「天皇の官僚」と雷慧英女史<本澤二郎の「日本の風景」(3472)

<小泉純一郎靖国参拝で日本語教師を辞めた厦門大学教授>

 書棚を整理していて「天皇の官僚」(データハウス)の翻訳本(中国社会科学出版社)、それに翻訳者・雷慧英女史の表彰状コピーが出てきた。彼女は今どうしているのであろうか。彼女との最後のやり取りは、きわめて恥ずかしく、悲しいものだった。日本語に人生をかけてきた彼女を、小泉純一郎首相(当時)の相次ぐ靖国神社参拝が奪ってしまったのだ。

 「もう日本語を学生に教える力を失ってしまった」とメールしてきて、以来、音信不通である。心労で体調を崩してしまったのかもしれない。「天皇の官僚」に敗北したのか。生きていれば、いま166億円の皇位継承劇に、衝撃はさらに深まっているのか。


<公人の神社参拝は憲法の政教分離違反>

 国会議員や役人など公人たるものは、宗教法人である神社参拝を禁じている。警察・検察・判事の職責であるが、気づいていないノーテンキばかりである。

 法治を「法の番人」が違反している。この三者の改革が急務である。韓国の改革は、日本がより切実なのだ。正義の警察・検察改革が急務なのだ。


 歴史の教訓そのものである政教分離は、国際的常識となって久しい。靖国に合祀されている面々こそが、神社神道・国家神道の犠牲者である。まともな遺族は合祀に反対している。


<世界からは「侵略正当化」に反発と不信>

 世界的視点に立つと、靖国神社は「侵略戦争と植民地支配」の象徴的な宗教施設である。したがって、靖国神社参拝は、あのむごたらしい過去を正当化するものであって、断じて許されるものではない。


 36年間も文化のすべてと人権をはく奪された朝鮮半島の人々にとって、靖国は、歴史の正当化から、新たな繰り返しを連想させるものだ。


 中国の東北に打ち立てられた満州国という日本の傀儡政権と、侵略戦争での言語に絶する蛮行を、14億人の人々は忘れていない。各地に記録した記念館と学校教育で人々は、複雑すぎる思いを背負いながら生きてきた。

 靖国参拝は、消えることのない深い傷口に塩を擦り付ける行為そのものでもある。良心のある人間であれば、決してしない。


<創価大学招待受けて八王子訪問>

 彼女は一度創価大学に1年留学の機会を手にした。おそらく「天皇の官僚」の翻訳を評価したのであろう。

 彼女の方から大学に来ませんか、という要請を受けた。創価大学へと初めて足を向けた。広大なキャンパスを今もかすかに記憶している。


 日本語の達人を紹介してくれた人物は、経産省の外郭組織の「アジア経済研究所」の真田岩助さんだ。一時愛媛県出身の村上誠一郎支援に熱心だった。彼の仲介で、厦門大学教授は「天皇の官僚」と出会って、翻訳を始めたものであろう。同僚の曲志強、任佛建も手伝った。

 中国語に翻訳されると、大分薄っぺらになってしまったが、表紙に描かれているイメージ画像は、太陽の頭上に巨大な鷲のような黒い物体が、不気味に羽を伸ばしている。さすがは中国一流の出版社である。

 

<メール交換も無くなり、いまどうしているか?>

 創価大学留学生にとって、日本会議と連携した公明党創価学会に対して、相当深刻な課題を突き付けている。いまも、である。


 同じく、創価大学の中国留学生も同様であることを、北京の清華大学で確認したものである。

 当時、小泉の背後に「日本会議」なる秘密結社が存在していることを知らなかった。息子の自宅介護が忙しく、頭が息子の医療事故に向いてしまっていた。政局への関心が薄らいでいた。

 それでも、筆者は「純ちゃん、間違っていませんか」(データハウス)を書いて、靖国参拝に真っ向から抵抗を試みた。清華大学での講演では、300人程度の教室に400人以上の学生が集まって耳を傾けてくれた。

 「万雷の拍手」を初めて経験した。二度とない体験となった。


 この「日本会議」は、現安倍内閣の下で、それこそハゲタカのように羽を伸ばして、国民に襲い掛かっている。


<福建省第4回社会科学優秀賞を受賞(2000年12月)>

 雷女史は、この翻訳で福建省の第4回社会科学優秀賞に輝いた。2000年12月のことである。極右・清和会のハゲタカに屈することなく、もう一度、日本語の達人として復帰してもらいたいものである。

 極右に日本のかじ取りを任せる愚を回避するほかない。

2019年10月21日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)