狭山事件の謎<本澤二郎の「日本の風景」(4637)

<石川一雄再審請求の申し立てに最高裁は応えよ!>

 人は差別する、無意識に差別をする。それが捜査・裁判にも反映すると冤罪事件を起こす。狭山事件の石川一雄氏は冤罪の可能性が高い。埼玉県加須市の市民運動家の仲村さんが再審請求の署名活動をしていた。相当数の署名簿のコピーをメール送信してきた。相変わらず真面目な市民活動に敬意を表したい。概要を調べてみると、自殺者もいるではないか。真犯人はもう亡くなっているのか。


 統一教会の信者獲得とその後の呪いのような脅迫でもって、私財を丸ごと強奪する手口も、根底に差別が存在する。岸や笹川が育て上げた文鮮明の怪しげな教義は、差別を前提にしている。宗教法人ではない。直ちに解散する責任が、政府・文科省にある。莫大な資金返還を政府がやるべきで、いまの救済法は間違っている!


 同じく狭山事件は差別判決で、これはどう考えても冤罪の可能性が高い。安倍晋三が亡くなった途端、五輪疑獄事件の捜査が進んでいる。日本最大の悪徳の代表組織・電通の捜査も行われている。石原慎太郎もいないが、森喜朗捜査を諦めるな、と指摘しておきたい。A級戦犯の岸信介に心酔してきた森捜査の行方は、依然として注視したい。最高裁も猛省して、過ちを改める勇気をもってもらいたい。国民の強い要望である。


<冤罪の可能性が大きい=赤嶺菊枝さんの支援に脱帽>

 恥ずかしいことに、狭山事件をすっかり忘れていた。事件の概要すら覚えていない。しかし、この国には差別と闘う女性がいる。彼女は高校生の日本史で同和教育を受けた。差別国家のことを学んだ。明治から今日まで尾を引く差別する日本社会を許せなかった。平等の国にしたいと。そこに狭山事件があった。犯人にされた石川一雄救済に立ち上がった。正義の戦いである。


 「子供心に差別される部落のことが気になった。なぜなのか、大人たちは教えてくれない。親も。不思議に思っていた。高校3年の日本史を勉強して初めて気付いた。同和教育を受けて判った。つくられた差別の人間でいいのか、差別をなくす側の人間になるのか。その時に狭山事件に出会って差別反対の運動に飛び込んだ」と赤嶺さんは、実にはきはきした口調で語ってくれた。


 こんなにきれいな心の持ち主がいたことに感謝したい。「石川さんは冤罪です。差別は大嫌い。貧困も原発も差別です。子ども食堂もやってます」とも。311の時から加須市には、双葉町の井戸川町長(当時)以下の町民1000人ほどが逃れてきた。反原発運動にも取り組んでいる。


 12月10日には市内の「市民プラザ」で映画会を開く。これは狭山事件再審請求申し立て20万人署名に弾みをつける緊急映画会。加須市民の進歩的な活動に、わがやくざが跋扈する木更津市や袖ヶ浦、君津市と比較すると、市民自治の活性化を感じてしまった。

 現在、狭山事件再審請求弁護団は、東京高裁に対して再審申し立て中だ。逮捕当日に書いた上申書や警察の取り調べの録音テープが開示された、その資料を、弁護団は専門家による科学的に鑑定した結果を法廷に提出した。非識字者だった当時の石川一雄さんが書いたとされる脅迫状は、文句なしに怪しい。だれが見てもおかしい。いま32年の獄中生活を耐え抜き、無実を叫ぶ石川さんは83歳。


 この裁判は、1974年に有罪判決以来、47年以上もの間、一度も事実調べが行われていない。弁護団は、11人の鑑定人に対する証人尋問などの実施を請求している。弁護団の正義にも敬意を表したい。


<地に落ちた最高裁の権威>

1995年の地下鉄サリン事件などを受け、東京地裁に申し立てられたオウム真理教の解散命令請求に関する全ての記録が廃棄されていたことが、地裁への取材で分かった。旧統一教会への解散命令請求が焦点となる中、宗教法人法に基づく数少ない解散命令の手続きの記録が廃棄されていたことは議論を呼びそうだ。

 解散命令請求は東京都知事と東京地検検事正が申し立て、地裁は9510月に解散を決定。961月、最高裁がオウム側の特別抗告を退け、確定した。地裁によると、記録は200638日に廃棄されたという。(東京新聞)



 以上は東京新聞の記事である。驚愕すべき司法の腐敗である。オウム事件の黒幕は、日系アメリカ人ジャーナリストによって安倍父子だったことが明らかにされている。オウムの狙いは核兵器開発だった!核武装論者の安倍の狙いと一致している。国際社会は安倍監視を怠らなかったとも。7・8銃撃事件も関連しているだろう。それゆえの最高裁の判断(廃棄)だったのか。

 権威だけを振り回す司法に対する国民の目は厳しさを増している。狭山事件の再審請求に応える責任があろう。冤罪は司法の死を意味する。



<市民の署名運動は止まらない=平等は正義なり>

 改めて高校生の時代から狭山事件の差別判決に抵抗した赤嶺菊江さんの人生をかけた取り組みに感謝したい。友人の仲村さんも立ち上がったのだろう。

東京高裁は、最高裁の権威主義に屈するなかれだ。直ちに再審を受け入れて、冤罪事件に終止符を打つべきだ。

2022年11月27日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)


狭山事件(さやまじけん)は、1963昭和385月 埼玉県狭山市で発生した、高校1年生の少女被害者とする強盗強姦殺人事件、およびその裁判で無期懲役刑が確定した元被告人の石川一雄が再審請求を申し立てている事件。


事件が発生した埼玉県狭山市の位置

1963年(昭和38年)523、当時24歳の石川一雄が逮捕され[1]、同年613日、窃盗[注釈 1]・森林窃盗[注釈 2]・傷害[注釈 3]・暴行[注釈 4]・横領[注釈 5] の罪で起訴された。また同年79日、強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄・恐喝未遂の罪で起訴され、一審の浦和地裁で石川は、全面的に罪を認め、1964年に死刑判決が言い渡された[1]。二審の東京高裁で石川は、一転して冤罪を主張し、1974年に無期懲役判決が言い渡され[1]1977年に最高裁で無期懲役刑が確定した[2]199412月に仮釈放された)。これまで3再審請求の申し立てが行われ現在、3次再審請求が審理されている。