北京郊外の元日<本澤二郎の「日本の風景」(3576)

<新型肺炎に息をひそめるだけの虚しい1月25日>

 人が少ない。車も少なくなった。静かで過ごしやすい北京は、毎度のことである。だが、人々の心理状況は例年と異なる。新型コロナウイルスとか、肺炎と称する感染症の行く方に神経を集中させている。

 日本と違って政府による新聞テレビの信用・信頼度は、大きくはない。物凄い速度で発達したネット社会は、世界一であろう。そこに様々な情報が瞬時に目と耳に届く。日本の比ではない。幸いなことに、筆者は中国語がわからないので、そのことで一喜一憂することはない。いたって精神は健全そのものだ。


 市民はというと、むろんのことで、ネット情報の選別能力が試されるのだが、神経質な市民だと、テレビ報道に疑念を抱き、より事態の深刻さにはまり込んでしまい、精神を狂わせないとも限らない。


 おかげで大晦日の親類縁者の団欒にも行けず、したがって元日もパソコンとにらめっこするだけの、むなしい1日となった。テレビはというと、春節向けの、日本でいうと、紅白歌合戦のような歌や芸能番組で雰囲気をまき散らしているようだが?


<空気を運ぶ公共バスに変化はない>

 新型という感染症について、一つだけはっきりしていることは、睡眠をしっかりとって、栄養バランスによる健康状態良好の人は、そう心配しなくてもいい、ということである。万一、感染しても死に至らない。問題は、中高年の病気持ちの男女が危ない。すなわち肉体的弱者は、他人との接触をできるだけ避けるようにしたらいい。


 さて元日の午後、周囲を散策して街の様子を見学することにした。ワンルームマンションの中庭に人影はいない。多くは故郷に帰ったのだろうし、一部の金持ちは海外旅行だろう。マンション内の犬たちの姿も見ない。


 先日びっくりする事態に一瞬、体が硬直してしまった。エレベーターに入ろうとしたした途端、目の前に大型犬、まぎれもなく狼の子孫と目があってしまったのだ。


 以前、品川のマンション理事長を引き受けたりしていたころ、エレベーター内に「犬のフンがあった」と理事の一人が怒り狂っていたものだ。いまのところ、それはないが、犬の小便はあるかもしれない。エレベーター内の床は、かなり汚れてそのままである。衛生観念は、日本とかなり違う。

 

 近くの投資用マンションは、入り口に警備員がいるだけで、中はガランとしていた。最近まで、名物となった配達員の電動スクーターが、マンション内を子ネズミのように走り回っていたが、すっかり姿を消していた。住人もいなくなり、配達員も故郷に帰ったのだ。


 バス通りに出てみた。北京市のいいところは、バス交通が完ぺきに整備されている点である。元日も変わりなく走行していた。いつもより速度が出ている。道路が空いているためだ。

 空気を運んでいるようなバス運転手は、マスクをしていた。初めて見る姿だ。次々と走ってくるバスの乗客は、せいぜい1人か2人、乗客ゼロも見つけた。親類縁者との交流もないのだろう。


 近くの会員制の大型店の地下駐車場に入る車、出てくる車とかなりの台数だ。元日からの買い物というと?マスクそれとも、多忙で買い物もできなかった金持ちさん?


 そういえば、1週間前だったが、漢方薬を手に入れる友人について中規模病院を訪問した時、意外な様子が目に留まった。飲料水を売る自動販売機の隣に、マスクを売る自動販売機を見つけた。購入する患者は、例のスマホを使っている。現金ゼロ社会は便利だが、油断していると、質素倹約を逸脱することになろう。

 もう一つの変化は、警棒とヘルメットの警備員の姿を複数目にした。最近、病院と医師の対応に、患者の遺族が興奮して医師を殺害したらしい。テレビでも報道したという。二度目は傷害を受けた医師と、医師の御難続きに対応したものだろう。


 筆者は東芝病院で次男の命を奪われながら、反省も謝罪もしない東芝に対して怒り心頭、刑事告訴したが、検察は財閥に味方して不起訴、今も東芝への怒りは消えないものだから、遺族の無念を理解できる。


 過ちに対して反省と謝罪のできる医師・病院であってほしい。そういえば、北京大学医学部に合格した優秀な女性は、そこを蹴飛ばして上海交通大学に入学したという。

 日本だと東大医学部合格者が、入学を拒否したようなものである。


<公園を散歩する市民は寝正月組か>

 たまに散歩する大きな公園に行ってみた。いつもよりは、幼児を連れた家族連れが目立つが、人数は多くはない。マスクをする家族もいれば、していない元気な家族も見られた。寝正月組であろう。

 両足に輪車をつけて走り回る元気な中高年もいた。


 公園内のコブシの枝の先には、産毛で寒さ除けした蕾が大きく膨らんでいた。演歌「北国の春」を思い出す。中国では玉蘭と呼んでいる。

 柳の先端は、細長く地上に垂れ下がっているが、すでに細い茎は青みがかっていた。寒さに強い松やヒマラヤ杉も、近づいて枝先を観察すると、やはり春を呼んでいた。

 枯れ切って灰色がかっていた公園の樹木も、春はもうまじかなのだ。歩いていると、やや汗ばんできた。襟巻を外し、分厚いコートのボタンをはずすと、外気が首の周りにひんやりと流れてきた。気分爽快である。


 ふと東京の安倍「桜」の散るかもしれない騒動の様子が、失礼ながら目に浮かんできた。京都市長選が起爆剤になろうか。安倍も菅も動揺しきりであろう。

2020年1月26日旧暦1月2日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)