2019年09月

記録15号台風と防災ゼロM地帯(中)<本澤二郎の「日本の風景」(3440)

<情報遮断の恐怖と生活基盤の破壊の恐怖>

 冒頭に、日本の今は、悲しいかな韓国と異なる。司法の独立はない。したがって、あの恐怖の311東電原発爆発炎上による放射能大汚染重大事件の、加害者である経営陣に対して、919日東京地裁は、無罪判決を出した。悪しき裁判官は、最高裁判事候補になるだろう。安倍・日本会議に忖度するのは、官僚だけではなかった。いずれも法に携わる憲法違反の面々である。


 再び、台風15号被災地に叩き込まれた筆者は記録する。死の恐怖から生還したものの、安堵することができなかった。情報遮断の恐怖が襲ってきた。


 中古の耕運機を保管していた小屋は、消えてなくなっていた。道路に面した直径20センチほどのヒノキが電線に倒れていた。中曽根康弘が愛用した東京・多摩の日の出山荘の、柚子の木をまねて育てた樹齢40年の、我が家の柚子の大木4本が、西側に倒れかけて、根っこの半分が浮き上がっていた。無事に、生き延びさせることができるのか?

 家庭菜園の壊滅もいたい。


 この惨状に北京から来た妻は、台風が去った9日午前、半狂乱のようになって、知り合いの家に駆け込んでしまった。深刻すぎる問題は、停電による情報遮断の恐怖である。

 もともと公共放送に値しないNHK嫌いだから、テレビはないのだが、その分、パソコンと携帯電話に頼り切っている。いつ電気が復旧するのか、これは死活問題だ。朝から、残り少なくなった充電の携帯を駆使して、東電に繰り返し電話しても通じない。もうこのことだけで、権力監視の精神が壊れてしまいかねないのだ。


 午後3時過ぎ、木更津市役所富来田支所に押しかけた。驚いた。そこは電気がついている。パソコンも使っているようだった。しかし、3人のスタッフは、肝心かなめの東電の様子を全く知らなかった。知ろうとさえしていなかった。

 市は災害対策本部を立ち上げて、市内の被災状況をつかんで、それを市民に発信しているはずなのだが、それさえも無関心を装って、掌握していなかった。住民は承知しているのか、支所の窓口には筆者のほか、もう一人被害を受けた女性が何かを叫んでいただけだった。


 ここの住民は、役所に何も期待していない、しても無駄と思い込んでいるのだろう。民主主義が壊れているのだ。

 この日午後、支所近くの高野歯医者を予約していたので、念のため、立ち寄ってみた。玄関には、停電のため休診の張り紙が出ていた。自家発電機能は、支所だけで、病院にはなかった。

 夕刻にも東電に、残り少なくなった携帯を使って、かけてみたが無駄なことだった。街路灯のない田舎道は真っ暗闇だ。台風の渦中に使用して、残り少ない一本のローソクで、何かをお腹に入れると、太陽の沈むに任せてベッドに横になった。それこそ年寄りの夜中の便所も、辿り着くのに大変だった。


 この場面で、ようやくこれは甘くない、大変なことになる、と肌で感じさせられた。停電はすぐ復旧するとの、これまでの観念を放棄するしかなかった。


 第一、こんなに長い停電を経験したことがない。せいぜい半日もすれば、回復するということに慣れさせられてきた人間である。電気のない生活は、幼いころの台風で、何度かランプ生活の記憶はあるのだが。


 この20年はパソコン情報を頼りに生きてきたわけだから、停電は致命傷である。この場面で携帯はおろか、固定電話も使えなくなっていた。茫然自失だ。しかも、ゆだるような暑さである。水シャワーとプロパンガスが、かろうじて命を支えてくれた。水が止まって、水浴びも水洗便所も使えない被災者の無念は、いかばかりであったろうか。


 停電2日目の10日、子供たちが心配して来訪。近くの神社から、神社の倒れた杉の下敷きになっていた小屋を見つけてきたが、アルミの骨組みとシートが破損していて廃棄するしかなかった。彼らは、熱中症を心配して早めに引き上げた。聞けば、途中の道路に信号がない。コンビニにも何もないということに驚く我れに驚いてしまった。一難去ってまた一難、事態は深刻なのだ。


