行革は隗より始めよ<本澤二郎の「日本の風景」(3854)

<財政崩壊の国は、国会議員半減、報酬半減が天下の正論>

 安倍内閣の負の遺産は山ほどあるが、その一つが国の根幹である財政を破壊、天文学的な借金大国にしたことである。負債比率は、円の価値が喪失した敗戦時レベルだ。政府・議会の無能無責任は極まって、人々を絶望の淵に追い込んでいる。それでも彼らは血税で肥え太っている。


 秋田の農民出身の菅義偉なら、この国の膨大な借金に向き合うだろうと、かすかな期待を抱いた国民もいたかもしれないが、苦労人・仕事人の宣伝にもかかわらず、安倍内閣同様に喫緊の課題である行政改革に見向きもしない。


 与野党の国会議員一人1億円以上の血税を懐いっぱい吸い込んで恥じない、悪魔の輩ばかりか。21世紀の吸血鬼をいつまで続けるつもりなのか。直ちに報酬半減、定員半減を、実現すべき時なのだ。日本が債務不履行の国にならないための、政治の第一歩は、すべからく「隗より始めよ」である。


 手を付けなければ、老いも若きも「行革党」を結成して、自公連立とバラバラ野党を蹴散らす時代の到来を予感させる。まずは議会にメスを入れることで、消費税ゼロによる景気対策を同時に実行するしか、日本列島の沈没を救済する道はないだろう。


<イタリアは3分の1削減(年101億円)、日本は世界一の高給>

 コロナで多くの人命を失ったイタリアは、大きく舵を切ったことに驚く。昨日の報道によると、国会議員を上院と下院の定員を3分の1も削減した。


 過去に繁栄した国と国民の意識は、やはり日本と比べると、実にしっかりとしている。議会の質素倹約によって、人々が生存するための改革を実行する。イタリア国民の政治的資質・民主主義の見事な成果に対して、アジアから敬意を表したい。


 お隣中国でも、贅沢三昧の食事を禁止、人民に質素倹約を求めて、自立経済確立に向けて必死なようだ。多くの課題を抱えながらも、コロナ対策では成果を上げ、欧米の経済学者の分析でも、経済の再生にかなり成功して、沈没する気配を感じさせない。「北京には、李克強のような実務派がいるが、日本にはいない」とも事情通は指摘している。


 わが日本はというと、議員定数の多さと議員報酬の多さで、国際的に見て圧倒している。どうしてこんな事態を招来させたのか。日本には見識のある人材が、言論界を含めていなかった証拠であろう。

 アメリカの上院というと、日本の参院に相当するが、定員は100人である。日本国は、与野党国会議員によって、彼らに都合よく組織化されている証左で、自慢できるものではない。官民格差が戦後においても継続してきた、恥ずべき日本なのだ。


 今回のイタリア政界の政界は、実に3分の1も削減した。其の結果、どれほど国家財政にプラスしたのか。日本円にして年間101億円。日本国民は、この数字から何を学ぶことが出来るだろうか。各国の議会人は、日本の議会人に比べて、わずかな報酬に甘んじて、国政に汗を流している証拠なのだ。


 国民の代表者は、まずは奉仕の精神に徹していなければならない。これは国際常識なのだ。このことについて、日本国民の権利意識の低さだけで判断してはなるまい。選良の政治意識の低さにある。血税を分捕って、特権的地位と生活を求める欠陥人を、わが国民は選択していることになろうが、政治を志す一群に問題が潜んでいる。


 かくして国民の代表者が、血税をたらふく吸い込んでいる日本の議会人は、結果的に金銭まみれの腐敗政治を招き寄せている。政府はというと、首相自ら犯罪的腐敗まみれとなる。その典型が安倍晋三だった。誰か異論はあるか。


 しかも追い打ちをかけるように、安倍犯罪のもみ消し人の黒子が、安倍の政治後継者となった異常な事態に対して、言論界は宣伝に躍起なのだ。


<人命よりも電通五輪を先行する危ない菅内閣の前途>

 横道に反れるが、国際原子力機関・IAEA総会では、遂に安倍が東電福島原発爆発炎上に対して「すでにアンダーコントロールされている」との大嘘と、11億円の買収工作資金で国際五輪委員会・IOCを買収して勝ち取った、不浄すぎる東京五輪をコロナが一蹴してしたものの、それでも日本の電通に操られている犯罪政府は、あきらめようとしていないことに、隣国から放射能汚染問題を鋭く指弾された。


 情けないことに新聞テレビは電通の意向に屈して、相変わらず電通五輪の宣伝に懸命であるが、フランス検察はIOCJOC関係者の不正に対して、依然として捜査中である。


 財政が破綻している中での日本の暴政五輪を人々は、支持容認するのであろうか。企業経営者としても失格という評価が定着している麻生太郎の政治責任もまた、計り知れないほど大きい。財務省にまともな役人もいない証拠であろうが、そうした不可解な財政当局の土壌の上に、国会議員のみが肥えて太る官民格差を継続することは困難であろう。


<安倍・黒田の年金基金の株投機で消える危機的事態>

 正義に目覚めた清和会OBの指摘は、いつも的を射抜く威力を、わがペン先に注入してくれる。政府与党国会議員の、それこそ黒子で人生を生き抜いてきた人物の指摘は、アウトサイダーの右翼や左翼の、ためにする言い分と異なる。その指摘は、それ故に危機的かつ重大である。


 いうところのアベノミクスとは、許されざるルールを破る(規制緩和)ことで、一部の財閥1%とその周辺の小金持ちに恩恵を与える、すなわち多くの国民から収奪する、アダム・スミスの初期の資本主義システムを、21世紀の現在に投影させている。言い換えると、民衆から収奪する高度の奴隷化社会なのだ。

 マルクス知らずの人間だが、彼が何というか。おそらく悪魔の手法だと断罪するだろう。新自由主義などという言葉の遊びで、人々を奴隷状態に追い込んでいるのである。


 日銀の黒田は悪人である。国民の生活を考えない悪魔に違いない。安倍と組んでの1万円札を輪転機で刷りまくり、円を意図的に安くさせ、財閥と株屋に資金を流し込んでいる。あまつさえ国民のなけなしの資金である年金基金を、危険すぎる株に大量に投入して恥じない。

 多くの老人が「安心して夜も眠れない」との声が届く昨今である。 


<早くも馬脚!東北復興を切り捨てた政府基本方針>

 気づかなかったのだが、菅内閣の基本方針から「東北復興」の文字が消えてしまったというのだ。その多くがやくざ暴力団に吸い込まれた復興資金に衝撃を受けてきたが、政府方針から外すことで、さらに「やりたい放題」にしようというのか。

 久しぶりに復興大臣に就任した平沢勝栄の顔つきが気になった。口が曲がっている。麻生太郎に似ている。善人ではないのだろう?


 まずは国会議員の定数と報酬の半減が、この国の前途に明るさをもたらすことになる。まずは隗より始めよ、である。

2020年9月24日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)