しめ縄文化<本澤二郎の「日本の風景」(3800)

<蛇の交尾は子孫繁栄=天皇家・神社信仰ルーツ=朝鮮半島王朝>

 パソコン無知な父親に息子が、アベマという無料で見られるテレビを教えてくれた。ろくでもない人物の独演会もあるようだが、当方はもっぱら韓国の時代劇に興味がある。毎日のように放映される朝鮮王朝500年のテレビ劇は、日本の不透明な天皇文化・悪しき神社神道文化を、ものの見事に暴いてくれる。


 いま見ている「イ・サン」は、22代国王の一代記である。昨夜は、彼が亡き先王の葬儀の服装を見て、やはりそうかと手を叩いてしまった。すなわち、葬儀責任者兼後継者が、額にしめ縄を巻いていたのである。


 このしめ縄について、以前、出雲大社の研究家が「あれは蛇の交尾を象徴したもの。大社の門は、本国・朝鮮半島に向いて建てられている」と説明した。島根の女性市議は「一度だけ蛇の交尾する様子を見たことがある」と語った。以上の説明で、日本人ならなるほどと頷くはずである。


 天皇の神社信仰は、半島からのものである。ことによると、大陸と半島の深い結びつきから、神社信仰は中国の道教ではないだろうか。大陸も半島も大きく変貌したが、日本の文化も精神も、前世紀であることも理解できそうだ。


 これぞ歴史の真実であって、戦後の学校で教えてきた歴史は、戦前の天皇のための皇国史観という、出鱈目史ということになろう。

 歴史を直視すれば、未来を安全に航海できる。史実に忠実でありたい。


<半島と列島は同一民族・兄弟関係>

 しめ縄の原料は稲わらである。水耕・農耕文化だ。韓国で牛の像を飾っていたことを思い出した。モンゴルの騎馬民族と異なる。

 集団で農作物を栽培する、助け合い・和の文化だから、戦いを嫌う。漢民族がモンゴルの元に敗北して当然だったろう。


 中国・福建省の人たちは、船を浮かべることで、偏西風を利用して沖縄や九州地方に流れつくという。福建人の網の目のような人脈は世界に広がっているが、韓国の釜山からだと、より容易に山陰や北陸に到達できる。


 鉄の文化を日本列島に持ち込んだのは、朝鮮人である。島根県の多々良は、鉄の発祥地というが、間違いなく半島の文化そのもので、木製の鍬などに取って代わった。むろん、容易に列島の支配者にもなった。その主役が天皇族であったろう。


 朝鮮民族と日本民族は合流、一体化の様子も、しめ縄が物語っている。

 「日本は韓国の弟分」という話に違和感を持ったものだが、今は素直に受け入れることが出来る。


 今でいう朝鮮王朝の政治犯は、日本で捲土重来、祖国に復讐・反撃を加えていくことも納得できる。近親憎悪なのか。秀吉の朝鮮征伐という侵略行為も、その一つなのだろうか。


 他方で、徳川幕府は鎖国による寛容政策(朝鮮通信使)を採用した。


<倭寇(日本海賊)は朝鮮王朝の政治犯か>

 朝鮮王朝の対外政策の中心は、大陸との交易である。塩や布などの物資を輸入する。反対に、大陸の皇帝国家は、朝鮮の人参を受け入れる。


 王朝国家にとっての大事な国防政策は、帝国との良好な関係維持もそうだが、倭寇対策が悩みの種だった。倭寇とは、日本海賊のことである。海賊の多くは、半島から列島に逃亡してきた朝鮮人のはずだ。復讐であろう。


 王朝での派閥抗争に敗北したり、問題を起こして断罪されたりすると、処刑か流刑・島流しである。幸運な犯罪人は、船で日本に逃亡することになる。


<贖罪の安倍晋三の像は如何に?>

 昨日からネットで慰安婦少女像に向かって、跪く安倍晋三像が炎上している。歴史の捏造に執着してきた晋三に対して、韓国・朝鮮の人々は怒り狂っている。反省謝罪しない加害者の子孫に対して、被害者の子孫は永遠に贖罪を求めるのだろう。


 相手は日本人というよりも、日本に逃亡した朝鮮人の子孫に対してか。


 安倍晋三の父親・晋太郎の父の寛は、清和会関係者によると、自ら「私は朝鮮人と名乗っていた。反骨の政治家として評判が良かった。その関係で、息子の晋太郎も、自分も朝鮮人を名乗るしかなかった」と本日、確認できた。


 倭寇の子孫なのか、それともずっと後の政治亡命者の子孫なのか。


<清和会の牙城=赤坂プリンスホテル=元王朝最後の李殿下屋敷>

 博愛主義者のクリスチャン政治家である大平正芳は、筆者の政治記者最初の取材対象だったが、彼の秘書だった鈴木玄雄に年賀状の代わりに手紙を出したが、返送されてきた。

 彼は大平が亡くなった後、三木証券の社長となった。一度、彼の依頼で講演をしたこともある。やむなく、三木証券に問い合わせると、亡くなったという悲しい知らせに驚いた。彼とは同い年だ。


 話変わって大平のほかに、もう一人、星島二郎元衆院議長も博愛主義者で知られた。むろん、護憲派である。彼のもとで書生見習いをした中原義正が、赤坂プリンスホテルの元所有者は、なんと「朝鮮王朝最後の李殿下と王妃(梨本宮方子)のものだった」と教えてくれた。


 日韓併合は、日本軍国主義のなせる業だろうが、この時に李王朝に嫁いだのが、梨本宮家第一王女の方子。東京の住まいが紀尾井町にあった。戦後に違いないが、窮状にたまりかねて方子が「家を売りたい」と相談を受けたのが、のちに衆議院議長になる星島。


 彼は、西武の堤康次郎に「買ってくれないか」と声をかけると、彼は「分かった」と即答した。堤はそこに赤坂プリンスホテルを建てた。屋敷内の二つの国宝級の灯籠を、方子は礼に差し上げた。星島は、それを自宅とアルゼンチンの日本庭園に。自宅に置いておいた灯籠は、その後、韓国政府に返還した。


 福田派・清和会の事務所は、久しくここ赤坂プリンスホテルに置かれた。ちなみに、福田派プリンスと呼ばれた安倍晋太郎について、中原は「それはプリンスメロンの意だ」と応じた。


 そういえば、政治部長を辞めて政治評論家最初のテレビ出演がフジテレビだった。ポスト海部レースが話題になり、安倍はどうかとの期待の質問に「それはない」と答えると、理由は何か、と問い詰めてきた。

 「安倍の健康問題」と正直に答えると、以来、フジとの縁が切れた。正直者は馬鹿を見るのだろう。電通の仕業だったかもしれない。テレビのいい加減さを、政治評論家一年生の時に学んだことになる。


 参考までに朝鮮人の偉い点を指摘すると、それは清潔で勉強熱心である。安倍晋三は別として、優秀だから日本での成功者は少なくない。

2020年7月30日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)