上級国民と下層国民<本澤二郎の「日本の風景」(4314)

<学校の先生になって同僚と結婚すれば軽く億万長者>

 2022年1月3日の買い物先で出会った元気?な近所のおばあさんの声が、ひときわ店内に響いた。花が大好きな方で、このスーパーに毎日来ているという。「2日も来た」と言って高笑いする。威勢がいい。声が大きいものだから、周囲の買い物客も、驚いて振り返る。

 「昨日は(千葉県教育庁で働く)娘が来てくれたが、2時間で帰ってしまった。箱根にも行ってきたが、とても混んでいたと行っていた。よく旅行をしている」とも。GO TOトラブルの先陣を切っての家族総出の小旅行という。


 夫は校長、妻は教育庁幹部。「最高に恵まれた娘さんですね」と声をかけると、なんと「娘の家は二人で2か月働いて300万円、うちはおじいさんと二人で年金が年300万円、大変な落差ですよ」と教員の高給ぶりを明かしてくれた。


 確か上級国民という言葉がはやっている。貧困時代の反映であろうが、それにしても教員夫妻の高収入は、改めて頷いてしまった。


<「うちの娘夫妻は2か月で300万円、私たち夫妻の年金年300万円」>

 もう20年、30年も前の話だが、自民党の依頼で北海道へと講演に出かけた。車で案内してくれた地元の幹部党員に聞いてみた。「このあたりの富裕層は」に「それは夫妻で学校の先生をしている家庭ですよ」と。


 その時思い出したことは「日教組運動を抑えるためには、教員の給与を上げることだ」と即断、それを強行した田中角栄である。角栄の決断が、いまでは富裕層・上級国民へと格上げさせたものだ。


 自宅の周囲を花で飾っているおばあさん夫妻の年金300万円は、これも恵まれているではないか。「うちはその半分。いつもカミさんにけちけちといわれていますよ」と応じると、彼女は笑って満足げだった。間違いなく、この日本には上級国民と下層国民が存在する。


<上には上がいる「大沢さんは月5万円」で介護施設にも入れなかった!>

 数年前にこんなことがあった。92歳の独り身の大沢おばあさんのことである。二人の優秀な子供と夫に先立たれ、毎月5万円の年金で生活していた。介護なしに生活することは困難だった。


 介護施設を利用すると、もはや買い物もできない。どうするか?本ブログで数回木更津市の福祉不在を追及したところ、デーサービスを利用できるようなった。94歳で亡くなったと聞いた。厳しい生活を強いられている一人暮らしの家庭は、列島にたくさんいるのであろう。岸田文雄の知らない世界である。


<日教組など教職員組合の活動が止まってしまった理由>

 話を戻すと、近年日教組の運動が聞こえてこない。人間の体に例えると、肥満体なのだ。お腹が膨らむと動きは止まる。


 角栄の判断は正しかった。いま日本の教師から「若者を二度と戦場に送るな」という切実な叫びを聞くことがない。

 原発再稼働による第二のフクシマにも無関心だ。200万の福島県民、とりわけ10年前に幼子だった子供たち30万人の健康に向き合おうともしない。福島県知事は原子力ムラ出身者であるが、野党でさえも担いで、放射能下の生体実験に協力していると聞く。


 10年前のフクシマは、今も変わらない。そして遂に菅内閣は、猛毒トリチウムの海洋投棄を決めた。腑抜けのIAEAも後押しする。正月でも、海苔を食べられない日本がやがて訪れる。


 日本社会の崩壊は、一部の労働階級が富裕層化したことで、国民の声を聞く力を喪失したことも大きい。結果、多くの大衆は下層国民として落ち込んでいく。


<カネで人間の価値が決まる泣けてくる日本型官僚社会主義>

 貨幣経済が生まれると、即商人が実権を握る。政治経済を牛耳る。


 人々の価値観はカネである。カネが人間の価値を決める。倫理や正義・公正という大事な価値は、低下し葬られていく。いまの世界、日本がそうである。ゆでガエルの日本に変化が起きるのか。


 財閥と官僚が操る不浄な日本が、いつまで続くのだろうか。地獄が見えてきていることも事実である。

2022年1月4日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)