核抜き本土並みの虚実<本澤二郎の「日本の風景」(4446)

<メースB核撤去費用は日本側莫大負担でペンタゴン大喜び>

 政治屋は平気で真実を隠したり嘘をつく、主権者を裏切る人種だ。ゼレンスキー・プーチン・バイデンだけではない。沖縄の復帰50年を機会に「核抜き本土並み」に関連した門外不出の真相を紹介する。沖縄返還を目前にした1969年11月の佐藤首相とニクソン大統領の首脳会談前後に、これが現地の琉球政府と永田町を激しく揺さぶった。


 外務省は、駐米大使からの報告で「困難」との立場を崩さなかった。しかし、三木武夫外相ら自民党内のハト派は「本土並み返還」を主張、佐藤を追い詰めていた。無論のことで琉球政府は、核抜き本土並みを強硬に訴えて、これに同情的なリベラル派・木村俊夫官房副長官を困惑させていた。


 他方で、佐藤は京都産業大学の若泉敬を密使として、ニクソン大統領補佐官のキッシンジャーらと接触させていた。例の「非常時の核持ち込み」密約を推進する羽目に追い込まれる。非核三原則は最初から水漏れだった。この返還密約を、毎日新聞の西山太吉記者が、ワシントンからの外務省への極秘電文の写しを入手し、これが野党の社会党に持ち込まれたものだから、国会が大混乱におちいる。米国立公文書館で、この密約が証明されるのは、大分あとのことである。さてその前の大問題は「沖縄の核メースB」撤去に米国防総省が応じるのかどうか。これが日本政府最大の難問だった。


 政府部内は、外務省の意向を受けて厳しい見方をしていた。こうした場面でいち早く「ワシントンはOK。むしろ歓迎している」という信じられない情報を、自民党本部国際局と情報局国際部は入手していた。当時の国際局長は、岸内閣の外務省事務次官の山田久就、情報局国際部主任の中原義正。

 当初は佐藤も自信がなかった。現に明言を避けていたが、若泉報告で確認することになる。日米首脳会談直前の屋良朝苗主席との会見の場面で、佐藤の表情が緩む。


<アメリカが撤去プロポーズを求めていたというのが核抜きの真相>

 自民党の国際部は、有楽町の外国人特派員協会の米人記者(当時ワシントンポストのロバートハロランやNYタイムズ記者)と接触を試みていた。その目的は米国内世論工作のためである。幸い、彼らはホワイトハウスや国防総省(ペンタゴン)の内情に詳しくキッシンジャーともパイプがあったようだ。


 核兵器の維持や撤去には、法外な費用がかかる。「日本で負担してもらいたい」というのが、ワシントンの意向だった。日本国内では、この事実は全く報道されていない。今もってだ。費用にどれほど掛かったのか?会計処理は?これは未だに不明である。米国は日本側からの核抜き本土並みは、願ってもないことだったのだ。


 横道にそれる。1972年2月に三木外相が北京入りしている。三木を案内した周恩来秘書を上海でつかまえた。彼は中国共産党の要人から依頼されていたことがあった。それは「尖閣(釣魚島)は中国の領土。三木に受け入れるように伝えるように」と。

 三木は仰天してしまった。「そんなことをしたら私は帰国した途端、殺される。それならすぐ帰る、と周恩来総理に伝えてほしい」と。秘書が総理に報告すると、周恩来は即座に問題の要人に連絡した。「今の我々の仕事は、日本との国交正常化の問題だ。領土問題ではない」と釘を刺し、事なきを得た。


 三木は「沖縄は核抜き本土並み返還で決着がつく。私も自民党総裁選に出るが、田中と大平の日中正常化路線で三者は協力する」と伝えると、周恩来は「ありがとう」と感謝を述べた。三木・田中・大平の三派連合に中曽根派も加わって、岸と佐藤が支援した福田赳夫は敗北することになるが、北京は田中内閣誕生を5か月前に知ったことになる。

 外交部の孫平化と肖向前がいち早く、そのための体制づくりのために日本に入るが、周恩来の外交手腕を裏付けている。7月7日に七夕内閣、3か月後の田中・大平訪中によって日中関係は正常化する。尖閣が浮上するのは、石原慎太郎や山東昭子らと当時の松下政経塾の野田内閣である。

 

<原因は固定の中距離核基地は時代遅れの危険なミサイル>

 中原は「メースBという中距離弾道ミサイルは、戦略的に時代遅れになっていた。核抜きは日本側の要請ではなく、アメリカからのプロポーズだった。既にペンタゴンは、ミニットマンという潜水艦から発射する大陸間弾道ミサイルを投入していた。これは一発から16発の核弾頭が発射される威力あるもので、メースBは固定基地のため、むしろ危険だった。いま自民党極右が敵基地攻撃を叫んでいるが、移動するために無意味、馬鹿げた議論だ。カネを引き出すための防衛論で、国民を騙すのもいい加減にすべきだ」などと語っている。


<沖縄も日本政府も不安、米国は密約(非常時持ち込み)でウハウハ>

 知らぬは日本人のすべてが、核抜き本土並みに懸念を抱いていたが、実際はアメリカの撤去要求が真相だった。そのための撤去費用は、今も秘密にされている。野党は質問さえしていない。1972年1月の自民党本部8階の新年会で、佐藤は突然、党本部職員だった若い中原を呼んで、乾杯の音頭を取らせた。こんなことは前例がない。


 核抜き本土並みで一番喜んだのは、ニクソンの方だった。しかも、密約で核の持ち込みを約束させていた。それでも佐藤は、ノーベル平和賞をもらった。政治のいい加減さでもある。 


<安倍父子の核兵器製造野望疑惑は本当か=どう動く米CIA

 オウム事件やもんじゅ西村成生謀殺事件、フクシマ東電原発4号機疑惑などから、岸の一族が核兵器製造の野望を抱いていることが、ぼんやりと見えてきたようだ。

 拉致問題を棚上げしてきた安倍、オウム死刑囚の大量処刑を喜ぶ安倍、そしてフクシマ隠しの4兆円五輪賭博と4号機の秘密工場疑惑について、日系米人ジャーナリストの島津洋一レポートは、かなり突っ込んだ取材をして、一部の専門家を驚かせている。


 「日米安保は日本核武装を阻止するため」と明かすキッシンジャーの言動をホワイトハウスは、そしてCIAは今どのように受け止めているのか?


<岸・佐藤・安倍の遺伝子に振り回される日本の悲劇>

 思えば商工官僚・長州の岸が、財閥の代弁者となって東条英機内閣の商工大臣、敗戦でA級戦犯容疑で巣鴨刑務所入りしたものの、CIAに見初められて奇跡の政界入り、ついで政権を手にするや実弟の佐藤、娘婿の安倍父子へと、日本軍国主義の本格復活へと走らせている!

 旧国家神道・統一教会を配下に従えて!


 とどのつまり悲劇は沖縄だけでなく、日本列島全体へと拡大している?違うだろうか。日本国憲法死守が、日本国民と日本政府・アジア諸国民の役割ではないだろうか。沖縄の戦後は終わっていない。

2022年5月16日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)