 君津市山本の波多野さんが「高圧電線の鉄塔2本が倒れている」と教えてくれた。停電の原因の一つを初めて知った。幸い、息子がローソクをたくさん購入してくれたので、これで夜を過ごせると安堵。さらに高圧鍋で、おかゆが作れるというテストにも成功した。


 3日目の朝、太陽が昇る前に起きてしまった。台所の窓から、近くの街路灯がついているのに飛び上がった。切っておいたブレーカーを入れると、冷蔵庫が始動した。助かった。これで冷凍庫の食材も助かった。万一、遅れると、すべて廃棄しなければならなかった。不幸中の幸いである。牛乳は熱を加えて飲んでいたのだから。報道されていないが、食中毒にかかった被災者がかなりいたはずである。


 <今20日午前720分、また停電である。停電は3度目だ。まだ完全ではないのだ。くやしい。パソコンも送信できなくなる。電話も使えない。携帯はしばらくは大丈夫らしい>


 妻が熱中症なのか?寝込んでしまった。新たな心配と不安である。ものすごくよく働いてくれた妻である。クーラー不在が原因であろう。

 それでも、運のよい地区だったらしい。ところが、電話も携帯もつながらない。いわんやパソコンも使えないのである。どういうことか?依然として情報遮断の恐怖との戦いが続く。多くの高齢者はパソコンを使えない。


 筆者は息子に教えられて、文字を打つことができるようになった。そのおかげで、政治評論を継続、発信できるのだが。だから余計にストレスがたまる。このような事態を当事者として体験すれば、若者でもこの苦痛を理解できるだろう。


 夜中に突然の来訪者である。誰か、不信が先走った。玄関を開ける前に声をかけて確かめた。なんと青木愛参院議員の名物秘書で、やくざに動じない日景秘書が、若い運転手と共に、コンビニ弁当を二人分たっぷり差し入れてくれたのだ。これには仰天してしまった。災害の被災者体験は初めてだが、そこでの差し入れを受ける自分に驚いた。


 翌日の4日目には、彼を紹介してくれた八千代市の青柳さんまでが、心配して来訪、非常食のスープを置いていった。人にペンで同情することはあっても、およそ同情されることは、息子の医療事故と同事故死、妻の後追い死でも、あまり経験がなかったものだから、やはり情の人間はそうした行為に、ひどく感激するものである。


 彼は近くの児童福祉施設の「野の花」には、60食の弁当を持ち込んだという。


 今回のひどい被災地は、館山や南房総であるが、彼は災害3日目から現地を訪れて、住民に寄り添って大汗を流していた。たとえそれが彼の仕事だとしても、立派である。永田町で人事などで一喜一憂、飲み食いしている与野党議員に比べると、実にすばらしい。現に、この時点で、地元の知事も市長も何もしていないのだから。


 日景秘書に刺激されて、さっそく近くの江澤・池田・小倉の三君に被害の様子を尋ねながら電話をかけた。大変なのだが、何とかやりぬけてくれるだろう。 君津市望井の石渡幾代子先生は、中学校の英語の恩師である。

 「これから娘のところに行くところ。屋根瓦の破損に近所の人がブルーシートをかけてくれた。電話をもらって本当にうれしかったよ」と何度もお礼の言葉をかけてくれた。被災時の電話は、人を奮い立たせる効果があるものなのだ。これは大事な、大事な、意外に気づかない教訓である。しかし、電話や携帯がつながらないと、それもう可能である。


 鴨川の斎藤俊夫・新倉社長は「息子と屋根に上ってシートをかけたよ」と言いながら、友人の電話に感謝してくれた。


 震災9日か目に停電から解放された、家の近くの兄と弟のことも知った。うれしいことに妻が、最初に好物のチャーハン、続いて赤飯とおいしい焼きうどん差し入れた。

 お返しに弟は、昨夜新米を7キロも届けてくれた。今朝、停電の前に2合ほど炊いた。おいしい新米に納豆、それに農家の柴崎にいただいた生姜を、味噌につけて食べようと思う。この連載は、震災被害無縁の人たちへの教訓として記録している。明日あと一回、政治論としての記録をする予定である。

