信濃町が創価学会を潰す!<本澤二郎の「日本の風景」(3903)

<大阪都構想秋の陣で、反対から賛成急変に抵抗した創価学会員>

大阪都構想をめぐる信濃町・公明党本部の暴走に対して、怒り狂う学会員の本心を、共同通信が今ようやく恐る恐る披歴した。「公明党が創価学会をつぶすのか」である。学会員の反乱に、信濃町の本部は、数年前からこっそりと除名と財務返金で乗り切ろうとしていることも、ようやく判明してきた。


 信濃町執行部クーデターへの反乱である。本部に反発する純朴な会員は、今でも池田大作の平和主義に心酔している。「おかしい」と怒りをあらわにさせて当然なのだ。


 思うに、安倍・自公・日本会議の極右勢力が、対中国戦略の防護服として強行した戦争三法の一番手に準備した秘密保護法の場面で、その主役を演じた太田ショウコウ国交相に対して、木更津レイプ殺人事件で命を落とした戦争遺児が真っ先に「太田は池田・創価学会の裏切り者。断じて永遠に許されない」との叫びも執行部クーデターに声を上げた。


 あるいは「池田先生は公明党が民衆に敵対した時はつぶせとおっしゃった」と叫んで選挙戦(参院選)を戦った沖縄の野原善正の決起とも共通しているようだ。マスコミの報道を、機関紙の印刷や莫大な広告費を使って封じ込めてきた信濃町の防護服が、間違いなくはがされて穴があいてきている。その一部を共同通信が、初めて報じたのだ。


 子弟を有する家庭は、教育を公約に掲げた公明党に期待をかけた学会員もいたようだが、戦争三法に続く博打法の強行に衝撃を受けている。人間の精神を破壊、家庭を崩壊させるカジノ法は、太田の後継者の石井某が、安倍・菅・二階路線を突っ走った。要するに、池田が体調を崩した瞬間から信濃町は、国粋主義にかぶれた、A級戦犯の孫の路線に乗って、信じがたい暴政に手を貸してきた、と断罪できるだろう。


 今回の大阪では、極右改憲派の維新のレールに乗せられて、そのうえムチでお尻を叩かれて、維新のために1票を投じろと会員は厳命された。本来は純朴な平和を愛する学会員が、これにとうとう堪忍袋の緒が切れて、怒りの反撃に転じた。自業自得であろう。


 今朝ほどの信濃町の監視人報告は「もう半分、空中分解している」と決めつけた。来年7月の都議選は、むろんお年寄り会員にとって、厳しいと言わざるを得ない、とも予測した。国粋主義に傾倒したツケは、決して小さくないようだ。信濃町嫌いにとっては、感動する事態の招来かもしれない。


<東京での野原善正21万票は戦争三法強行のツケ>

 大阪に先んじて、昨年7月の参院選では、沖縄の野原善正を山本太郎が突然、擁立した。わずかな期間に、実に21万の信じがたい票を獲得した。

 先の監視人曰く「普通であれば、数千から数万しか取れない。それでいて21万というと、信濃町に反発する学会員の組織的な抵抗があったとしか考えられない。池田党から山口・太田党、すなわち安倍の別動隊に変質したことへの強烈な反発と分析したい」。


 木更津市の戦争遺児の怒り(2013年)は、房総半島のみのそれではなかった。創価学会のシンボルと言われる三色旗は、沖縄でも、東京でも翻った。

 知能程度の高い創価大学やOBたち、平和主義に共感して動じない婦人部が、戦争三法に抵抗して当然だろう。太田と山口の誤算だろう。


 また「山口や太田と連携する創価学会の原田・谷川の執行部は、池田主義に心酔する正木理事長を追放、同時に関係する理事も首にしたが、当然、正木グループの反撃も予想され


(追記)またしても記事が10行ほど消えてしまった。どんな仕掛けなのか。電通の仕業?それとも信濃町か?

昨日は、読者の会社役員のO君が、自宅の柿をたくさん持参してくれた。柿の皮は、漬物にいい。白菜漬けにまた挑戦したい。今朝ほど同級生のS君の話は「同級生のNさんが認知症で入院した」と辛い報告である。一人住まいはきつい。改めで、人生は無常、はかない。朝露の如しである。せめて潔く生きたい。それは正義と勇気にある。悪党の世界を許してはなるまい。ジャーナリストの責任である。

2020年11月13日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)