2023年01月

忘恩の徒<本澤二郎の日本の風景」(4696)

<宇都宮徳馬さんが溺愛、読売に入社させた渡辺恒雄に怒りの言葉>

 今朝の8時、布団の中にいても顔が冷たい。温度計を見ると室温が零度。外は晴れて空は真っ青だ。もはや以前の地球ではない。原発から石炭使用という現代人が、地球を完ぺきに破壊した気候変動の証拠だ。

 他方、NATO北大西洋条約機構がロシアの首を締め上げる政策に、独裁者のプーチンが耐え切れず、戦争による決着にいそしんで11か月。馬鹿げた殺し合いにロシア人もウクライナ人も、共に若者が沢山命を落としている。これを何とする!

 日本右翼は、ここぞとばかり死者を祀る戦争神社の神社本庁日本会議が、善人そうな人物を政権に就けた。世は混乱と混迷の極にいざなわれている。思想も哲学も宗教も無力である。


 昨夜は恩師・宇都宮徳馬さんの夢を見た。彼こそが人間らしい人間、いい人間・善人である。政治権力を壟断する政府・官僚に善人がいない現在の日本ゆえに、耐え切れずに夢枕に立ったのであろう。むろん、悪人が跋扈する政界である。昨今、戦争準備43兆円を真っ向から批判する政治家が一人もいない。大軍拡容認派ばかりで、些末な議論で喧嘩している。お話にならない。それを眺めているだけの主権者が目立つのも涙が出てくるほど悲しい。


 間違いなく9条憲法のもとで戦争へと突っ込んでいるのだが、そのための世論操作の先陣を切ってきた読売の渡辺恒雄ではないか。数日前にNHKが彼の礼賛映像を制作したらしい。怒って宇都宮さんが夢枕に立ったのであろう。

 平和軍縮派の宇都宮さんは、生涯一度ならず二度人を見る目を誤った。渡辺を溺愛して読売新聞に入社させたことと、日本列島不沈空母と米国大統領レーガンに向けて発した国家主義者の中曾根康弘の二人だ。

 昭和の妖怪・岸信介叩きは正しかった。筆者は平成の妖怪・中曽根康弘叩きに徹し、報恩の誠をささげた。老いても反骨のジャーナリストは健在である。モグラのような人生は性分に合わない。他人を助ける力がないのが残念だが、ペンで励ますことは可能である。


 「忘恩の徒」という言葉を知らなかった。宇都宮さんが教えてくれた。「ツネは忘恩の徒だ」と明言した。以来この唾棄すべき言葉を覚えた。渡辺恒雄は忘恩の徒である。この言葉は永遠に刻まれる。消えることはない。断言したい。


<左翼から右翼に転向、正力松太郎に食らいつき岸信介・児玉誉士夫・大野伴睦・中曽根康弘に接近・改憲新聞・原発推進に激怒した平和軍縮派>

 渡辺恒雄の保証人になって読売新聞に入社させた宇都宮さん。しかし、本人は恩師とは真逆の人生に舵を切った。左翼から右翼へと鮮やかに転向してしまった。国民を弾圧してきた元内務官僚・正力松太郎の期待に応えて出世階段を上っていく。日本共産党で階段は登れないと判断するや、自身に有利な道に舵を切ると、猪突猛進する渡辺恒雄のことを、彼の政治部長の先輩だった多田実さんから詳しく聞いている。

 ある時宇都宮さんに「なぜ右翼に転向したんでしょうか」と尋ねてみた。「それは権力にぶら下がることだから、ラクな人生が約束されるんだよ」と。そうか渡辺には信念などなかったのだ。風の方向を見極めると、そこへと波長を合わせていく。右でも左でも、その時点での風次第風任せの人生である。もっとも安直で安全な人生行路は、政権交代のない日本政治のお陰で成功したのかもしれないが、そこいらの小役人レベルで国民の尊敬を集めることは不可能である。風見鶏は渡辺が実践した理論だった。中曽根はそれを拝借したのだ。


 日本の右翼は戦前派・戦争勢力だ。国家主義も天皇制国家主義である。財閥・軍閥・官閥による国家神道・神国論で統制される反民主的な政治体制だ。しかし、ここを非戦の日本国憲法は太い鎖で封じ込めている。9条の戦争放棄と20条の政教分離である。この歴史の教訓規定である9,20条を土足でぶち壊そうとしているのが安倍・菅・岸田の自公内閣である。