2019920日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

記録15号台風と防災ゼロm地帯(上)<本澤二郎の「日本の風景」(3439)

<木更津市で感じた「死の恐怖」の房総半島>

 過去の台風被害をさかのぼると、1959年の伊勢湾台風に辿り着く。豪雨と強風が重なって、戦後最大の被害をもたらした。多少の推測を交えると、今回の2019・9・9の15号台風も、風速・風力で、伊勢湾台風に相当、もしくは上回っていたろう。断言したい。


 住宅の周囲の環境で異なるが、まともに強風・突風を受けた瓦屋根が破壊された。吹き飛んだ瓦も少なくなかった。地震に弱い瓦屋根は、風に強い。その強いはずの瓦が、強力な風で浮き上がり、家の中に雨水を呑み込んでしまった。


 グゥオーンという、空中から大地に周期的にたたきつける、初めて聞く、耳をつんざく風雨の轟音を、正確に表現できないのが悔しい。

 深夜の午前2時前後からである。ほとんどの住人が、ものすごい大気の移動による不気味な轟音に、寝床から起き上がった。


 轟音の合間に、ザーッという大量の雨が大地をたたきつける。超がつく強風・暴風雨である。小さなソファに座った。30分ほど辛抱すれば、静かになるはずである。従来、経験した首都圏の台風のすべてがそうだった。

 期待外れだった。午前3時ごろ、電灯が消えた。あまりのすごさに、発電所が送電を止めたのだろうと思った。


 急いで懐中電灯を探して、仏壇の前に走った。住宅の整理中、一本のローソクのあることを覚えていたのだ。あった!プロパンガスに点火して、今世紀初めてのローソクで部屋を明るくした。


 グゥオーンという、地獄から吹き上げるような轟音に生きた心地がしない。そのはずだった。わが埴生の宿は、世間様のがっしりとした家ではない。なんとなんと、揺れている!地震での揺れは、日常茶飯事の房総半島である。


 近くの丘のような低い山坂には、海岸にある砂と同じものがある。貝殻も交じっている。かつての海が隆起した半島なのだから、地震は当たり前といっていい。実は、日本列島すべてが火山帯なのだ。


 そこに被爆国でありながら、核の原子力発電所を54基も建設した中曽根康弘らとそれを宣伝してきた読売グループ・通産官僚に、人間性がひとかけらもないことがわかる。防災ゼロメートル地帯の日本を象徴している。


 家が揺れて生きた心地がしない。家ごと吹き飛ばされて、一巻の終わりとなるのか。本気でおびえてしまった。人間は自然によって生きる、生かされている。工業化で自然を破壊してしまい、いまその仕打ちを受けているのであるが、突然の暴風雨に、無事に耐え抜くことができるのかどうか。


 住宅の窓サッシは交換してまだ数年である。外からの風を遮断する力はある。それでいてローソクの炎が揺れている!このことも恐怖を、いっそう増大させた。初めて経験する死の恐怖である。


 この世に神仏はいない。いるという宗教は存在して、一部の人たちを誑し込んで、所詮は金集めをしている。識者はみな知っているが、それでも神仏に身をゆだねる庶民はいる。それも生きるか死ぬか、という場面では、人が何かにすがろうとする気持ちを、だれも止めることはできない。むろん、それでどうこうなることではないが。


 死の恐怖の時間は、実に3時間に及んだ。異常で非情な15号台風だった。一睡もせずに夜を過ごした、房総半島の大半の人々だった。


 幸いにも、我が家は生き残った。外見上は、周囲の住宅も消えていなかったが、小屋が飛んだりする被害もあったし、樹木の被害は、我が家では軒並みだった。南側50メートル先の森が助けてくれたのだろう。


