弱者に増税<本澤二郎の「日本の風景」(4439)

<五輪やコロナで血税垂れ流す財務省は車増税いじめ>

 知床事故など悲しいニュースがいっぱいの世の中だ。立憲民主党の元国会議員が新幹線料金を踏み倒したという、信じられない事件も発覚した。昨日は久しぶりに帰省した息子らと、缶ビールでちびちびと飲んでいたら「お父さんの時代は、一番恵まれていたね」と言われた。親に何かを依頼したことなどなく、自分流に生きてきた息子からの指摘は、槍で腹を突き刺されるように痛かった。今の現役世代の苦悩を伝えて余りあろう。


 現代を生きる日本人は、いかにも厳しい。大雑把に言って、赤子を含めて1000万円近い借金を背負っている。返還の目途は立たない。それでも4兆円五輪賭博やコロナ対策費と称して、これまた莫大な借金をつくったアベノミクス財政。アベノミクスで心臓をえぐられてしまった日本である。 


 案の定、届いたばかりの自動車税の封筒を、初めて開けてみた。どのように税金が確定したのか封を切ってみた。こんな思いを抱くのも初めてだ。従来は、無意識に請求書を郵便局に持参し、ただ払うだけの自分から、かなり進歩したことになる。このような経験をする市民は確実に増えているはずである。日本は非民主的な大増税国家だと気付いている。


 今日はナチスドイツに勝利した記念日という。安倍が心酔したロシアのプーチンに言わせると、多分、ウクライナのゼレンスキーだけでなく、ヒロヒトもヒトラーやムッソリーニと同様「ネオナチ」に違いない。


 筆者は天皇制国家主義の日本と分析してきた。天皇を神とするという幻想を人々に植え付けた、国家神道と教育勅語の日本である。そこへと日本を追い込んだ森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三の清和会政治は、正にネオナチ路線といえるだろう。

 そこでは、日本国憲法が戦争を否定し、人権主義と国際協調主義を高らかに謳っていても、ナショナリストの耳に届くことはない。財閥など死の商人向けの、憲法破壊の悪政を暴走させてきただけである。

 弱者に対する増税が、ネオナチ財政当局の野望だろう。その一つが車増税に他ならない。


<新車新規登録から13年を経過したガソリン車など増税>

 自慢ではないが、新車に乗った経験は少ない。いつも日産の中古車を実兄に見つけてもらっていた。それでも車を洗う癖がついていた。ところが、1か月アメリカの高速道路をタダで乗せてもらった際に、目を覚ました。「車は人の足。洗浄無用」と。以来車を洗うことを止め、ガソリンスタンドでの窓ふきでやり過ごしてきた。


 人間の足として、車は田舎生活に不可欠である。無論のことで高額の新車などに乗れない。「新車新規登録から13年後のガソリン車」に相当するため、従って悪徳役人の狙う増税対象車となる。これこそが弱者いじめの典型なのだ。

 「ネオナチ政権」はネオナチ財務省といえるだろう。異論があれば、聞いてみたい。スズキのスウィフトは1200CCの大衆車である。友人が展示用の車を安く払い下げしてくれたもので、13年かそれ以上経っても6万キロ前後しか走っていない。近くのスーパーでの買い物に貢献してくれる大事な車である。息子の車もスバルの増税車だった。貧者が主導する時代が到来するのだろうか。


<電気自動車・燃料電池自動車などは対象外>

 資料によると、高額で庶民の手の出ない電気自動車などは、逆に税金を軽くしている。財閥・車屋向けだ。金持ち購入者には、助成金も出ているらしいが、貧者には縁がない。

 「新ナチス政権」は、財閥など富裕層のための政府である。アベノミクスによって、財閥は500兆円も溜め込んで、これを投資に回さない。


<弱者増税・富裕層減税の「ネオナチ」税制に沈黙する羊の群れ>

 弱者に増税し、金持ちには優遇税制である。ついでにいうと、宗教界にも闇の資金が莫大に流れている。政治と宗教の一体化を禁じている日本国憲法を、正しく適用しないと、日本は落ち込むだけである。

 ネオナチ税制に服従する羊の群れは、いつ目を覚ますのであろうか。

 自動車税封筒表紙が振るっている。「ルールを守って」とか「スマホで納付」などと。ルールを守らない財務省は言うまでもないが、息子に言われて気付いたことは、スマホにやたら「ゴミだ」「洗浄だ」という表示に応じていると、大金がかかるよ、と警鐘を鳴らされた。ひとつ勉強できた。

2022年5月9日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)