 岸・正力・児玉・中曽根らが涙を流して喜んでいるのは、岸田内閣と支える渡邉恒雄に対してであろうか。


<いま岸田文雄は宏池会派閥の池田勇人・大平正芳・鈴木善幸・宮澤喜一・加藤紘一・古賀誠を裏切った忘恩の徒>

 人間らしい人間、いい人間が政界・言論界に現れない。電通に羽交い絞めされてしまっているのであろうが、たかだか広告屋・カネに首を絞められる人間だけであろうか。

 いま新たな「忘恩の徒」が加わった。宏池会の歴史と伝統を破った岸田である。渡辺に屈した可能性を否定出来ない。宮澤喜一が政権を担当する時にも渡辺は「改憲をやれば支持する」と毒饅頭を差し出した。宮澤は相手にしなかった。その後に小沢一郎らのまやかしの小選挙区制に屈してしまったが、宮澤は宏池会の伝統を死守した。今を生きる古賀誠の無念はいかばかりか。

 宏池会を裏切った岸田の前途がどうなるのか、主権者はしかと監視と反撃をしてゆく責任を、憲法上負っている。忘恩の徒に食いつぶされる日本にしてはなるまい。強く警鐘を鳴らす所以である。

2023年1月26日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

岸田文雄の施政方針を斬る!<本澤二郎の「日本の風景」(4695)

<戦後最悪の独裁!戦争準備43兆円で確実にアジア危機到来>

 1月25日は未明から大寒波襲来というので、事前に灯油を買い入れていたのだが、実際は台風並みの暴風も加わった。家の周りの物が飛ぶ被害を受けた。人間と自然も予報を間違えると、とんでもないことになる。いわんや人と人、国と国になると、殺し合い(戦争)が起きる。武器弾薬がなければ外交という武器を使えばいいから安全だが、相手を攻撃する武器を持つと、戦争を回避することは出来ない。


 理由は戦争で大儲けをしたい死の商人が控えているからだ。彼らこそが政治権力に接近し、周辺国との緊張を煽り立てる主役で、官僚や政治屋にまとわりついている。日本では死者の霊を祀る?巨大な靖国神社が存在し、次なる死者を待ち構えているかのように、戦争憲法にしようと画策してきている神社本庁日本会議も暗躍している。最近までは安倍晋三がそのトップ、後見人が森喜朗や小泉純一郎ら自民党清和会という最右翼派閥だったが、いまでは岸田文雄がその地位に座り、大軍拡・戦争準備の2023年度予算案を国会に提出、自ら施政方針演説を行った。


 神社本庁日本会議と統一教会+創価学会のカルト教団が足場を固めていて強固である。43兆円大軍拡に隣国は、日本列島のや米軍や自衛隊基地・原発にミサイルの照準を合わせていると推測される。

 日本の危機はもう10年も続く。特に2022年危機到来に身構えるしかなかったが、7・8安倍銃撃事件で安堵した国民は多かった。だが、2023年はより具体的な形で大波乱が待ち受けている。

 日本国民がゆでガエルから目を覚ますかどうか。戦後77年にして、戦後史上最大最悪の危機に立たされている。既に世論調査から5割から6割の国民は、岸田の戦争準備に反対している。

 野党が昼寝している状態でこの数字である。世界最高の報酬に満足している国会議員の様子が気になる。足尾銅山鉱毒事件で決起した田中正造のような人物は、まだ見えない。大日本帝国憲法下でも反軍演説の斎藤隆夫がいた。なぜ、国会議員は惰眠をむさぼっているのか!


