昔の創価学会はまともだった!<本澤二郎の「日本の風景」(4372)

<三代会長の池田本「人間革命で天皇特別視しない」の良識>

 インターネット情報で興味深い文章を見つけたので、本ブログに張り付ける。日本政治を俯瞰すると、極右化した自民党に公明党創価学会がぶら下がって、憲法違反の「戦争三法」(特定秘密保護法・自衛隊参戦法・共謀罪)を強行した。安倍晋三の腰ぎんちゃくで有名な、当時の国交相・太田ショウコウ(昭宏)が、オウム真理教の麻原彰晃を見習ってか、平和憲法の根幹を破壊した悪法を成立させることに多大な貢献をした。2013年から2015年頃にかけて。


 この時点で、多くの創価学会公明党関係者が信濃町から離反した。沖縄の野原善正が、3年前の参院選1か月前に出馬して、それでも20万余票を獲得した。良識のある会員が存在した証拠であろう。


 彼らはまた、池田本の「人間革命」で、二代目会長の戸田の一言を記憶しているらしい。「天皇家を特別に扱う必要はない」ときっぱり。破壊する必要もないが、特別扱いもしないという、ごく当たり前の普通国民の認識をしていた。そのことを池田小説で紹介している。

 「創価学会は神道や生長の家などのような天皇教ではない」と内外に訴えたのだろう。多くの国民も同じように受け止めていたであろう立場を、創価学会も公然と鮮明にしていた。

 確かに森喜朗や安倍晋三のように「天皇は神」だと、信じがたい時代錯誤する国民は、まず一人もいない。ごくごく一部の、戦前に洗脳された高齢ナショナリストぐらいである。

 創価学会公明党は、三代会長の時代までは、ややまともな宗教団体と政党だった。それが10年前から急変した。


<天皇教の象徴・神棚を燃やした創価学会を評価した松村謙三と周恩来>

 中国問題に関与したジャーナリストは、中国外交部の丁民(元駐日中国大使館参事官)を知っているだろう。彼は周恩来の命を受けて創価学会についての研究をまとめた。理由は、彼が一番信頼した日本の政治家である松村謙三が「ぜひ池田大作と会うべし」と進言した。そこで周恩来は、外交部の日本通らに指示したのだ。その秘事を、晩年の丁民から北京市内の日本料理店で聞かされた。


 しからば、自民党の長老である松村が、池田を紹介した理由はなんだのか。それは創価学会が、国家神道・天皇教のシンボルである神棚を燃やしていた事実を知って、松村は密かに池田と交流していた。

 池田と周恩来の歴史的な出会いと、当時、公明党委員長の竹入義勝が、1972年9月の日中国交回復する前に、田中角栄首相と大平正芳外相の命を受けて、北京を訪問して周恩来ら中国の要人と密談、それが竹入メモとして永田町に波紋を広げた、との経緯につながった。


 創価学会公明党にとって、この時が最高潮だったことが分かる。以来、池田は中国が信頼する日本人として、特別の待遇を受けてきた。日中友好をライフワークとしてきた筆者が、評価する点はここにある。それが安倍と太田の「戦争三法」で崩壊してしまった。

 安倍の腰ぎんちゃくとなった公明党創価学会は、極右から「戦争党」という高い評価を受けたが、反対に平和を愛する多数国民から忌み嫌われるカルト教団に成り下がった。2月2日の参院予算委員会での公明党議員の質問に、耳を傾けた国民がどれほどいたのだろうか?


<戸田二代会長は戦前の天皇制下、神道に屈せず入獄>

 創価学会研究者は、戦前において初代の牧口常三郎と二代戸田城聖らが拘束され、前者は獄死している。憎い国家神道・天皇教との思いがある。多くの平和主義者や民主主義者も拘束された。いまのロシアよりもひどかった。

 にもかかわらず、現在の信濃町は、戦争神社で知られる国家神道(神社本庁)・神道政治連盟の自民党の傘下に入ってしまった。

 牧口・戸田ら学界の先駆者が、泉下で泣いていることが理解できる。

2022年2月2日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

創価学会の池田大作名誉会長の主著『人間革命』には次の一節がある。

〈仏法から見て、天皇や、天皇制の問題は、特に規定すべきことはない。代々つづいて来た日本の天皇家としての存在を、破壊する必要もないし、だからといって、特別に扱う必要もない。(略)具体的にいうなら、今日、天皇の存在は、日本民族の幸、不幸にとって、それほど重大な要因ではない。時代は、大きく転換してしまっている〉

これは、戸田城聖・創価学会第2代会長の言葉として書かれているもので、事実上「創価学会の教義」