 東側の農家の大きなビニールハウスは、半壊してバタバタと音を立てていた。


 ここ数年来、列島の西側での豪雨被害が続いた。2011311日は、東北地方を襲った巨大地震と大津波で、東電福島原発が爆破炎上した。天罰であろう。


 間違いなく、日本列島は天に逆らって、そのしっぺ返しを受けている。むろん、日本だけではないが、1961年施行の災害対策基本法を全面的に見直す必要がある。それだけでは十分ではない。


 自然と共に歩む治世にするしかない。このままでは本当に、あと数百年の地球になりかねないだろう。

2019919日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

たかが五輪!?<本澤二郎の「日本の風景」(3438)

<ヒトラー五輪より悪質な安倍・森の「神の国」五輪>

 五輪利権に手を出した石原慎太郎も、五輪を操る安倍の後見人の森喜朗も、共に自民党の反中派の血盟右翼議員グループ・青嵐会の仲間である。ヒトラーのベルリン五輪をまねたものだが、ヒトラーはIOC買収や嘘で獲得したものでなかった。前政権の成果を踏襲したに過ぎなかった。


 安倍も森も共に、日本会議「天皇中心の神の国」を信仰する時代がかった極右の面々で、大衆と異質だ。庶民の頭脳と非常に異なっている現代の暴君である。韓国は、日本の植民地支配を36年間、強要された屈辱の歴史を有するだけあって、天皇狂カルトの野望をしかと見抜いているようだ。


<軍国主義シンボルの旭日旗メタルに韓国反発>

 韓国の現在は、民主主義が機能している点で、日本のそれを凌駕している。三権分立が正常に機能している点は、素晴らしい。日本では犯罪者と見られている安倍晋三に対して、法務検察は沈黙している。法治不在である。


 言論も正常であるが、日本ではNHKまでもフジサンケイ読売レベルに落下して、窒息寸前である。第一、労働組合が御用組合となって、こともあろうに極右の日本会議政権の宣伝に特化している。


 最近は、韓国の聯合ニュースを見ないと、世界が見えない。東京五輪の悪辣さを知ることができない。本来であれば、日本の新聞テレビが報道すべきことを、全くスルーして平然としているのだから。


 驚くべきことに、五輪の金メタルに旭日旗をデザインしたものが登場していた。これでは東条内閣五輪ではないか。同内閣は、森が尊敬した安倍の祖父の岸信介が、財閥官僚として商工大臣を歴任していた。

 戦前の帝国を象徴するデザインが登場したのだから、韓国のみならず、アジア諸国民も驚いている。安倍・森の「神の国」デザインである。


 まもなく改憲軍拡で、戦争国家になるとの意思表示だと、史家によって記録されるだろう。森と安倍の日本会議暴走の一つだが、本物の旭日旗も本格的に登場して、物議をかもすことになるようだ。


 安倍暴政は、森五輪暴政といえる。


<民族の優秀性と自身の権力誇示はヒトラーと共通点>

 ヒトラー五輪との共通点もある。安倍にその資格を問う向きもあるが、まずは民族の優秀性である。第二が、自身の権力誇示を内外に吹聴しようというものだ。


 落語家など噺家の好材料に違いないが、当事者は本気であるらしい。内外政破綻のもとで、まもなく10%大消費税強行で、消費はさらに落ち込んでしまうのだから。せめて華麗な場面設定が必要というのであろう。


 暴政の極みだが、その貢献者はNHKである。


IOC買収と福島東電放射能嘘で獲得した大義なしの安倍五輪>

 永田町では「サメの脳みそ」で知られる森喜朗は、目下の肩書は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長なのだそうだ。


 もうこのことだけで、日本沈下を裏付けているのだが、内心、フランス検察のIOC買収疑惑捜査に緊張している。


<東北復興をダシにした電通・日本会議の改憲軍拡野望>

 311に蓋をかけての五輪獲得とその後の利権建設で、東北復興はいまだに先が見えない。


 311による東北崩壊を好事とばかり、人々の目を五輪協奏曲に巻き込んだ手口は、日本右翼の悪徳の最たるものだろう。東北棄民は悲惨である。


 一連の皇室行事も巻き込んで、ノーテンキな大衆を引きずり込んで、思考を止めてしまう。したがって、覚醒させる方法は、新聞テレビが真実を報道、まともな政治解説をするしかないのだが、その言論を電通を使って封じ込めて、現在がある。