<子や孫を思う老人たちは既に決起している!>

 この世に子や孫のことを考えない人間はいるだろうか。確か自民党や公明党、さらに維新や国民新党、立憲民主党の一部かすべてにいる。

 43兆円大軍拡は、アメリカのような軍事経済による武器の輸出で暴利を得ようとする財閥の悲願である。彼らは国民らしい国民で構成されてはいない。平和主義者は、まず一人もいない。戦争経済で血税のすべてを吸血鬼ドラキュラのように呑み込もうとしている強欲な悪魔の軍団である。

 戦争憲法に改悪することが、彼らの悲願だが、それが無理だと分かると、43兆円の大軍拡という既成事実で、事実上の改憲を強行しようとしている。その先頭に立ったのが岸田という安倍に次ぐ第二の悪魔人間であろう。


 一見善人の顔を持つ岸田、護憲リベラルの宏池会派閥に期待をかけているのは、いうまでもなくカルトの原始宗教・神社本庁日本会議である。いかにも自然豊かな森の中に身を潜める白装束の軍団と、東京・新宿の信濃町を制圧した創価学会公明党である。不気味なカルト教団と日本のカネを収奪する財閥の共闘に対して、人びとはようやく注目するようになってきている。

 こうした事実と政治環境を新聞テレビは報道しない。電通の仕業である。歴史を知る老人たちは、既に決起している。


<既成事実に弱い国民を愚民と称して事実上の改憲強行=覇権国狙い・アジアを火薬庫へ>

 電通が羽を伸ばしている日本は、あまりにも危険すぎよう。43兆円大軍拡の構想は電通の仕業に違いない。死の商人のための悪魔の道を切り開いている国策企業である。

 日本の軍国主義完全復活を狙うしたたかな手口は、満洲国以来ずっと継続してきたのだろう。日本国民を愚民と認識し、既成事実に屈する民度と判断しての43兆円策であろう。

 その先にインド太平洋での覇権国の野望がのぞく。そのための目下の中国・ロシア退治作戦との指摘は、あながち空論ではない。アジアを火薬庫にする策謀は、かならずや破綻するだろう。賢明なる日本国民は、その前に太い釘を刺すしかないだろう。


<異次元少子化対策に隠された悪魔の陰謀>

 戦いの駒にされるのは、きまって貧しいが、賢明に生きている子弟である。少子化対策に奔走する右翼の面々の陰謀は、戦争の駒を確保する点にあろう。ズバリ靖国神社向けの青年の確保である。

 特に男子の教育に翻弄されている家庭は、異次元少子化対策という、いかがわしい策略に疑問を抱いている。アメリカでは黒人の若者が真っ先に投入される。弱者貧者の若者を餌食にする作戦を、安直に喜んではいられない。賢明な日本人は理解できるだろう。

 以下は、電通の大株主の通信社が報道した岸田の施政方針についての抜粋記事である。

 首相は各政策課題の中で「防衛力の抜本的強化」を最初に取り上げ、2027年度までの5年間で43兆円の予算を確保し、反撃能力(敵基地攻撃能力)保有や南西地域の体制整備に取り組むと説明。新たな安定財源が毎年度4兆円必要になるとし、行財政改革で3兆円程度を捻出しても不足する約1兆円について「将来世代に先送りしない」と訴えた。ただ、「増税」など直接的な表現は避けた。
 今回の防衛力強化を「安全保障政策の大転換」と指摘。同時に、非核三原則や専守防衛の立場は「いささかも変えるものではない」と強調した。

2023年1月25日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

松本英子の生涯(下)<本澤二郎の「日本の風景」(4694)

<「自由の天地」で非戦の思想を叫ぶ大和撫子=死の直前まで日米語で非戦原稿和歌など書きまくるペンの鬼>

 この父ありてこの子ありか。ともかくすごい女性が、我が家から歩いて10分ほどに住んでいた。地方の漢学者の父のもとで四書五経をそらんじて神童ぶりを発揮するや、上京して洋学者の津田仙のもとで英語とキリスト教に出会った。儒学を学んだ孝行娘は、母親が体調を崩すと、アメリカから湯たんぽを送るというきめ細やかさも見せていた。筆者も気付いて1年ほど休憩していた湯たんぽを取り出し、大寒波予報に備えて今朝を迎えた。


 足尾銅山鉱毒事件で生死を奪われる30万農民の悲劇をとことん叩いて叩いた英子は、天皇ファシズムに襲い掛かられ、日本で生きる場を奪わられると、まるで亡命するかのようにして英語圏で自由の叫びを爆発させるべく、悲願の渡米を果たした。40歳ごろか。彼女の英語力に敬服した事業化の永井元との再婚が42歳。主に西岸都市サンフランシスコを拠点にして、まずは米国の大学を実力で正式に卒業すると、昂然と非戦の叫びを爆発させていく。時は第一次世界大戦で、戦争気分に浮かれるアメリカ社会に警鐘を鳴らしていく。

