議士に警戒せよ、といつも警鐘を鳴らしていた。やくざ代議士の天敵は、大石千八さんと山村新次郎さんと相場が決まっていた。この二人に狙われると、やくざ代議士も尻尾をまいて逃げた。

 剃刀後藤田で知られた後藤田正晴元警察庁長官は「地方議員に土建議員が多すぎる」と警鐘を鳴らしていた。土建屋議員とやくざは結びついて利権アサリをしている。最近話題になっている袖ヶ浦市林地区の「核のゴミ」問題にも、

産廃業者とやくざの問題がからんで表面化している。


<「小選挙区制下、人間の屑がバッジ付けている」と悪評芬々>

 問題の根源は、悪評ふんぷんの小選挙区制にある。党の公認が当選の決め手となる。特に自民党の場合、これが決定打となるため、そのために党内に言論の自由はない。世襲かいかがわしい人物が国会議員になる。

 加えて比例代表制を加味しているため、屑のような人物でも代議士になる。そして公明党創価学会は、そんなやくざ系でもお構いなく選挙応援するものだから、いかがわしい人物も閣僚にもなれる。野党はやくざ系を恐れて質問もしない。三流国、四流国の日本なのだ。

 小選挙区制が改憲軍拡の元凶なのである


<「杉田水脈だけではない永田町住人の品格」と法律家も>

 最近は見たことも聞いたこともない杉田水脈問題で、議会が揺れたが、岸田は「有能な人物」と持ち上げて擁護していた。そこまで配慮した背景には「杉田一人ではない」という自民党内の実情がある。およそ品格という言葉は、安倍晋三内閣に対して、宏池会事務局長をした木村貢さんが徳間書店から出版して広まったものだ。

 永田町が腐ると、地方議員も腐る。どうするか?地方議員を排除すればいい。いなくても地方自治体は動く。むしろ、利権アサリが消えるだろうから、その分、公正な行政を期待できる。国民運動の対象であろう。むろん、そのことで民主主義が無くなるわけではない。

2023年1月16日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)