 それもこれも、改憲による戦争国家実現にあるのである。正念場の日本人とアジア諸国民に変化はない。

2019年9月18日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

郷土愛と愛国心と政治屋<本澤二郎の「日本の風景」(3437)

<広島大災害にソッポ向いた安倍晋三に右ナラエ>

 ここ数年、被爆地の広島県が数回、豪雨災害に見舞われた。即座に政治リーダーは、現場に立って、適切な指示をする責任と義務があるのだが、山口県出身の安倍晋三の対応は、大分時間が経ってからだった。


 安倍の地元が大災害に見舞われたらどうだったか。答えはわかりきっている。政治屋と政治家は違う。政治屋は、利権と票で動く悪しき動物である。郷土愛ゼロなのだ。


<愛国心のない半島出身の政治リーダー>

 安倍家や岸家のルーツをたどると、半島へとたどり着く。どうこう云々する時代ではないが、最近のネットでは、安倍政治の暴政からであろうか、この一件を追及する専門家が少なくない。

 問題の本質は、愛国心がないか、不足していることに尽きる。そもそも、このことをよく口にする右翼の面々は、えてして愛国心はない。


 出自と愛国心の関係は、間違いなくある。よく右翼新聞が取り上げる桜井某女は、日本人ではないと聞いたが、本当らしい。本人が否定しないのだから。


 外国人が日本語を駆使して愛国者ぶる姿も、決して格好がいいものではない。この機会に指摘しておきたいことは、他人の主張を批判することで飯を食っている輩の存在を知ったのだが、彼らは自分の正体を隠している。卑怯者の代表である。堂々と名乗れない言論など、言論に値しない。


<9・9狂風雨に現地入りしなかった森田健作>

 地震で屋根瓦が破損することは承知しているが、風で瓦が飛ぶという現象は、台風15号が初めてではないか。

 風で住宅が揺れるという恐怖の体験は初めて、それを3時間も耐えることのものすごさを、永田町の住人がわかれば、武器弾薬購入よりも、地球温暖化のための作業を必死で取り組むだろう。


 悲しいかな自民党や公明党の議員は、一人も体験しなかった。森田健作は千葉県知事であるが、それでも県庁から15号台風直後の房総半島を視察しなかった。


 なぜか、どうしてか。答えは、彼は郷土愛ゼロ知事だから。東京出身の無教養な人物ゆえである。こんな人物をかついだ自民党と公明党には、やくざの臭いがふんぷんである。

 合わせて、清和会OBが指摘する、千葉県警と同公安委員会の腐敗を感じ取れる。


<房総半島水源地に放射能物資を投棄した森田の大馬鹿>

 ことし3月、北京から帰国してまもなく、君津市の知り合いが、房総半島の恐ろしい事態を知らせてくれた。まさかと、腰を抜かしてしまった。


 311の余波が、房総半島の水源地を直撃していたのである。まさかの驚きである。放射能汚染物資を、あろうことか房総の水源地に投機した。多くの住民は、森田をつるし首にしたいと思っていることに驚愕した。理解できる。


 「あいつは自衛隊員の子倅だ。教養も道徳もない大馬鹿野郎」と福田赳夫に仕えた清和会OBが教えてくれた。「やくざの千葉県」に比例する大事態である。中央では、千葉県選出のやくざがらみの議員を配下にする安倍であることから、この国の前途が危ういことが、この一点からも指摘できる。