 まるで生きられる時間を承知しているかのように、きりっとした聡明な日本夫人は、夫の保険事業を手伝いながら、寸暇を惜しんで思索し、それを活字に残していった。その数は計り知れない分量だ。英子が62歳で亡くなった後、夫がそれを整理して出版したことから、彼女の米国時代の詳細を「松本英子の生涯」として、身内の小説家・府馬清(本名・松本栄一)が精査し、そのごく一部を紹介している。

 日本語も十分ではない凡人ジャーナリストは、ひたすら頭を垂れるほかない。昨日も英子の父親・貞樹の墓前に立ってみた。英子もここで最後の別れをして渡米したのだが、母親ふさ子の別れの歌が、彼女の墓石に刻まれているというが、確認できなかった。

 一筋に思い立ちたる旅なれば 八重の潮路も神や守らん


 ちなみに茅野村近くをのどかに走る久留里線は、木更津―久留里間の開通が1912年(明治45年)。したがって英子が茅野村と最後の別れをしたときは、まだ鉄道は走っていなかった。東京からの往復だけでも大変だった。「女子に学問は不要」の時代に英子は、既に東洋と西洋の学問と言葉をマスターし、特権階級のための華族女学校の教壇にたち、次いで女性新聞記者第一号となって、日本最大の鉱毒汚染に泣く渡良瀬川の30万農民の救済キャンペーンうぃ始めた。当時として最高の知識と頭脳と倫理観でもって、今も変わらない強欲な財閥に殺されていく貧者の群れに、鉄のペンで決死の戦いを挑んだ英子の人間愛に感動しない人間はいまい。


<第一次世界大戦から非戦主義を命ある限り叫び続けた英子>

 1917年(大正6年)、米国はドイツに宣戦布告する。第一次世界大戦(1914年)に参戦、旅先のニューヨークで数万の義勇兵の市中行進に市民は浮かれていた様子に驚く英子。戦争で人が死ぬ、国家が殺し合いをすることに誰が浮かれて居られようか。英子の非戦の詩や文章が炸裂する。

 彼女の非凡な才能が開花する。他方で、病がじわじわと体をむしばんできている。近代の合理主義者は、キリスト教をカルト・狂気と認識していない。神にすがって長生きしようとの架空の精神世界に自己を追い込もうとはしないことが、彼女の日記や詩歌で分かる。理性で信仰を見ていたのであろう。誰人も運命に逆らえないとの覚悟を感じる。


 1918年の「ああ戦争」という詩は、在米婦人新報に発表している。彼女のそれは、日本で有名な日露戦争時の与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」を明星に発表したことに似ている、と著者は指摘する。むろん、日本では天皇ファシズムの制約がアメリカにはないという事情もあったが、彼女は存在する戦争反対ではなく、戦争そのものを根底から否定する非戦の思想である。思想家としての思索の深さを感じる。

 15本も発表した。「ああ戦争」の詩文を抜粋すると「互いに刃を交えて斬りあい 突きあふのみかは 一つの恐ろしき機械もて 一度に多くの生き血を奪い合う」「かくては宗教も教育も はた平和の同盟も何の甲斐がある 人間と生まれつつけだものにも等しき あらくれたることをもて誇りとする」「文明の利器は空しく血を流す凶器となり」「愛国と愛家との 雲と水とのへだたりよ」「なで野蛮の太古を学びて 共に血を流しあふぞ」「平和の国よと思ひしは 昨日の夢」「ああ かくて楽しきホームよ いま何処?」


<アメリカ政府を真っ向から批判し続けた松本英子の正義>

 「全世界の非戦記念日」という随筆では、冒頭からアメリカという軍事強国を非難している。「我らが、最も痛切に感ずるは、米国の他国に対する態度である。富と力とを以て世界に覇たる米国が、如何にその権力を濫用せんとするか。

然してこれを直言せんとするものは、識者の中にほとんど雨夜の星の如くである」

 今の岸田内閣の日本にも当てはまるだろう。43兆円の戦争準備に対して、新聞もテレビも真っ向から批判しない。電通に反撃できないマスコミだ。日本の識者はモグラのように隠れてしまっているではないか。英子の慧眼は、いまの日本の識者・政党・議会・司法への痛烈な批判でもあろう。

