2019年危機(4)色あせる元号<本澤二郎の「日本の風景」(3271B)

<春雷の41日に新元号「令和」>

 朝のうちの関東は、東の空は気持ちいいほど真っ青となった。ところが午後になると、突然、雷雲が出たかと思うと、ドカーンとものすごい音が相次いだ。春雷である。

 安倍・日本会議の新元号に天がかみついた格好である。和は理解できるが、令は意味不明である。天皇家と安倍・自公官邸との確執を裏付けていた。むろん、民衆が衆知を集めてぶち上げたものではなかった。

 西暦が国際社会で通用して久しい。日本だけ別に元号を作って、主権者に押し付ける時代の幕引きを印象付けた格好である。 

<安倍の政治ショー>

 一口に言って、それは政治が意図的に作り出したもので、わかりやすく言うと、安倍の政治ショーである。

 自らの三選を実現して、水と油の天皇を引きずりおろす。そうしてこの日を迎えたのだろう。ひとり興奮しているに違いない。

 母親の岸洋子が「運命の人」と言っているそうだが、確かにやっていることはそうかもしれない。しかし、行為の中身は心もとない。友人の中には「成蹊大学の落第生に日本を任せていいのか」とか「顔を見ると、本当にムカッと来る」と厳しい評価をして、変えない。

 天皇は象徴である。現在の首相と官邸は、民意とは無縁である。来月に皇位を継承する皇太子までが、安倍ショーに利用されることにうれしいわけがない。

<色あせる元号の私物化>

 従来、元号は漢籍からとっていた。元号は、大陸・半島を経て列島にとどいたものである。天皇制も紆余曲折を経て単純ではない。現在は150年前から定着したものだ。

 今回、安倍・日本会議は、漢籍出典を排除して、安倍の政治ショーを前面に出した。万葉集から採用したことで、日本会議主導を内外に誇示した格好である。それも安倍・日本会議の、当面の終着点である9条改憲の2019年に持ってきた。元号の私物化が、すでに各方面で指摘されている。

 いま山野にうっすらと咲いている山桜がお似合いではないか。本命・吉野桜ではない。我が家の吉野桜は、本日満開である。枝を切り落として台所のテーブルに挿していた桜が満開だ。山桜好きもいるだろうが、吉野桜にはかなわない。

<梅・大宰府の麻生が何を言うのか>

 車のラジオで、1130分過ぎの菅義偉官房長官による新元号発表を聞いた。とりたてて感動も、新時代との感慨もわいてこない。契約社員・非正規社員も同じに違いない。年金生活者も。

 NHKはこの場面で二人の専門家を放送現場に呼んでいた。一人は万葉集などの研究家だった。もう一人も漢籍学者でなかった。

 このことは数十分前の閣議決定で「令和」が決まったことになっているが、これはトリックなのだ。ずっと以前から万葉集から引用した「令和」は決まっていたことになる。

 安倍嫌いは「安和」とならなかったことに安堵した。事前に安起用が各方面で騒がれてしまい、さしもの日本会議も方針を転換せざるを得なかったらしい。

 NHKの解説者は、万葉集は大宰府の梅をうたったものだと紹介した。

 調べると、大宰府は福岡県だという。麻生太郎の地元ではないか。知事選で

保保乱立で騒々しい。令も和も平和を意味しないものか。

<民衆が決めた元号にあらず>

 いえることは、この元号は、民衆無縁のものである。安倍・日本会議のものであっても、中立・公正な専門家が選んだものではない。

 主権者が感動するようなものではない。新時代どころか、平成の30年間は、凋落日本を象徴してきた。特にこの6年間は、福沢諭吉を大量に印刷するだけで、財政を悪化させ、経済を地獄へと追い込んだ30年だった。

 平成天皇をはらはらさせるような軍拡路線で、一段と財政を悪化させた。本来は起死回生の令和でなければならないのだが、安倍の私物化でそれはないだろう。

<交通違反で散々な目に合う>

 201941日は忘れられない日となった。ビザの件で千葉市へ行き、帰りがけに1130分を迎えた。

 菅の会見に耳が集中していて、赤信号に気づくのが遅れた。というよりも、前を走っていた車が信号を渡り切り、間隔が大きく広がった。渋滞に多少困惑していたせいもあって、安全を十分確認して走り続けてしまった。

 そこをパトカーに見つかり違反切符。車の菅会見を教えたところ、若い警察官は「何のことですか」と問い返してきた。

 公務員であるパトカー乗務員の彼はラジオも聞かない、知らなかったのだ。歴史的瞬間など多くの国民はどうでもいいことなのだろう。40年以上、車を運転して違反切符は、これで二度目である。反省、反省である。

201941日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)