<放射能産廃場の視察を回避した横須賀の進次郎>

 99台風から1週間もたった916日、横須賀の進次郎が環境大臣として南房総市のごみ収獲場を視察した。


 彼が愛国心のある閣僚であれば、そこからすぐ近くの、森田が強行した、放射能汚染物資で埋まった産廃場を視察したはずである。


 口先魔の進次郎には、残念ながら郷土愛も愛国心もないことが判明した。

暴走半島の災害への政府・自治体の対応の遅れは、やくざが支配してる土地柄と無関係ではない。安全を重視する住民は、やくざとの関係を絶つほかない。


<東京湾埋め立て公害県にした友納武人は県外人>

 千葉県は、内湾の東京湾は海苔漁業最適地として、外湾の太平洋岸を遠近海漁業基地として、それこそ美しい半島と温暖な気候で着飾っていた。首都圏のオアシスとしても最適だったのだが、県外人の友納という役人知事が誕生すると、財閥・三井不動産と連携して、東京湾岸を、徹底的に埋め立てて、利権の巣にしてしまった。


 結果、公害地帯の名をほしいままにした。倫理観の乏しい郷土愛ゼロの他県出身知事ゆえである。

 

<地球温暖化で亜熱帯に衣替えした首都圏>

 15号台風の風速は50メートルと信じ込まされていたが、実際は70メートルだった。これまでは20メートルクラス。30メートルともなれば、それこそ深刻そのものだった。


 むろん、それで家の瓦が飛び散ることなど想定できなかった。15号台風は、地底からの地鳴りのようなグゥオーンという不気味な音に家が揺れる、それが30分程度なら耐えられるが、午前2時から、3時に停電、ローソクをつけると炎も揺れる、それが3時間も、となると、もはや生きた心地がしなかった。


 家ごと吹き飛ばされるのではないか、本気で覚悟した2019・9・9台風だった。

なんとなくハリケーン「ドリアン」を連想した。


 地球温暖化の恐怖が首都圏に届いてきた。この現実に政治は、どう対応するのか。パリ協定から逃亡したトランプが、悪魔のような大統領であることを証明している。

 安倍といい、トランプといい、彼らは人間の屑である。日本人とアメリカ人と人類の資質が問われている。郷土愛・愛国心の政治家の誕生こそが、いま求められている。

2019917日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

公明党の牙<本澤二郎の「日本の風景」(3436)

<安倍改憲の真の推進・立役者=北側憲法調査会長>

 「以前と顔つきが強張っている」と評される公明党の憲法調査会長の北川が、秋の臨時国会を前に、再びマスコミに登場したことを、ネット報道で見つけた。人は「公明党の牙」と呼んでいる。すでに安倍改憲の真の推進論者としての地歩を構築して久しい。「あのような人物が池田の弟子とは聞いてあきれる」というが、集団的自衛権行使を強行した「法非」が、創価大学OBというのだから、確かに世も末かもしれない。お目当ては金、それとも大臣?平和の信仰者では100%ない!


<国民投票法改正案の成立に数の力>

 安倍改憲の最初のステップ、それは国民投票法改正案の行方にかかっている。議会で数の力で押し切ったあと、国民投票で決着をつけることになる。


 「国民の過半数」が成立の要件である。法律論としては、全有権者の過半数という意味である。それを投票総数に絞ると、これは憲法違反である。

 安倍改憲派は、十分な資金力・買収・広報宣伝で、有権者の心臓を抉り出す構えだ。莫大な金で、国民を買収する作戦であるが、それに公明党も推進する構えだ。


 北側は、9月11日の記者会見で「国民投票法改正案の成立を目指す」と大胆すぎる方針を示し、安倍官邸を喜ばせた。自公維+αで強行する、との意思表示である。

 「池田路線をドブに捨てることに手慣れている」という点で、太田ショウコウや山口那津男に劣らない北側だが、彼の名前を知らない。


<集団的自衛権行使強行の立役者=戦争法推進論者>

 この人物から、大道芸人のような派手な立ち回りは見られない。性格的に地味であるが、芯は強いらしい。


 集団的自衛権の行使は、9条憲法に違反している。歴代政府の公約・日本の国是であった。米国の戦争に自衛隊を参戦させるというのだから、どう考えても、これを法制化することは無理がある。その無理を自民党極右で、統一教会顧問弁護士だった高村正彦と手を握って、強行して成立させた。