 「米国が現在の軍事費は如何に莫大であるよ。世に冠たる物質上の豊富ありながら、常に猜疑の眼を以て小国の挙動を嫉視する。真に大国の有すべき態度と寛容とを欠く」

 ワシントンに対する鋭い指摘に誰もが頷く。日本の為政者は松本英子の叫びに耳を傾け、行動に起こすべきだろう。ロシアとウクライナ双方、そして背後のアメリカ中心のNATO諸国の暴走に歯止めをかける時ではないのか。

 英子の指摘は、今のワシントンに対しても通用する。このようなワシントンに追随する日本の岸田内閣を誰が信用できるだろうか。日米安保の破棄が不可欠というべきであろう。


 当時、アルゼンチン・ブラジル・チリ―の三国は、陸海軍を排除していた。日本の9条国家である。いまコスタリカはこれを踏襲して、人びとは安全に生活している。英子は軍備全廃を訴えている。そのための力の源泉を「婦人の力」だと呼びかけている。


<非戦は婦人が結束して立ち上がれば必ず実現する!>

 「婦人の力大なり。婦人は平和の使者である。婦人が結束して立ち、この使命に率先猛進するの精神を奮い起こさば、この希望は希望にとどまらず、必ずや実行の日を見るであろう」


 非戦主義(その二)「(人間の悪い習慣を)改めるには、根本的に何千年の習慣や信仰を改め、先ず教育の第一歩として、幼児より戦争の害とその毒、其の惨、その非人道なることを、柔らかき頭脳に打ち込まねばならぬ」「予は決して今日の米国の教育法を完全と思わぬ。むしろルソーの教育法を取り学ぶべしと信ずる。来たれ、非戦の日、世界の武器、ことごとく焼かれよ」

 

<再び鎌首をもたげた日本の国家神道と財閥で歴史の繰り返し!>

1945年に日本は敗戦、その後に武器弾薬完全放棄の9条憲法が誕生したが、まさに日本は若者や市民が大量に血を流して敗戦した。それによって武器全廃の非戦国となった。しかし、A級戦犯の亡霊徘徊よろしく、再び軍事大国の覇権主義の国になろうとしている。アメリカの策略だと一部の専門家は言う。違う!日本の財閥と原始宗教・国家神道による戦前回帰の大野望にある。

 英子の夢は戦後77年にして元の木阿弥になろうとしている。世の識者は曇り空の星のように、人々の前に姿を見せない。言論界・政界・経済界・司法界も沈黙している。英子の非戦の叫びは、人類の悲願であることに変わりないのだが。

2023年1月25日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

松本英子の生涯(中)<本澤二郎の「日本の風景」(4693)

<女性記者第一号・反骨ジャーナリストとして足尾銅山鉱毒事件追及>

 近くで津田仙の娘・梅子の恵まれた環境での相次ぐ訪米を横目で見ながら、松本貞樹の娘・英子も華族女学校で教鞭をとりながら、東京高師女子部を卒業した。その後に東京女子高等師範学校と改称されたお茶の水女子大の前身だ。当時では女性にとっての最高学府。文明開化の到来とはいえ、女子の教育はごく一部の特権層に限られていた時代、上総国望陀郡茅野村出身の松本英子が、築地海岸女学校(青山学院大学の前身)なども卒業し、華族女学校で教鞭をとるなど想像を絶することだった。


 若くして漢学・日本語に精通していた英子は、米人宣教師と共にキリスト教聖歌集を出版している。英子26歳の時、外務省翻訳官・家永豊吉と結婚し、一児をもうけたが間もなく家永家が破産し、一家は路頭に迷い、バラバラになってしまう。その原因を著者の府馬清も不明としている。

 そのころの1900年ごろ、彼女は新たな人生に船出した。当時の毎日新聞記者になった。現在の毎日とは異なり、優れて進歩的な新聞で大手の仲間入りしていた。彼女は日本で最初の新聞記者第一号となった。

 キリスト教の影響か、近代合理主義を体得していた証拠ともいえる。彼女は日本の政商・財閥と対決することになる。権力に屈しない、正義の塊である反骨のジャーナリストよろしく、日本の公害第一号の足尾鉱毒事件の取材に身を投じた。筆者の大先輩が足元の「茅野村」に存在したことに、何かしら因縁を感じさせられる。


