護憲リベラル台頭<本澤二郎の「日本の風景」(3719)              <1942年生まれ元国家公安委員長・溝手顕正は宏池会中興の祖か>

 2020年6月18日は、小さな記念すべき日ではないだろうか。安倍晋三と菅義偉が、ひ弱すぎる岸田文雄・宏池会打倒のために、刺客に送り込んだ河井克行・案里を、ついに検察は逮捕した。公選法違反の菅原一秀を見逃した東京地検特捜部が、安倍よりの黒川弘務を排除した中で、元法相夫妻を逮捕した法的政治的意味は大きい。安倍の1・5億円の一部が、安倍や菅に還流されている疑惑にも捜査の目を向けている。稲田信夫検事総長の意欲・本気度が分かる逮捕劇だった。


 対して俎板の鯉の安倍と菅、特に前者は、官邸記者会との馴れ合い会見で、検察向けの見せかけの「中央突破」を披歴しただけで、報道価値はなかった、と評論したい。


 今回の河井逮捕は、まだ第二ラウンドに過ぎないが、安倍の心臓を止める寸前まで追い込んだ。そこで関連して、2019年7月参院選では、安倍の1・5億円に屈した溝手顕正に注目したい。彼こそは、米民主党のリベラリスト・サンダース上院議員を彷彿とさせる、護憲リベラルの宏池会本流の政治家で、二人とも1942年生まれだ。


<池田勇人・大平正芳・鈴木善幸・宮澤喜一の遺伝子継承者>

 次男の医療事故が災いして、永田町から足を洗ってしまったような生活を強いられた筆者は、悲しいことに溝手顕正のことをよく知らなかった。インターネットで初めて調べて、彼の素性が分かってみて、大いに納得した。


 宏池会中興の祖になれるような人材は、溝手その人だった。ゆえに、宏池会つぶしの標的にされたものだろう。ご存知、宏池会は被爆地・広島県の池田勇人が創立した自民党きっての名門派閥で知られる。隣県のA級戦犯・岸信介に対抗した護憲リベラル派閥で、戦後の経済復興を主導した吉田茂の真の後継者である。


 自民党綱領の自主憲法論は、A級戦犯である岸の民主党・保守傍流が強引に押し付けたものであって、保守本流の池田宏池会は、歴代護憲リベラルを貫徹、ぶれることはなかった。

 宮澤内閣発足時に読売のナベツネが、改憲論で接近してきたが、宮澤は強くねつけたようだ。


 宏池会からすると、岸・国家主義の改憲軍事大国論は、歴史の教訓に反し、愚の骨頂ということになる。日本国憲法は、吉田内閣が議会と日本国民の総意によって誕生させた人類の宝物である。戦争を可能にしたい財閥のための改憲軍拡は、覇道そのものであって容認できないものである。


 池田宏池会は、その後、前尾繁三郎を経由して大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一、加藤紘一へと継承されて、今日の岸田宏池会となって沈下したが、それは岸田には、歴代宏池会会長の政治理念が存在していないためでもあろう。

 宮澤の薫陶を受けたはずの岸田のはずだったが、彼は安倍の国粋主義に迎合してしまった。しかし、溝手は違った。宏池会の遺伝子である護憲リベラルが、彼には今も健在なのだ。


 安倍と菅が標的にした理由は、溝手を落選させることで、合わせて岸田宏池会を壊滅させることだった。もはや、安倍後継の嘘に屈した岸田に、宏池会を率いる資格はない。


<溝手顕正最後の大事業=護憲リベラルの旗手として宏池会再生>

 自民党史を開くと分かることだが、戦後日本が、曲がりなりにも憲法理念を堅持して、平和路線を踏襲出来てきた原因は、自民党の右翼化・国家主義化を抑制・阻止してきたことで、それなりに民意を反映させてきたことである。


 ポスト佐藤以降の流れを見ても、平和主義を基軸としてきた三木派や水田派、護憲リベラルの宏池会、中道の田中派経世会の存在が重しとなってきた。改憲軍拡の岸・福田派や中曽根派を抑制、国民に安心感を与えてきた。


 永田町最大の課題は、弱すぎる野党にある。それは労働貴族化した労働組合・連合の変質とも関係している。右傾化する野党に対して、国民の期待はしぼんでしまっている。

 たとえば、国民民主党の存在を有権者は評価していない。連合が災いの元凶といえるかもしれない。右翼政党・維新に振り回される野党を、評価する国民は多くはない。


 今回の河井・安倍事件は、護憲リベラルの溝手復活と宏池会再生を見て取れる。「溝手は池田勇人の生まれ変わり」との声もある。憲法順守の稲田検察と連動しているのかもしれない。ことほど河井逮捕は、安倍と菅の政治力を衰退させている。政局夏の陣の号砲が鳴り響いている!

2020年6月19日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)