 この時の国会デモに池田親衛隊の三色旗がはためいて、事情を知らない国民を驚かせた。安倍の腰ぎんちゃくは、太田や山口だけではなかった。

 再び北川は、憲法調査会長として、安倍改憲派の9条破壊勢力の先頭に立って、安倍・日本会議と財閥のための戦争国家づくりに汗を流す構えである。


<山口狐=憲法の平和主義”理念”継承=国民と学会員を騙す策略>

 他方、公明党代表の狐の方は、9月15日の街頭演説で「憲法の平和主義の”理念”を継承する」といって、彼らの言う加憲論を繰り返した。その心は「9条に自衛隊明記する安倍改憲論は、平和主義を継承するものだ」との策略で乗り切る構えだ。


 何のことはない、安倍改憲論を推進、強行もやぶさかではない、との言動であろう。公明党が護憲平和の大衆の党でないことは、一連の戦争法制の強行場面で証明されている。


 100歩譲って9条死守というのであれば、堂々と安倍改憲に反対しなければならない。改憲のための国民投票法改正案に反対、阻止しなければならないのだが、それはない。間違いなく安倍改憲強行の真の推進政党としての役割を果たそうというのだ。

 狐の策略・罠にはまるなかれ、である。


<特定秘密保護法強行=太田ショウコウの裏切り=戦争遺児が断罪>

 公明党の正体、それは戦争党に相違ない。 孫や子供のいる家庭は、覚悟を求められている。

 歴史は、宗教勢力が戦争に加担することを教えている。無知蒙昧の徒を戦場に送り出した戦前の原動力は、国家神道である。いまの神社本庁・靖国神社である。生長の家と神社本庁が、現在の日本会議の主体である。これに財閥が加担して、強固な秘密結社として、国会議員はおろか地方議員まで巻き込んで、その規模は大きい。


 太田ショウコウが最初の裏切り行為をしたのは、2013年の特定秘密保護法である。このとき「太田は裏切り者だ」と断罪した人物がいた。池田大作を尊敬していた戦争遺児のKT子さんだった。

 彼女は池田本や小説「人間革命」の読者だった。多くの学会幹部は、池田本を購入しても読まない。したがって池田理念を知らない。そのことが太田や山口に幸いをもたらした。


 戦争遺児の第一声は2013年12月、その4か月後に、同じ学会員で入れ墨やくざの富津生まれの浜名に殺害された。旧馬来田中学校前の瀟洒な住宅と宅地は、いま夏草に覆われて見る影もない。命どころか、家宅地の資産も乗っ取られてしまっている。やくざの強姦・性奴隷の恐怖を伝える重大性凶悪殺人事件である。


<一連の戦争法制に釘を刺した沖縄の野原善正>

 KT子さんに続いて公明党と創価学会の執行部に反旗を翻したのが、沖縄の野原善正らの学会員だった。先の沖縄県知事選で大活躍、玉城当選を実現した。

 おそらく沖縄創価学会の主流は、現在では野原の側と見られている。野原を仲間に入れての、山本太郎の参院選戦略は、実に鮮やかだった。


 戦争党に変質させた公明党と創価学会の黒幕は、官房長官の菅義偉というのが、最近では常識的な見方となっている。その延長線で、目下、信濃町の会長人事を巡っての抗争が繰り広げられている。


<公明党毒饅頭組VS池田親衛隊=年内の総選挙で決着か>

 永田町の政界雀は「官邸の毒饅頭をたらふく食らって、安倍や菅から逃げられなくなった毒饅頭組が、安倍改憲に突進している」と分析している。


 筆者は、KT子さんのような、池田理念を信じる池田親衛隊の動向を注視している。先の参院選で、野原に同調した学会員はかなりの数にのぼるとみている。

 平和主義を放棄して、安倍の日本会議に同調する学会員は、事情がわかれば、一人もいないはずである。


 その中間的な決着が、暮れまでに実施されるであろう総選挙で出ることになろうか。平和党から戦争党に変質した公明党に明日はない。第二、第三の野原善正が現れるだろう。


 太田ショウコウ・山口那津男・北側なんとかの三人の動向を、引き続き注意しようと思う。

2019年9月16日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

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