<鋭い現地ルポ記事に犯罪的財閥・古河鉱山も明治政府も悲鳴>

 戦前の政商は、それ自体が構造的な腐敗体質を意味する。戦争を機に政商は財閥化する。古河財閥が経営する足尾銅山による大地と生き物を殺しつくす鉱毒事件に突っ込んでいく英子の姿は、普通の女史には到底考えも及ばないことだったろう。

 毎日新聞の編集方針も英子に勇気を与えた。抽象的な報道に甘んじていた当時の新聞は、いまの電通支配に甘んじて真実を報道しないナベツネの御用新聞を連想するしかないのだが、英子は毎日新聞を拝借して国民に覚醒を求めていく。

 大英帝国の尻馬に乗って清国との戦争、ついでロシアとの戦争特需にのめり込んでいく明治天皇を後押しすることで、莫大な利益を上げていく財閥・古河鉱山にブレーキをかける議会人は、地元の悲惨な事情を知る田中正造くらいだ。田中の天皇直訴事件はその先だが、英子は足尾に何度も足を踏み入れ、鉱毒により家屋敷や田畑も無くなって生きるしかばねとなっている、まさに棄民を強いられた住民の生々しい声を活字にした。しかも、大連載で世論を動かそうとする反骨ぶりに圧倒される。

 この時の清流・渡良瀬川が古河銅山の猛毒に覆いつくされる様子や、対抗する英子の勇敢な新聞記事の一部を著者は紹介している。

 

 現地入りした時の現地の様子を「驚くのは2、3日いた内に僅かに高地の1、2箇所のほかは、鳥の声も聞かぬ、虫の声も聞かぬ。魚も見ぬことである。被害地の人民が、誰もかれも顔青ざめて殊に眼病とか胃病とか虐病とか、甚だしきに至っては死亡者、盲目者出で、寄留、行方知れずの者、狂者など非常に多いので」「死んでもこれを弔う僧の居所もないありさま、実に激甚地と言わずにおられようか」「この恐ろしい原因は何であろう。この哀れな有様は何から来たのであろう。この罪なき民は何とてかくまで苦しまれるのであろうぞ」


 野沢和吉さんという54歳の盲人との対話では「一人で寂しかろう。不自由であろう」「はい、元からこういうありさまではありませんでした。以前は家もあり、地面もあり、ご存知の通り、鉱毒以来この地は私ばかりでなく、皆元の風はありませんが、私などは眼は見えませんが、幸い体の丈夫なお陰で、どうにかこうして参りますから」「お前さん、一人ではどんなにかお困りだろうから東京に来なされ」「へい、ありがとう存じますが、矢張り住みついた処の方が安心でございます」


 松本勝造さんという40歳の家を訪ねた時の英子の記事。「妻のおくまは43歳だが、どうしても60以上の老婆に見える程苦労に老けてみえる。おくまは「鉱毒の前はね、田地も2町歩余持っていやしたが、鉱毒で今は一反もなくなって、何にも取れなくなってしまって、食うことも出来なくなったもんだから、亭主は気がヘンになりやんした。毎日なにも取れねい取れねいといって、おこって、方々を泣いて歩くんでやす」

 「泣きつつ語るお袋の窶れやつれて糸のようになった骨と皮ばかりの膚から出ているしなびた乳に縋って泣いている赤子を騙しながら、くまがいうのは、こうして乳にくっついでいるやんすが、乳がでねいで難渋でやんす」このあとに「医者にかかるどこのこっちゃねえ」と続く。

 今も涙無くして読めない。英子の文才に脱帽である。


<背景に日清・日露の戦争と政商・財閥の暴走が侵略植民地戦争へ>

 もう誰もが理解できるだろう。明治が推進した戦争である。民がその被害者だ。自然も。生きとし生けるものすべてが戦争の犠牲者だ。ひとり古河市兵衛ら財閥が暴利を懐に入れるシステムは、この後に大陸や半島への侵略と植民地支配、そして日独伊の三国同盟から日米戦争へ突き進んで、原爆投下とロシア参戦で明治の天皇制国家主義は破綻する。


