「サメの脳みそ」健在<本澤二郎の「日本の風景」(4469)

<「ホントのこと言うと、よくしかられる」と今もぼやく森喜朗>

 清和会OBは、森喜朗という清和会元首相を呼ぶとき、失礼ながら必ず「サメの脳みそ」という。永田町の隠語なのか、昔からだからそれなりの理由があろう。早稲田の先輩の竹下登も、後輩の運動部無試験派を同じように揶揄していた。


 彼の実力が発揮されるのは、仲間の石原慎太郎が都知事になり、安倍晋三が首相になった場面である。今もフクシマ311放射能隠しの4兆円五輪賭博のツケが、国民・都民に支払わせている。

 女性差別発言で東京五輪の責任者を外されたが、このことについて最近、自民党議員の集金パーティーで再び発言した。「ホントのことを言ったまで。何が悪いのか」と開き直った。永田町という日本政治のメッカは、怨念や嫉妬が渦巻いている。真面目な人間は生きられない世界だ。その典型が日本会議・神道派が群れる清和会であろう。カネ・利権が圧倒するような派閥だ。およそ政策勉強をする派閥ではない。


 ワシントンにぶら下がり、日本国民の血税を「アメリカのポケット」にして恥じない、改憲軍拡派の典型的な派閥といえる。およそ国民に目を向けるリベラルな憲法感覚は皆無だ。その対極が宏池会、さらには政党レベルでは日本共産党だが、最近の同党は原則・根本を忘れて、右傾化の波に乗ってしまってぱっとしない。森喜朗のような人物でさえも、健在?でいられる理由といえるかもしれない。


<天皇中心の神の国の「何が悪いのか」とぶつぶつ>

 森を日本国民とアジア諸国民、それに国連の人たちは、筆者を含めて、それでも心底感謝せねばならないのではないか、と思う。彼はホントのことを公言してくれたのだ。2000年の首相在任中だから、首相として本心を明かした勇気を誉めたい?

 多くの国民は、自民党内に戦前の国家神道の流れをくむ政治連盟が存在してるという事実を知らない。たったひとり20年も現役の政治記者として、官邸と自民党にぶら下がって生きてきた凡人ジャーナリストも、この事実をほとんど理解していなかった。


 そのはずで、自民党名門派閥の宏池会を率いたこともある大平正芳の秘蔵っ子・加藤紘一でさえも、戦争神社で知られる靖国神社の歴史館・遊就館を見学するまで気付かなかった。同館の展示資料は、侵略戦争を否定する文字通り、皇国史観で彩られている。彼は腰を抜かした。正に森喜朗のいう「天皇中心の神の国」の資料で埋め尽くされていたのだから。

 「天皇中心の神の国」が存在している?ありえない!あってはならない。だが、清和会の極右・神社神道派の脳みそには、この神がかりの、戦前の皇国日本が宿り、潜んでいたのである。世界に衝撃を与えた。赤紙一枚で300万人の若者の命を奪ったヒロヒトの世界が、清和会の森・小泉・安倍の頭脳にこびりついていたのだ。

 加藤紘一が森打倒に走った理由である。加藤こそが日本の勇敢な英雄だった。加藤の乱を阻止したのが、中曽根康弘や小泉などの森・安倍一族だった。歴史は逆転する。いまの日本政治が、そのことを教えている。


森は今も「何が悪いのか」とほざいている。仏教界・キリスト教社会・イスラム世界との敵対関係が見て取れるだろう。戦争神社が再び?日本の不安材料だ。


<原始宗教「神社神道は男尊女卑」の信仰者だから気付かない?>

 森の女性差別は、神社神道の教えと関係している。井上清教授の言う「原始宗教の毛の生えた神道」は、男の宗教である。女性を汚らわしいと考えている男尊女卑のカルト教団なのだろう。


 安倍や森などの神道信者は、それを当たり前と考えている。気付くわけもない。憲法の人権主義・平等原則などは理解できない信仰者といえる。


<森喜朗は日本工業新聞出身とは口が裂けても言わない>

 以前、森をよく知る人物がいた。彼は日本記者クラブの仲間だった。産経新聞と同系列の日本工業新聞のOBだった。「森は産経新聞ではなく、日本工業新聞の人間」と彼の所在を明かしてくれた。ここにも差別主義が潜んでいるとの指摘に頷いてしまった。こうした手合いは、永田町に沢山いる。


<反知性・反道徳派=改憲軍拡好戦派=戦争神社崇拝派>

 友人らの清和会関係者に対する評価は手厳しい。反知性・反道徳派で、ひたすら憲法破壊派。そして盲目的な神社参拝派ということになる。日本の沈没を裏付けていないだろうか。

2022年6月9日記(東芝製品・サントリー不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

(追記)昨日お店でくず餅を買った。生まれて二度目だ。子供のころ、風邪をひくと母がくず湯を作ってくれた。数年前、北京でもくず粉を買って、久しぶりにくず湯を飲んで感動した。大地には、すごい食材がある。人間にも善良な人間がいる。永田町や霞が関に少ない。不思議なことである。