美しい国NO恐ろしい国YES<本澤二郎の「日本の風景」(3873)

<戦争・核放射能アレルギーを吹き飛ばす永田町の恐怖>

 世の中は、日々前に進んでいると思いがちだが、現実はいい為政者らしい為政者がいるわけではなく、この10数年以上にわたって政治の質、国民のための政治は、大きく後退している。そうさせないための、最善の政治制度が民主主義のはずだが、民衆が政治に失望して不真面目、打算的、刹那的だと、美しいはずの大地も人間の心も破壊されて、そのことを恥じない。


 信濃町の汚染に限らない。国家主義政権の術数にはまり込んで、反省もせず、反対に開き直って、正当な改革や正論を押しつぶす。永田町・平河町・信濃町には、怖い恐ろしい人たちが跋扈している。


 「戦争を風化させるな」と叫んで抵抗した保守リベラル派は、改憲軍拡派に押しまくられ、今では財閥・経産省・電通の防護服を着る「金権魔」に汚染された政治屋が大手を振って、それらに抵抗するはずの新聞テレビが総崩れといっていい。


 美しい国から恐ろしい国に変質したような日本は、言い古された言葉だが、落ちるところまで落ちるしかないのであろうか。目下、科学者でさえも戦前志向の悪しき権力者に押しまくられている。 



<山梨県は相変わらず放射能汚染の毒キノコなど>

 本日の報道によると、先月9月の自殺者は1805人。コロナ禍で亡くなる人数は正確でないのだろうが、それでも自殺者がはるかに多い。

 2日ほど前、隣の市で一人暮らしのお年寄りが孤独死したという。東京ではニュースになるであろう。保健所・病院・警察による司法解剖が実施されるだろう。コロナ禍の可能性を否定できないのだから。しかし、ここは千葉県である。


 ネット上では、山梨県で放射能汚染の毒キノコが、先月の県の調査でも、改めて明らかにされた。正しくは毎月のことである。311の福島東電原発爆発の消えない威力を裏付けている。ということは首都圏の汚染は、永田町を含めて継続したままで消えてくれない。東北・首都圏・中部地方の汚染調査は、かなりいい加減で、当局も真相を公表していない可能性が高い。


 それこそ今話題の日本学術会議の出番ではないだろうか。国民も東アジアの人々も、口には出さないものの、重大な関心を抱いている。コロナがなくても、放射能汚染下の東京五輪に赤ランプがついたままなのだ。隣国のスポーツ関係者は、当然のこととして熟知している。


 善良な日本国民だけの民主主義であれば、野党連合はまずは自公政権を打倒した後、直ちに放射能汚染測定を大々的に実施する必要があろう。原発派を打倒することが、国民は生きるために不可欠である。いわんや原発推進とその利権にぶら下がった元首相の内閣と自民党の、血税を使った2億円葬儀は断じて容認できない。



<長崎広島福島を忘却した北海道の核ゴミ受け入れ町登場>

 ここにきて風光明媚な北海道の寿都(すっつ)町と神恵内(かもえない)町が、びっくりするような行動に出て、多くの国民を失望させている。高知県東洋町では、住民の大反対で撤回を余儀なくされている同じ問題で。


 高レベルの放射性廃棄物・核のゴミを、地下300メートルに埋めるという、不可能な恐怖に挑戦するという。放射能が安全レベルになるまでに、どれほどの時間がかかるのか。見識のある広島の新聞・中国新聞が、社説で懸念の論陣を張っているが、そこで専門家の指摘であろうが、なんと数万年から10万年も必要とする。


 この期間の間、どう保管するのか。出来るわけがない。原発推進派の本陣・経済産業省と54基の建設に携わった利権政治屋・言論人、鹿島ら建設利権に群がったゼネコンの罪人らに、心から怒りが込み上げてくるではないか。


 東電福島原発爆破による耐えがたい放射能が、主に東北と首都圏に与える絶望的な影響力に息をのむばかりの国民である。54基の原発廃炉処理でさえも、数百年はかかるであろう。


 町民の代表であるはずの議員が、金権魔に毒され、談合する場面を想定するだけでも腹が立つ。日本列島を本気で海中に沈めようというのか。気が狂うような町の利権屋に従わねばならない国民なのか。


 長崎広島福島を忘却した同じ国民に、背後から追い詰めている核・原発屋の金権魔の経産省・電通に、これからも服従する日本人でいいわけがないだろう。



<被爆国忘却して核禁止条約を批准しない悪魔の日本帝国>

 耐えがたい苦痛を受けながらも叫び続けてきた被爆者の抵抗の証である核禁止条約が、国際社会で認められ、いよいよ批准する時を迎えている。


 それでも肝心の日本国民の代表であるはずの日本政府は、これに屁理屈を並べて抵抗している。こんなふざけた日本政府を、放任していていいのだろうか。


 美しい国を崩壊させている日本政府と霞が関の官僚、それを司法の場で支えている異様な事態を、それでも容認する国会に人々は呼吸も出来ない。


 日本最大の悲劇は、史上最大の侵略戦争がもたらしたことによる広島長崎である。天皇制国家主義の行き着く先だった。人間天皇になっても、未だに天皇の認証官は、人をひき殺しても無罪を主張する。いま目の前で起きている裁判である。


 悪魔の日本帝国は、今も来ているのであろう。



<それでも自民党政権・自公政権を支持する低すぎる民度>

 美しい日本を亡ぼして、恐ろしい国にしている自民党と公明党創価学会と

補完政党の維新を、自由なはずの選挙で支持する民衆・大衆が存在する日本である。


 本来、悪政・暴政の下で、ありえないはずなので、選挙の不正が行われている可能性を否定できない。せめて投開票ぐらいは、人間の手で処理すべきではないだろうか。


 嘘と欺瞞が覆いつくした列島に、正義の花を咲かせたい。年配者の悲願といってもいい。このような国民は、実際のところ多数派である。注目することは、

新聞テレビの覚醒がいつなのか。電通支配のくびきを外せる時が来るのか。


 民主主義の民度は、どのようなものか。正義のために汗を流せる人間作りが、教育である。日本学術会議に課題もあろうが、いまこそ彼らに活躍してもらう時である。菅も加藤も開き直りでごまかすのではなく、悔い改めることが先決であろう。

2020年10月13日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)