 それでもいま再び神社本庁日本会議と自公内閣+維新と立憲と国民の民主党は、国家神道復活と改憲へと戦争準備を開始した2023年である。財閥と軍閥は敗戦後まもなく解体されたが、いまや完全に復活した。戦争体制構築のために国家神道復活を目論む神社本庁と日本会議に屈してはなるまい。歴史は繰り返すものだ。


<激しい批判記事に官憲が英子と新聞社に襲い掛かる!>

 松本英子編の優れて貴重な足尾銅山鉱毒事件大連載は、明治大正昭和にかけての一大最高傑作であろう。いま彼女ような不屈の言論人は存在しない。

 筆者が指摘した2022年の危機はことしさらに本格化する。戦前の近衛内閣の大政翼賛会の21世紀版は、既に実現してしまっている。せめて日本共産党とれいわ新選組と社民党の鉄の結束で、財閥とカルト政党と日本会議の野望をぶちのめす必要があろう。そうでないと日本は同じ愚を繰り返すことになる。


 毎日新聞も英子も官憲の弾圧に悲鳴を上げることになる。英子が自由の天地と思い込んだアメリカへの脱出である。彼女の生きる武器は、不滅の勇敢な正義のペンと才能豊かな語学力だった。日本の近代とされたイカサマの国家に、彼女の才能を生かす場所はなかった。あえていうと、それは現在も、であろう。


<「自由の天地」憧れのアメリカ行き決断・茅野村との決別>

 英子の覚悟の人生は、津田梅子を傍らで眺めながら抱いてきた「自由の天地」と信じ込んできたアメリカへの旅立ちだった。その直前に故郷・茅野村で待ち受ける賢母・房子と亡き厳父・貞樹の墓前に「行ってきます」という最後の別れの挨拶だった。

2023年1月23日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)


<恐ろしや安倍の伊勢神宮に次ぐ岸田の厳島神社G7サミット>

広島サミットでは各国首脳が初日の519日に平和公園と資料館を訪問する方向で調整が進んでいるほか、世界遺産・厳島神社のある宮島で会議を開催する方向で検討されています。


松本英子の生涯(上)<本澤二郎の「日本の風景」(4692)

<偉大な人物ほど多くの人・社会に知られずに生涯を終えていく運命か>

 旧暦大寒の季節だ。アジアの人びとは、今も旧暦に従って行動している。東洋の天文学者は誰だったのか?数千、数万年以上かけた実証的データの集大成に違いない。いま東南アジアから大陸・半島の人びとは、春節を祝って巨大な人間の束となって、コロナ禍をものともせずに大移動している。房総半島の中心のわが木更津市は、大寒・春節に梅の蕾が赤みを帯びてきている。蠟梅は一足先に黄色い花を咲かせている。春節とは、人々を本当の正月の気分にさせてくれる。

 だが、筆者の心は重く暗い。気分が晴れない。原因は我が郷土・茅野から生まれ育った「松本英子の生涯」を読み終えて、改めて世の中はいい人間ほど社会が認めようとしなかった事実と、偉大すぎる英子を4,5歳で四書五経、大学という中国の古典を学ばせ、幼くして書家として歌人として、さらには今の「津田塾大学」を創立した津田梅子以上の実力を備えさせたにもかかわらず、62歳の若さで米サンフランシスコで才能を発揮することなく人生を終えねばならなかった悲運に圧っしられたせいだ。


 昨日、寒風の中、英子の父親・松本貞樹の墓石の前に立った。身内の人が、「松本英子の生涯」(昭和図書出版)を世に送り出した府馬清(本名・松本英一)の墓石も教えてくれた。江戸末期から明治を生きた開明的漢学者の貞樹は、自宅のそばに寺子屋を開き、近隣の子弟を教える傍ら、そこで幼少の娘を男並みに英才教育を施し、幼くして書家・歌人の才覚を開花させた。彼はさらに、上京して娘を津田仙のもとへ預けた。そこで英子は英語とキリスト教と出会うことにもなるのだが。


<「松本英子の生涯」(府馬清著)を読み心暗く歯ぎしりするばかり>

 中国の古典をそらんじた英子は、一つ年上の津田梅子と出会う。彼女は文明開化の東京でいち早く注目を集めていた。彼女は機会あるごとにアメリカに旅立ち、多くを学んでいた。傍らでそんな梅子を眺める英子は、いつか自分もアメリカに行ってみたい、と希望を膨らましていく。

