統一教会第一号!<本澤二郎の「日本の風景」(4514)

<岸信介派で大正昭和に活躍した元労相・千葉三郎の運転手として派遣>

 人間は、最初は誰もが安直な道を選ぶものだ。凡人もその一人で、情報源の一つにしようとして、選挙区(千葉3区)の千葉三郎の門を叩いた。好々爺の千葉と親切な寺部かつ秘書が応対してくれたものだから、大いに満足した。東京タイムズ創立者と千葉は親しかったことからも、彼はすっかり信頼してくれた。

 好きになれない岸信介や、岸派を継承した福田派清和会の様子に聞き耳を立てたものだ。1972年から数年後に、寺部さんが不思議な話をしてくれた。「今度うちに来た運転手は、勝共連合から派遣されてきた人物よ」とわざわざ教えてくれた。

 「勝共連合」と聞くと、誰しもが身構える。彼女は詳しく説明してくれなかったが「注意」を喚起してくれたのだ。お陰で運転手とは、一度も話をすることはなかった。事務所も警戒していたのだろう。翻って、今回の安倍銃撃事件から類推すると、統一教会・勝共連合の自民党攻略第一号ではなかったろうか。

 80年代から犯罪商法の「霊感商法」が大々的に繰り広げられた。被害者の訴えをもみ消す体制が出来ていた上での詐欺商法だった。福田赳夫蔵相が文鮮明の会に、日本政府の大蔵大臣として公然と出席、カルト教団と教祖をべた誉めして、抱擁までするという恐ろしい階段を登っていた。

 アメリカは日本を打ち出の小づち(ポケット)のように血税を奪い取っているが、文鮮明の勝共連合・統一教会は、霊感商法という詐欺商法で、日本人信者にした不幸に泣く市民から、それでも身ぐるみ剥いで、その莫大な資金を使って、韓国のソウル近郊に大規模な御殿を完成させていた。岸信介・福田赳夫は国賊・売国奴であろう。この輪の中心に安倍晋太郎と晋三も入って、カルト教団の合同結婚式さえも支援していたことになる。その清和会制圧の第一号が千葉三郎だった。


 勝共連合・統一教会への貢献度が、運転手を通して岸や文鮮明のもとへと届いていたことになる。彼らが選挙応援や秘書の手伝いから、清和会を丸呑みしていく。それがいまや自民党全体を呑み込んでしまっている。安倍国葬という日本国憲法に違反する方針を、なんと宏池会の岸田文雄首相が決断した。これこそ恐ろしい日本を象徴している。

 内心の自由を侵害する国葬を、国民はあらゆる手段を用いて阻止するよう憲法が命じていることに気付くべきだろう!


<自民党反共右翼・素心会の代表で国際勝共連合顧問=清和会長老>

 千葉は大正昭和をまたにかけた政治家だった。東京帝国大学仏法科を卒業、いったんは三菱鉱業に入社したが、すぐに辞めて米プリンストン大学に留学した。敗戦後の宮城県から「英語使いの知事」として初の民選知事に。鐘紡の武藤三治のもとでも活躍し、戦前に彼の実業同志会から政界入りした。

 戦後は岸の民主党に所属、鳩山内閣で労相に就任したが、その後は1960年に右翼グループの素心会の代表世話人になって、治安問題に取り組む。「大臣就任に金がかかる」ことを知った千葉は、二度と閣僚になろうとしなかった。「大臣になるのに大金を用意する」という実態を、労相就任で初めて知った千葉だった。薄汚い永田町は昔からだった。

 彼は同時に岸と笹川良一が立ち上げた勝共連合の顧問に就任している。岸・福田派に所属、同派の長老として勝共連合の活動に飛び込んで、改憲軍拡論を訴えていた。しかし、1972年から政界引退する4年間、彼の口から改憲軍拡の話を聞くことはなかった。

 岸を「岸くん」と呼んでいたことが印象的で、ついぞ統一教会・勝共連合の話をしなかった。文鮮明についても。岸との温度差は明らかといえる。


<笹川良一との関係も濃厚=仲間の元警視総監・町村金吾と食事>

 選挙にあたふたすることはなかった。千葉県茂原市には、モロズミという男性秘書が陣取っていた。彼は清和会派閥にもよく足を運んでいた。千葉の後継者となった石橋一弥の秘書を経て、先年大動脈りゅう破裂で亡くなったという。


 千葉は勝共連合の話をすることはなかったが、笹川を「笹川さん」と呼んでいた。彼のギャンブル利権を裏金として受け取っていたのかもしれない。態度はしごく紳士的で横柄さはなく、清廉な印象を与えていた。一度、国会前のヒルトンホテルで食事をしたとき、警視総監から政界入りした町村金吾と一緒になった。町村信孝の父親で、彼は総裁選で非清和会候補の安倍晋三に叩き落とされてしまった。

 結果的に警察などの治安部隊が、統一教会・勝共連合の防護服を兼ねていたことがわかる。


<配下の林大幹など金権派を排除する清廉さも>

 彼に心酔する若手も何人かいて、その一人が林大幹(幹雄の父親)だった。あるとき寺部秘書が「林大幹は金にキレイだと思っていたが、実際は違った」といってひどく嘆いた。

 概して右翼政治家は、清廉の士が多いと感じていたが、しかし、岸は全く違っている。利権アサリの本家のようで、岸の金庫番・中村長芳は、清和会秘書連中に「塀の上を歩け」と薫陶していた。


 岸と実弟・佐藤栄作について詳しかった松野頼三によると、岸は誰彼となく付き合った。その点で、佐藤は相手を選んだ。安倍晋三の犯罪は、どう見ても岸の遺伝子が強かったことがわかる。岸田は知らないのか?


<8・15鈴木貫太郎首相は千葉邸に逃れて一命を取り留めた秘話を>

 敗戦の日の1945年8月15日、首相の鈴木貫太郎は、小石川の私邸で二度目の襲撃を受けるが、隣家に逃れて一命をとりとめた。その隣家が、何と千葉三郎邸だった。国粋主義者から運よく逃れた鈴木を、千葉がかくまって助けた。この秘話を彼は筆者に語ってくれた。東京タイムズの特ダネになった。

 こんなわけで、現在も千葉が統一教会・勝共連合に呑み込まれていたのかどうか、確信は持てないが、とはいえ文鮮明工作の一番手に清和会長老の千葉が選ばれていたことは、統一教会からの運転手派遣から見て取れる。

 文鮮明は清和会を丸呑みし、市民から莫大な金を巻き上げ、事件化させない布石を打って、あまつさえ日本政府の政策を操っている。この事実に向き合える言論と議会なのか、国民なのか?

 千葉は後年、神奈川県の辻堂に居を構えた。秘書は鎌倉に。美人だったおばさんは、今どうしているのか。息子を東芝病院で、妻を東芝原発で奪われてしまい、以来年賀状も出せずじまいになってしまった。何事も、遠い思い出となってしまった。彼女が生きていれば、統一教会の詳細が分かるのだが。

2022年7月24日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)


<盛り上がる安倍国葬反対デモww.youtube.com/watch?v=OvgQQHldd8A