 著者の府馬は、英子と直接対面する機会はなかった。英子の父・貞樹は1820年生まれ、英子は1866年生まれ、府馬(本名・英一)は1922年生まれだ。しかし、晩年の英子は日記を書いた。病にもめげずに書き続けていた。

 ずば抜けた俊英の上に衰えることのない向学心は、亡くなるまで続いた。生涯勉強の人だった。才能と向学心の英子の精神は、平和を愛する人間性の塊だった。貧者の救済活動は、人の務めと思い、それを信じ込んでいた。これには彼女がメソジスト教会と関係を持ったこととも関係があるかもしれないが、それ以前の中国古典の最高峰である四書五経の教えとも合致していた。

 今日の日本人の多くは、為政者を含めて事業者・労働者・年金生活者ともども、誰が喝破したものか、今だけ、自分だけ、カネだけの腐敗の渦に巻き込まれて久しい。もっとも優雅な財閥は、依然として強欲な存在として、その恥ずべき代表者として政治を操っている。

 戦争を禁じた日本国憲法さえもないがしろにする政府自民党と、それに連なる野党が、世界一の報酬を懐に入れて、ゆでガエル人生に甘んじて覚醒することがない。敗戦から立ち上がり、独立国になったはずだが、実際は戦勝国アメリカの属国に甘んじ、これを当たり前にしている日本人である。


 英子が今の日本とアメリカの事情を知ったら、おそらく発狂するに違いない。 


<62歳の若さで亡くなる寸前までフランス語とスペイン語を勉強>

 70年代の日本の永田町では、英語使いの宮澤喜一の評判が悪かった。東大の先輩は、後輩に英語を使うなと指導していた。宮澤英語は、父親が国会議員として海外の国際会議に参加した時、英語が分からなくて悔し涙を流した。帰国して「息子たちに英語を勉強させなさい」と妻に指示した。

 宮澤は米国人の家庭教師から、生きた英語を取得した。彼の英語での電話のやり取りを、宮澤事務所の目撃した筆者はひどく驚いたものだ。彼はフランス人からもフランス語を学んでいた。これまたびっくりだが、英子もまた東京で生の英語をマスターして、40代で訪米して夢をかなえたが、それでも米国の大学を卒業し、それで満足せずにフランス語とスペイン語をマスターしようとしていたというから、すごいの一語に尽きる。


 筆者は同窓の知り合いが、大学3年もしくは大学4年の時に司法試験に合格したことに驚いた。最近も在学中に合格した知り合いに、どのような勉強をしたのかと聞いてみると、やはりあっけにさせられた。「2年生になって研究室に入ると、そこで法律書と共に毎日毎日食事以外は、そこで本を読んだ。学校の授業に出ることはなかった」といった。

 仰天するような勉強ぶりに目を向けられなかった自分を誉めるしかなかった。このようにして判事、検事、弁護士になった人間が、果たして世の中の事件や人々の争いを公正に解決できるわけがない。ヒラメ判決・ヒラメ検事と金儲けの弁護士ばかりの司法で、人びとは泣かされることになる。英子は違った。 


<数え切れないほど詩歌を詠む抜群の才能に脱帽>

 英子は日記をつけたし、日系新聞によく原稿を書いた。最後の記事は、亡くなる寸前に記事を書き終えて、新聞社に郵送、それが遺稿となった。語学力と作文力と数えきれない詩歌を各国語で書いていた。

 夫が英子の死後、それを日本語関係をまとめて出版した。府馬の本は、ここから原稿を書いたものである。彼女の無数の記事や様々な文章・歌は、いまも眠っている。明治から大正、昭和初期を生きた松本英子の本格的な研究が待たれるところである。

 郷土の大先輩の隠れた偉業に対して、深く敬意を表したい。彼女の父母の墓地は、我が家から歩いて10分。苔むした貞樹の墓石は高さ2メートルほどある。「女子に学問は不要」の時代に娘の才能を見つけた夫妻も立派だった。芽を出すこともなく、しかし本物の偉大な人物が生まれていたこと、その人を見いだせなかった日本に哀れさを感ぜずにはいられない。

2023年1月22日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

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